偽らざる自分でいることを訓練する
友達の定義について、一週間ほど考えてきた
今現在の定義は、昨日のブログにも書いた「自分を偽らなくていい相手」というものだ
しっくりきているものの、今後変わる可能性もある
さて、この「自分を偽らなくていい相手」を持つにあたり、実はある条件が必要だ
それは、「偽らざる自分」を既に知っていることだ
それを知らなければ、他人と過ごしているときに、その自分が偽らざる自分か否かを判断することができない
自分がそれを知ったのは、ここ数年のことだと思う
自分にとって偽らざる自分とは、アタッチメントの安心感を持った状態で、好きなことをしている時の自分だ
アタッチメントの安心感とは、子供が親や養育者と過ごすときに感じる安心感のことだ
これがあると、人は外の世界を自発的に探索しに行けるし、不安や恐怖を感じても、じきに回復することができる
自分は長らくこの安心感がなく、それが四六時中絶えない不安や虚無感につながっていた
大人になって自分なりに対処法を見つけて、今は安心感を得られていると思う
その安心感を持った上で、好きなことをしている時の自分が、偽らざる自分だと思う
好きなこととは、歩いたり、美術品を見たり、ブログを書いたりすることだ
偽らざる自分と言えば、このブログに表れている自分もまた、偽らざる自分だと思う
このブログは自分の感じたことをそのまま文章にすることを目指しているので、ほぼ自分の内面そのままだと言っていい
そういったスタイルでブログを書き始めて、もう1年以上になる
その間、偽らざる自分でいることや、その自分を外向きに発信することを訓練してきたことになる
友達の定義が「自分を偽らなくていい相手」になるのなら、偽らざる自分でいることを練習してきて、よかった
それができているから、友達と呼べる存在ができるようになったのかもしれない
ありのままの自分で文章を書くのは楽しい
そして、それに興味を持って読んでもらえたり、共感してもらえたりするのも、嬉しい
いいツールを持ったな
そして、自分のブログに対するスタンスも正しかったのかも
そういえば、昨日Zoomお茶会をした友人から、感想のマシュマロが届いていた
個人的なものだったので、ここで公開しなくてもいいかな
送ってくれてありがとう
マシュマロ、ブログでの公開を希望しなければ、そう書いてくれればもちろん考慮する
ブログへの感想、質問、テーマのリクエスト、その他何でも気軽に送ってね
じゃまた
読んでくれてありがとう
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