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どんな人であっても、心の中に理想的な「親友」を持つメリットがある

ラジオが上がっております!!
私とぽすといなさんの、ゲームに対するこだわりの話だ



昨日の話のちょっとした続きだ

自分の慢性的な不安の原因が「アタッチメントの安心感不足」にあるとわかったとき、悔しかった
なぜならそれは、自分ではなく親に原因があるということだからだ

アタッチメント理論に関する本を何冊も読んだが、解決策は載っていなかった
そこで自分で対策を考え「心の中に『親友』を持つ」という方法を試して、これが功を奏した

ここでの「親友」には、私の考える理想的な人格を想定した
私の話を聞いてくれて、理解してくれて、相談に乗ってくれて、一緒に遊んでくれる、といったものだ

理想的な存在だからこそ、頼るイメージ(=不安な時に「くっつく」イメージ)を持つことができた
これによって私の不安は実際に軽減された

この経験をもとに考えていくうちに、このメカニズムは信仰と同じだ、と気づくに至った
神の存在を信じる人は、心の中に神の居場所があり、それとの関係を強く意識することで安心感を得ているのではないかと思う



さて、私はもともと「成熟した親のもとに生まれた人にはこのような対策は不要だろう」と考えていた
だが、もしかしたらそうでないかもしれない

「アタッチメントの安心感の有無」とは、実際には0か1かではない
そこには程度の差がある

そして人は、その安心感の強さによって、探索に出かけられる程度や、立ち向かえるものの強大さが変わってくるのだと思う

人は、自分が持っている安心感より恐ろしいものに立ち向かうのは難しい
足が竦み、逃げ帰りたくなる

どんなに成熟した親でも、完全無欠の人はいない
だとすれば、得られる安心感も十全にというわけにはいかない

そこで、親に加えて神(もしくは理想的な「親友」)をアタッチメントの対象とする
すると、そこから得られる安心感は、完全無欠な存在と共にいることで得られる、非常に強いものとなる

この意味で、どんな人にも信仰を持つメリットがあると言える
同様に、どんな人であっても、心の中に理想的な「親友」を持つメリットがあると言える



私は長らく、成熟した親を持ち、小さな頃から強い安心感を持っている人のことを羨んできた
だが、いつの間にか私は、その人たちを超える安心感を得る方法を見つけていたのかもしれない



じゃまたね
読んでくれてありがとう



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