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探索欲だけでは生きられない

「探索欲だけで生きられるのか」ということをずっと疑問に思ってきた

ここでの探索とは、アタッチメント理論における探索だ

こどもは、不安になると親にくっつく
この行動をアタッチメントと呼ぶ

アタッチメントが受け入れられると、こどもは安心する
すると、こどもは自発的に外の世界に出ていくようになり、これを探索と呼ぶ

ここまでは正しいと思う
私が気になっていたのは、この探索欲の強さだ

人は、ただ遊んでいては生存できない
具体的には、食べ物や住居を確保する必要がある

探索は楽しい
その探索欲を原動力にして食べ物や住居を得ることができれば、楽しく生きられそうだ

その可能性を追求し、私自身、まずはアタッチメントの安心感を得て、その後は探索欲を伸ばしてきた
そして、それが食べ物や住居を得るのに十分かを調べようとしてきた

つい最近は「活動の種類を数える」という方法を使い、探索欲に基づく行動量を上げようとしてみた
…結果は、「そこまで活動量を増やしたいとは思わない」というものだった

探索欲に基づく行動を増やすための似たような試みは過去に何度もしてきたが、毎回うまくいかなかった
それらと今回の失敗を踏まえ、私の中で「探索欲だけでは生きられない」ということが結論づけられた



ここから考えると、生存に必要な食べ物や住居を確保するには、探索欲以外の動機づけが必要だ
その動機づけとはなんだろう

世間ではよく、「アタッチメントの安心感を与えず、それへの渇望を動機づけとする」と方法が取られる
私はそれは非人道的なやり方だと思う

では、それ以外の動機づけには何があるだろう
成人の間でよく採用されるのは「報酬」だ

自分の行動次第で、よい報酬がもらえる
これは、先ほどのやり方よりも人道的だと思う



今後は、人道的な動機づけとはどんなものかを考えていきたい
それは、仕事で他人を指導したり、子育てをしたりするのに使えると思う



じゃまたね
読んでくれてありがとう



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