自分で幸せになるんだよって話。
わたしにはまだ子どもがいない。いつか自分の子どもを抱きしめた時、わたしは一番に〝自分で幸せになる力〟をつけてほしい、と願うだろう。
〝自分で幸せになる〟これはわたしが無意識のうちに、大事にしてきたことだ。
だから、自分ではなく他の何か、誰か、に『幸せにしてもらいたい』とか『幸せにしてほしい』とか、考えたことがあまりない。意味ないんじゃない?と思ってしまうのだ。〝幸せにしてくれる要因〟がないと自分が幸せになれないなんて不自由だと感じてしまうし、わたしは何より自由でいたい。自分の幸せは自分にしか感じられないのだから、自分でちゃんと見つけて大事にしようよ、と思う。
仮に、パートナーから(わたしのパートナーは絶対言わないと思うけど)「幸せにしてほしい」と言われたら、戸惑いながら「幸せにしたい気持ちはもちろんあるのだけど、あなたの幸せはあなたでしか感じれないからできないよ、」と言うしかない。「一緒に見つけることのお手伝いはできると思うから、その方法を考えようか」と。
もちろん、誰かを〝幸せにしたい〟と思う気持ちは大切だ。愛に溢れるあったかい気持ちだ。その想いを持てるだけで自分も幸せになれるし、想いを届けることもできるだろう。
けれど、わたしが言いたいのは、〝自分で幸せだ〟と感じる選択を自分ですること、〝幸せを受け取る力〟〝幸せを感じる力〟をつけることが大事だということだ。
いくら、自分が幸せになってほしいとあれやこれやしたところで、受け取る側が受け取っていなかったら、伝えられないからだ。逆に言えば〝自分で幸せになる力〟がつくと、いつでもどこでも幸せでいれる。極端な話、1人でも、何もなかったとしても幸せでいられる。これってとてもお得じゃない?せっかくの人生なんだから、幸せになろうよ、と思うのだ。奪われることのない幸せって、安心じゃないかと。
自分で幸せになる力がついたら、自分のハッピーオーラで周りの人にも自然と伝わって、連鎖していくといいと思う。他力本願ではなく、自立した幸せを感じられる人が増えたらいいな、と思う。
その先で、一緒に幸せになりたい人と幸せを共有して、育てていけたら、わたしはもっと幸せで嬉しいな、と思う😊
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