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NOT TOO LATE #2

文:Jumpei Sakairi
Sabiha Çimen: HAFIZ

Title designed by  Shingo Yamada


 本作品は、トルコ出身の写真家サビハ・チメンがコーランスクールの日常を撮影したもので、2021年に刊行されたばかりだ。
コーランスクールとはイスラム教の10代の少女たちが、聖典であるコーラン全てを覚えるために3〜4年間通う女学校のこと。
サビハは現在36歳で、自身も10代の頃、彼女の双子とともに通っていた。少女たちの姿を撮影すると同時に、自身や双子のコーランスクールでの記憶を表現した、ある種自伝のような作品でもある。

 サビハはこの写真集を通して、特にヨーロッパにおけるイスラム女性への誤解を解きたいと語っている。そして、そのためには男性からの支配や社会的圧力とは隔離されたコーランスクールでの、ありのままの少女たちの姿や感情を表現することが重要だと考えた。

そうした作品の背景があったうえで、ここでは少女たちの巻くヘッドスカーフに特に着目したい。
サビハは、幼少時にヘッドスカーフの柄を自分で選んだタイミングで初めてアイデンティティを認識したという。姿かたち、経験などが全く一緒の双子との相違点が初めて生じたのだ。それ以降彼女にとって、ヘッドスカーフは大きな意味を持っている。

ヨーロッパではイスラム過激派によるテロを機に、さらにイスラム教自体への偏見や弾圧が強まっている。その標的となっているのが一目でイスラム教だとわかる女性たちのヘッドスカーフだ。イスラム女性を狙った暴力事件や、公共の場でのヘッドスカーフ着用を禁止する法律が制定されている国もある。
また、戒律上強制的にヘッドスカーフ等を着用させられているという偏見があり、フランスの学校における着用禁止を巡った裁判でもこうした見解が示されている現状がある。
これらに対し、サビハはヘッドスカーフ等の着用がむしろアイデンティティであり、誇らしいという想いを示しているように見える。



例えば、2枚のコーランスクールの新入生の写真。
1枚目にはヘッドスカーフをしていない少女の姿が写っている。
2枚目では、その少女が人生で初めてのヘッドスカーフをして、コーランを片手に持っている姿へと変化している。
この2枚の写真では、コーランスクールを通して少女が1人の人間としてのアイデンティティを確立していく第一歩を踏み出した姿が表現されているのではないか。
幼いころヘッドスカーフでサビハ自身がアイデンティティを認識したように。


 これまでヘッドスカーフに着目してきたが、それ以外の写真においても少女たちのありのままの姿が見て取れる。例えば、学校の許可なくこっそりと外へ出かけていく少女の写真や、椅子に偉そうに座り風船ガムを膨らます少女の写真からは、ちょっとした反抗心や意思が育まれている様子も感じられる。育った意思は、卒業した後の人生できっと必要になるだろう。
こうした写真を通して、サビハにとってこのコーランスクールでの経験や思い出が非常に大切なものであり、人生にポジティブな影響を与えていることがひしひしと伝わってくる。

 彼女は今後の取り組みについて、少女たちの卒業後の姿を撮影したいと語っている。
少女たちとサビハ自身の物語はこれからも続いていく。
その幕開けともいえる本作は是非見ておきたい。

参考

https://www.magnumphotos.com/theory-and-practice/hafiz-guardians-quran-sabiha-cimen/

https://uk-podcasts.co.uk/podcast/a-small-voice-podcast/135-sabiha-cimen

執筆者


Jumpei Sakairi
早稲田大学法学部卒

フリーライター
写真、ファッションについて。
編集の仕事がしたいです。
Contact: nomosjp@gmail.com


サポートされたい。本当に。切実に。世の中には二種類の人間しかいません。サポートする人間とサポートされる人間とサポートしない人間とサポートされない人間。