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#16 境界線はなくなる Swaying Flowers遠藤文香
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目には見えない力の中で生きているということ。人間は個体としてではなく、この世界のあらゆるものとの繋がりの中にいることを自覚すること。撮影を通し対象と向き合う中で、私は石になり、石は私になる。自他の境界が揺らいで溶け出すとき、鉱物にすら人格や情動が宿っていることを実感することができる。幻視的なイメージは私たちに想像力を働かせ、人知を超越した存在を感じさせてくれる。そしてそれは自然の脅威にさらされたばかりの私たちに、最も必要な感受性であることは確かだ。「the belief in Spiritual Beings」
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写真、アート業界にとどまらずファッションやカルチャーの分野でも活躍する遠藤文香の写真集。アニミズム的な自然観をテーマに写真を制作する遠藤の作品は、現実離れした自然や動物の色と構図が特徴で、デジタル加工をすることで自然と人為の境界線を曖昧にしたアプローチが異世界をみているかのような印象的なイメージを作り出している。そしてこの「Swaying Flowers」は彼女が大学卒業時に製作した大型の手製本をリメイクしたものである。様々なカメラで撮影された花の写真を布に転写し、自らの手で裂くという行為が施され作られた作品だ。
(出版社HPより引用)
Swaying Flowers - ayakaendo(遠藤文香)
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花の表情
花弁は風化し、枯れる。水分が足りなくなった花弁は泣き疲れたあとの表情のようでどこか哀愁漂う。カメラによって紡がれたシルクの艶やかな質感。糸は、作者自身の手によって引き裂かれ一本一本もつれてバラバラになる。薄い布に染み込んだ濃いインクは何か強い意志と、シルクの光沢は、確かな存在感(物質間)の強調だ。彼女の作品スタイルは比較的平面的な作品だが、作為的に平面に見せているように感じる。
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境界線
芸術における<見えないもの>を捉えるとはどのようなことだろうか。これまで多くの人々と多くの解釈がある。<見えないもの>を捉える瞬間は作者自身が境界線を行ったり来たりする行為、過程で生まれる。制作の過程の中でもちろん時間は進んでいく。時間が経つにつれて記憶は薄れていくが、整理されていく。作者の感情、記憶、無意識が可視化されていくのだ。カメラで捉えたこの瞬間の感情記憶無意識は整理されるにつれて全く違う形へと姿を変える。限定された枠を通して、自分という意識の存在があたかもそれらの花と特別な絆で自分の内側にあるいくつかの未知の場所を確認する作業。この宇宙でもっとも速いものは光とされているが、時に人間の意識は光速をも越えて、目には見えないものを捉えることを可能にする。
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ゴーストストーリーとの関連性
アミニズム的思想は遠藤文香の作品を紐解く上で非常に重要な視点だ。生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは魂が宿っているという考え方である。ヴァージニア・ウルフの短編集「青と緑」をたまたま近所の本屋で買ったのだがその中で「取り憑かれた家」という作品と遠藤文香のアミニズム的視点が一致する。「意識の流れ」の手法を用いた作家の一人として知られるヴァージニア・ウルフは20世紀前半に活躍した英国の作家だ。
「意識の流れ」の概念は、その後文学の世界に転用され、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」という文学上の表現の一手法を示す言葉として使用されて文学用語になった
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「取り憑かれた家」の背景には、人間の意識の死後の存続を信じる考え方が存在している。「意識の流れ」の手法を用いたウルフは人の「魂」を描こうとしていた。そして、この小説はデヴィットロウリー監督の映画「ア・ゴースト・ストーリー」の原作にもなっている。この映画は幽霊を幽霊と表現していない。というのは、映画の途中から(亡くなった夫)幽霊視点へと切り替わる。幽霊は人間を脅かそうなど考えていない。ただ、自分自身の存在が不確定のままこの世で彷徨っている。そして、魂はあるのだが肉体は消滅しているので時空を超えて様々な場所へ瞬間移動できる。布は皮膚、その上に印刷された花の写真は人間の内側に入り込んだ幽霊。ある時点から人の内側に入り込んだ幽霊、目に見えないものは意識へとなる。自身と他者の境界線がなくなり、すべてが一つになったのがこの一冊なのかもしれない。
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執筆者
秋田紀子/Noriko Akita
2000年生まれ大阪府出身。京都精華大学芸術学部版画専攻卒業後、デザイン事務所のアシスタントを経て、現在桑沢デザイン研究所夜間部専攻デザイン科 ビジュアルデザイン専攻在学中。
文章を書くことに興味を持ち、book review practiceでブックレビューを始めました。自身のイラスト、文章で本を出版することが現在の目標です。
IG:@cyan_12o
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