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私は働いていないことに耐えられないらしい

転職に伴う有給消化期間で、丸々1か月の休暇を得た。新卒で就職してから一番長い休暇だ。過去の長期休暇は最大でも10連休程度。こんなに長い期間仕事から離れることは初めてだ。
休暇3週間目にして(薄々5日目くらいから思っていたけど)、私は働いていないことに耐えられない人間であることを悟った。経済的な心配はほぼないのに、日々生産的な行為をできていない焦燥感で苦しい。友人といるときは大丈夫だが、一人でいると自分の内なる声が不安を囁いてくる。

私の感情の推移

有給消化期間序盤~抜歯と事務作業~

1か月の有給消化期間を絶対死守するという固い意志で、怒涛の勢いで前職の引継ぎを行った。引継ぎ期間は本当にギリギリまで働き、引継ぎ先メンバーの協力もありなんとか間に合わせることができた。

私は最終出社日の翌日に、親知らず抜歯(埋伏)の予定を入れていた。1か月で下の親知らずを両側抜く計画のため早く抜いてしまいたかった。せっかくの休みを有効活用するために、引継ぎ後の疲労で休養するタイミングと、抜歯後安静にするタイミングを一緒にしてしまおうと考えた。

休暇1週目はさすがに疲れており、転職先への入社手続きなんかの準備をしなくてはいけなかったので、家で事務作業をしたり、美容院や顔身体のメンテナンスに行ったりしていた。

休暇2週目~異変~

2週目は抜歯後の痛みも落ち着き、友達と遊んだり飲みに行ったりする日が多かった。有給を取ってくれた夫と、2泊3日で旅行にも行った。積読を消化し、せっかくなので長編をと思い「三体」に手を出した(面白すぎて世界観に悲鳴をあげながらじっくり読んでいる)。
入社に向けたタスクもほぼ終わり、このあたりから自分の体力と気力を持て余している感じがした。その所為か、いつもよりお酒を飲む日が多かった。私はお酒は好きだが、基本的に毎日飲むことは無い。

休暇3週目~苦痛・新しい居場所~

3週目に入ると、もう家にいるのが耐えられなくなってきた。家では夫がテレワークしているのもあり、アニメや映画見ているわけにもいかない。おそらく夫は気にしないが、私が謎の罪悪感に駆られて気が乗らないのだ。
TOEICの勉強(休暇に入る前の私が申し込んだ)とか、過去購入したオンデマンドセミナーとか、やりたいことはあったが家ではやる気になれなかったので、TSUTAYAのシェアラウンジに通うことにした。この記事もシェアラウンジで書いている。

こういう居場所があってありがたいなと思いつつ、仕事をしている人たちを見て、「仕事」をしていない自分に価値がないように思えてしまった。自己イメージが小さくなっていくのを感じた。

自己肯定感と満たされないナニカ

自己肯定感の根源

自分のことを自己肯定感の高い人間だと思ってきたが、自己肯定の大部分を仕事が担っていたのかと思うと複雑な感情だ。1日のうち10時間近くを仕事が占めていたから仕方ないのかもしれないが、実際に突き付けられてショックを受けている。

実用的なインプットと感性を磨くインプットどちらも好きだし、アウトプットとしてnote書くのも好きだし、いろいろ勉強もしたい。やりたいことが沢山あったはずなのに、いざ余暇となってそれらをやってもなんだか満たされない。有給消化だから経済的な心配は無いのに、なぜか不安や焦燥が付きまとう。

反対に、人と会って話している間は満たされていた。休みの間、いつもより沢山の人と会えたのはよかった。誰かと会っているときは焦燥感を感じず、むしろハッピー100%の気持ちだった。応援してくれる友人や、また会おうと言ってくれる会社の仲間達、同時期に退職する同期、時々行くバーのバーテンダーさん。会って話を聞いてくれる人がいることは嬉しいし、誰かと話している間は、自分の内なる声を聴かなくて済む。

満たされないもの、それは所属の欲求

今満たされていないのは、社会的な所属の欲求や承認欲求なんだと思う。
働いていないことに耐えられない、の本質は、「どこかに所属していないことが不安」だと思った。

私の父は最近定年退職した。まだ雇用延長できる年齢だったが辞めたかったらしい。父は元々アンガーマネジメントのできない人だったが、退職してからさらに怒りっぽくなっているらしい。完全にコレである。

東村アキコ「ハイパーミディ 中島ハルコ」2巻より

なんだか怖くなった。定年退職後の父の姿(会いたくなくてしばらく実家には帰っていない)、負荷はないのに精神のバランスを崩していく自分、輝いて見える周りの人達。
仕事をしていないだけで、人生をどう動いたらいいかわからなくなってしまった。一本大きな柱を失ったみたいに、自我がグラグラと不安定になっていた。会社に所属して収入を得ていることが、私にここまで大きな安心感をもたらしていたのかと気付いた。

このことに20代のうちに気が付くことができてよかったのかもしれない。学生時代からずっと予定を詰め込みまくっていたからか、いままで直視することがなかった。労働や勉強に励んで日々を忙しくしていた私は、安心感が欲しかったのか。

所属の欲求を、自力で満たす方法を見つけたい

今回の経験によって明確な目標ができた。社会的所属の欲求を、「会社」に頼らずに満たせるようになりたい。

私にはいつか独立したいな、という思いがある。今回の転職もそれに向けたキャリアプランを考えてのことだ。独立したら、この所属の欲求を自分でなんとかしないといけなくなる。
また、出産や育児に伴って仕事を休む可能性だってある。この場合はやることは沢山あると思うが、子供とずっと向き合うことから、大人の世界での所属の感覚がより希薄になるのだろう。
そして、自分にも退職の日はいつか来る。だからこそ、所属の欲求を自力で満たせるようになっていたい。

たぶん、「会社」と「家族」の他に、どれだけ所属する場所を作れるか…が大事なのかなと思う。私の場合は、人生における仕事のプライオリティが高いので、仕事に関連する所属の場所を沢山作っていきたい。
私はすでに会社の外のコミュニティに参加していて、非常にいい刺激を受けている。これからさらに、会社名ではなく自分の名前で勝負できるフィールドを増やしていけるよう行動していきたい。

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