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かつて考えた「幸せの5つの条件」は今も生きている
かつて、7-8年前の自分が「幸せの5つの条件」というのを考えていた
その条件とは「自由、存在認識、魅力、対等、配慮」である
自由とは、自分が本質的に自由であると思えること
存在認識とは、他者が自分の存在を認識していると思えること
魅力とは、自分の存在を喜んでくれる人が一人はいると思えること
対等とは、すべての人と自分は対等(平等)だと思えること
配慮とは、自分が嫌だと言ったことはやめてくれる人が一人はいると思えること
これが揃うと「幸せだ」と感じられるようになる、というのが自分が経験から得た学びだ
5つ目を見つけるまでは「まだ足りない」と感じていたが、5つ目を見つけてからは「これで足りている」と感じるようになった
今に至るまで、減らしたり増やしたりしたくなったことはない
これらを見つけ、実際にそう思えるようになってからは、幸せを感じられるようになった
その状態で長らく生きていた
そんな中、昨年7月からフルタイムで働き始めた
そこから、なぜか自分の人生が前進しなくなったのを感じた
日本の仕事場でのコミュニケーションが苦手だった
同僚とのコミュニケーションも、お客さんとのそれも
そこには上下関係があった
年齢によるものや、店員と客という立場の違いによるものだ
これがとにかくストレスなのだが、「幸せの5つの条件」に基づいて考えると、これは「対等」の条件が侵害されている状態だと言えることに気づいた
「すべての人が対等(平等)」ということは、日本国憲法にも、世界人権宣言にも書いてある
なので、建前ではそうなのだろうし、世界標準もそちらなのだろう
だが、日本の仕事場、もう少し広く言うと日本の大人の社会では、実際のところはそうでないようだ
年齢や立場による優劣が当然のように存在する
私はそれは非倫理的だと思う
だが、それを正しいと考える人が多数派だろうし、その状況を変えたいというモチベーションは私にはない
ただ、「幸せな条件」が欠けている状態が私はとって辛い
今、私は不幸だと感じる
日本の会社で働いている限り、私は不幸だと思う
外資系企業で働くか、日本の外に出て生きるかしか、私が幸せに生きられる方法はないように思う
7-8年前に考えたことなので、最近は思い出すことも少なくなった
あれ以来、倫理学、社会学、経済学、心理学、哲学などに触れてきたが、考えてみると、今でも「幸せの5つの条件」は否定されていない
改めて批判的に検討する価値があると思い、ブログに書いてみた
近々、ラジオでも取り上げたいと思っている
じゃまたね
読んでくれてありがとう
(なんでも送ってね)