忘れられない絵画(「浴女たち」ルノワール)
私は美術館に行くのが好きだ。
少し肌寒い空調、コツンコツンと響く自分の足音、物音を立てることが憚れる静謐な空間。何年も人に見られ続け、そして人を見つめ返し続けてきた名画たちに囲まれ、背筋が伸びる感覚。
一人で静かに見るのも好きだし、一緒に気ままに見られる人とであれば誰かと一緒に見るのも好きだ。終わった後に感想を話し合うのも楽しい。
それほど頻繁に美術館に行っているわけではないけど、上京してからは興味のある展覧会が開かれているときはできる限り足を運ぶようにしている。
そして、私が美術館に行く大きな理由の一つが、「写真で見る絵画と実物の絵画は全然違う」ということを知っているからだ。
私が今まで見た中で一番印象に残っていて、死ぬまでにもう一度実物を見たい忘れられない絵画は、ルノワールの遺作「浴女たち」である。
2016年に開催していたルノワール展にて、一番最後に展示されていた。
この絵がある空間に足を踏み入れたとき、あまりにもまばゆい輝きを放っていて、西日が強く差し込む夕暮れを思った。海なし県で生まれた私が、子供の頃新潟の海に行って、初めて海に沈みゆく真っ赤な夕陽を見たときのような眩しさだった。旅先から"帰りたくない"と思ったときのように、"ここから動きたくない"と思って、絵画のある場所から動けなくなってしまった。
「浴女たち」は、とにかく"楽園"のような絵画だと思った。あまりにも大きなキャンバスに、穏やかで柔らかく情熱的な陽光が差し込み、豊かな肉体の女が寝ころびくつろいでいて、お喋りをしているのか、微睡んでいるのか、幸せな午後の休日を想像させる。湯浴みをして血色が良くなったであろう女たちの肌は輝いていて、肉付きのよいお腹や脚は何にも締め付けられず、あるがままに重力に従い、自由で開放的で、美しかった。天国ってこういう姿をしているだろうと思った。
そんなバカンスのような楽園の絵が、実際にはルノワールが晩年にリウマチの症状に苦しみながら描いたというのだから、驚いた。
「絵画は楽しいものであるべき」という理念で、明るい絵画、特に裸婦を多く書いてきたルノワールだが、病に苦しんでもその理念を崩さず楽園を描き切ったのだ。
遺作にしてはあまりにもスケールの大きい作品を、動かなくなっていく身体で、どういった気持ちで描いたのだろう……。思いを馳せるとなんだか涙が出てくる。苦しみを作品には一切出さず、自分の信念に従って、最後まで幸福を象徴するような絵を描き続けたルノワールに感服した。
当時私は大学生で、今思えばつまらないことで鬱々としたり塞ぎこんだりしていたのだが、この絵を見て、そして晩年のルノワールを思って、いろいろどうでも良くなったことを覚えている。
あの楽園は、苦しいからこその祈りとして描いたのか、あるいは俗世から解き放たれた理想の地なのか。死にゆくそのときまで楽園を描く……自分が死にたいと思ってるのがバカみたいに思えた。私も死ぬ間際まで楽園を描く人でありたい。
絵画にものすごく衝撃を受けた、初めての体験だった。
画像やパンフレットに印刷された図で見るよりも、もっと夕陽のような強烈なオレンジ色を感じたし、とにかくこの絵画はサイズが大きくて、スケールがデカい(あえてデカいという言葉を使おう)のだ!!!
さらにこの時、平日の真昼間に行ったからか、非常に館内が空いていて、この作品がある空間にほぼ私しかいない状況だった。ルノワール展なんて今やったら大変な人出になるだろうから、貴重な経験だったと思う。今思うと8年も前の話なのだが、あの時の感情をありありと覚えている。
「浴女たち」は普段オルセー美術館にあるので、見に行くのはなかなかにハードルが高いが、死ぬまでにもう一度実物を見たいと思う。できればもっと自分が年老いて、肉体が動かなくなってきたときにまた見たい。眩しい陽射しと健康的な女たちを、ルノワールの信念を感じたい。
ネットで検索して出てくる画像は、色味が全然違う感じがする。せめて画集を買っておけばと思うものの、当時はお金がなかったので買うことができなかった。生きてるうちに日本にもう一度来てくれたら嬉しいし、いつかオルセー美術館に見に行けたらいいなと思う。
ルノワールの晩年の作品を求めて、最近大阪の山王美術館にも行ってきた。晩年の作品は赤、緋色、オレンジの色合いが強いのでわかりやすい。あのときの眩いオレンジ色を思い出すことができて嬉しかった。
ルノワールには有名な作品が多すぎて、「浴女たち」に注目している人は少ないだろう。私もルノワール展に行く前は全く知らなかった。美術館に行ったことでこの絵画に出会うことができたし、私はこの絵画のことを生涯忘れないと思う。
余談。
私はルノワールが描く女たちが好きだ。ルノワールの視線と筆には、優しさというか、女のあるがままの美しさを描き出そうとする心意気が見えるから。若さが溌剌と漲るような女の子が愛おしくて、活力の源だったのだろう。自分の輝きを絵画に残してもらえて、ルノワールのモデルになった女たちが少しうらやましい。
私は韓国アイドルのようなほっそりした長い脚や割れた腹筋は持っていないが、私の裸体はルノワールの描く裸婦のように生命力に満ち溢れていて美しい、と思っている。
"love my body" 、フランス語だと"bien dans sa peau" だろうか(直訳だと自分の肌に満足している、ひいてはありのままの自分に満足しているという意味らしい)。ルノワールの絵画は、ありのままの自分を愛したくなるような気分にさせてくれるから大好きだ。