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『儀礼としての相互行為』を読んだ

『儀礼としての相互行為』を読み終わった
1967年にカナダの研究者が書いた本だ

読むのにかなり骨が折れたが、得るものも多かった

ざっくり言うと、日々の対面のコミュニケーションの仕組みを解明しようとした本だ

対面のコミュニケーションには、誰もが守るべきルールがあるという
それは、「お互いの面目を保つこと」だ

面目の辞書的な意味は以下のようになっている

① 人に合わせる顔。世人に対する体面や名誉。また、世間からの評価。
https://kotobank.jp/word/%E9%9D%A2%E7%9B%AE-643205

要は、自分が恥をかいてしまったり、相手の評価を下げてしまったりする行為は、コミュニケーションにおいてふさわしくない、ということだ
この点に関して、以下の一文はかなり印象的だった

儀礼的秩序の主要原理は、たぶん公正さではなく面目である。

公正さというのは、平等だったり、一人一人の権利を守ることだったりするが
コミュニケーションにおいては、それらよりも名誉や評価の方が大事だということだ


そして、人はコミュニケーションの際、お互いの面目を守るために、主に二つのことをする必要がある
それは、
①振る舞いや身だしなみを正すこと(品行)と、
②相手に敬意を表すること(敬意表現)だ

①の振る舞いや身だしなみには、食事中のマナーや場をわきまえた服装、さらには緊張状態でも落ち着いていられる精神力などが含まれる
②の相手に敬意を表する方法には二つあり、
(a)挨拶をする・褒めるなどの積極的な方法(呈示儀礼)と、
(b)相手に近寄りすぎないなどの消極的な方法(回避儀礼)がある


さて、そうしたルールを守ったとしても、コミュニケーション中に不安になったり、動揺してしまったりすることは誰しもある
こうした情緒的な不安定のことを、当惑と呼ぶ

会話の中で当惑した人がいると、周りはその人が面目を失わなくて済むように、フォローに回ったり、あえて見て見ぬ振りをしたりする
しかし、時には、当惑が他の人にも動揺をもたらし、波及していってしまうことがある

したがって、たとえ当惑してしまったとしても、それは表に出さない方が望ましい
この、当惑を抑えて隠す能力のことを、自制心と著者は呼んでいる
(一般的な単語の意味とはズレるけどね)


さて、コミュニケーションにおいては、個々人はその会話に没頭することが望ましい
だが、場合によっては、人が会話にうまく入り込めない時があり、これにはいくつかのパターンがある(心的離反
①会話と関係ないことに意識が向いている
②自分自身に意識が向いている
③「会話をすること」自体に意識が向いている(上手に会話しなきゃ、と思ってしまっている時など)
④他の人に意識が向いている


まあ、まとめるとこんな感じになる
(5章、6章は省略した)
簡潔にまとめるの大変だった…!
なんとなくは理解してもらえただろうか

日常的なコミュニケーションって、上手にできることを求められる割に、誰もやり方を教えてくれないんだよね
なので今回、こういった形で客観的な分析を読むことができてとてもよかった
特に、
①コミュニケーションにおいて大事なのは、お互いの面目を守ること
②会話中の不安や動揺は隠したほうがいい

の二点は非常に勉強になった


最後に、この本を読もうという人へ!
一番読みにくいのは第1章で、自分も一度挫折しかけた
2章以降は具体例が増えて読みやすくなるので、なんとかそこまで辿り着いてほしい


じゃまた!
読んでくれてありがとう!

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