初めての落語&講談(ゴスペルの)
今日は生まれて初めての、落語&講談に行ってまいりました〜( ´ ▽ ` )ノ こちら(東京)の、クリスチャンの友人の、ぜひに〜面白いよ〜〜というお誘いで。こちら↓↓です(^^)
その名もゴスペル落語会‼︎ ゴスペルっていうと、天使にラブソングを、みたいな黒人霊歌を思い浮かべる方も多いかと思いますが、本来は「キリストの福音」のこと。で、ゴスペル落語とは、福音をより多くの方に知ってもらうために、キリスト教や聖書を題材にした落語のこと、なんだそうです(^_−)−☆
このゴスペル落語、普段は大阪でやられているようで、東京進出は今日が初のよう。出演者のほとんどがキリスト教の、カトリックではなくプロテスタントの教会の信徒の方や牧師さん、牧師さんの奥様といった方ばかり‼︎
会場は常盤台バプテスト教会というところですが、わたしはプロテスタントの教会はほとんど入ったことないので、「へぇぇ。こんなところかあ」とまずは“ガン見”(って言葉悪いですねーー)。
おわかりですか? そう、プロテスタントの教会ではカトリックと違って祭壇の正面に十字架のキリストの像なんてありません。マリアさまの御像もなく、至ってシンプル⭐︎⭐︎
そして「前座の前座」で、‘おしゃべり賛美家’を名乗る方の独唱が始まりました〜( ´ ▽ ` )ノ
神さまのお恵みを歌で語るのが生き甲斐という彼女の美声に聞き惚れた後はいよいよ、お待ちかねの落語START‼︎
まだ「前座」ですが、最初の方は、教会の幼稚園バス運転手歴11年、ベテランのクリスチャンでいらっしゃるわかさぎ亭福助さん(*^_^*)
ショッキングピンク(紫??)の着物にツルッツルの頭が眩しい福助さんは、「母ちゃん、俺らあこのまま歳取って一人じゃあなんにもできなくなるのかねえ」「うるさいねえ、このオタンコナス、優しい女性に声かけられたら、その時はもう騙されてるんだからよく覚えときなよ」「何言ってんだよ。こちとら信仰歴30年だよ。でも神様に委ね切ったって心配なこたぁあるんだよ」ってな感じ^^;
で、お次はこの方々!!子羊家慶子さん(牧師夫人で、腹話術を通して神の愛を伝えている‥)とお猿とカエルちゃん^^
登壇するなり、「バナナの歌」を歌いたいというお猿ちゃん(名前は不明---;)と「カエルの歌」がいい!というカエル君(名もカエル?)で争いにーー。結局、♪♪バナナが一本ありました♪♪ カエルの歌が〜 ♪♪遠い南の空の下〜♪♪ 聞こえてくるよ〜‥と両ソングが見事なハーモニーを奏で、全く違和感のないことが分かったのでした^^
さらに慶子さんの話は、有名な「アメイジンググレイス」の歌の秘話に。実はこの歌、イギリスからアフリカまで奴隷を買いに行く商売をしていたジョンさんが作ったもので、ある日、大嵐に遭った彼がそこで初めて自分が「途方もない罪人=つみびと=であった」と気づき、祈り、無事に助かって牧師になってから、神に感謝して作ったというあらましを聞いて、みんな、「へーえ、そうなんだ」と心から納得。慶子さんは神さまは「途方もない救い主です」と締めくくりました。
お次は、福音亭ぱすたさん。「パスタと言っても、食べる方じゃあありませんで、英語で牧師をパスター(pastor)と呼ぶところから来ています」と高座名を説明するぱすたさん。子どものときから落語がお好きだったそうで、「社会人落語日本一決定戦」にも連続出場の経験を持つというツワモノ。「神さまとわたしたちの関係を表しているようで大好き」という新約聖書の中のペテロの書簡に出てくる《あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです》という箇所をベースにつくられた落語「里帰り」を披露。姑が憎くてどうしようもないという娘を心配しながらも見守り、決して悪い方向へいかないように導く父親の話を面白おかしくしてくれました^^ それにしても、聖書の話から、あんな落語が生まれるなんて摩訶不思議〜。
ここでいよいよ、最後から二人目に登壇は、聖書講談の神田ナザレさん(もちろん普段は牧師さんのようです)。わたし、そういえば恥ずかしながら、落語と講談の違いもよくわかっていなかったのですが、このナザレさん、登場してくるときから、やっぱ全然違う!!なにより、“張り扇”というもので、「パン、パン、パパパン」とよく叩かれるんですね^^ そうか、忠臣蔵や四谷怪談など実際にあったこと(あったとされること)をテーマにしゃべるのが講談師か。。それに、「落語は登場人物になりきるが講談はストーリーテラー(第三者)の立場を崩さない」(ヤフー知恵袋の回答より^^)というのがいちばんの違いのようですね。あっナザレさん曰くいちばんの違いは、最後に、「この続きはまたの機会に‥ペケペンペンペン」と、またの機会があってもなくてもそう締めることとか^^
で、このナザレさんのこの日の講談は「超人サムソンの恋」。超人サムソンといってもなかなか知らない人が多いでしょうが、旧約聖書の士師記に出てくる古代イスラエルで怪力の持ち主としてしられる実在の人物なんですね。なんと背丈だけでも2m94㎝もあったというから本当の大男。パンパン! このサムソンと、デリラという美しい女性の悲恋?ともいう話に、ストーリーテラーになりきったナザレさんの講釈でぐいぐいと引き込まれてしまいます。これ本当に旧約聖書の有名な話ですし、もっと簡単に知りたい方は、wikipedeaでサムソンを引いて読んでもらってもわかるんですが、やっぱりナザレさんの講談で聞くのがいちばん\(^o^)/
「ああ俺はバカだから、あんた(神)にもらったもんをなくしちまった。あと一回、あと一回でいいから力をくれ‥‥」とクライマックスに持っていったところで、「ハイ、この続きはまたの機会に」^^
いやあ、講談って面白いですねえ。またの機会が楽しみになってしまった私です^^;
そして!! 大トリはこの方、万難を排して大阪から駆けつけられた「露のききょう」さん\(^o^)/
この前のナザレさんが大受けだったのでかどうだか「わたしは神田さんのおまけ」と控えめな姉さん。実は乳がん治療のため頭はウィッグなのだそうで、「サムソンもウィッグつけたら良かったのに^^」(なんでか知りたい方は旧約聖書か、せめてWikiをどうぞ、としつこい私^^;)と言いながらの御登壇。
演目は準古典落語の「宗論」(福音バージョン)。狂言とかでこれをやると仏教同士の対決?になるそうなのですが、きょうは仏教とキリスト教で、店主が番頭とやりとりを交わす落語らしい?落語。「番頭どん、番頭どん、おまはん、どうも飯屋通いにはまっとるそうやないか?」と番頭を責めるところから始まり、「うちのあの道楽もんのせがれには困ったもんや‥」という本題に。実はこの店、仏壇屋で浄土真宗という設定で、道楽もんのせがれというのが、教会に入り浸り初めて困っているというお話のよう。。そこでまあせがれを含めいろいろとやりとりがあるわけですが、最後は番頭さんが「仏壇屋の親子が宗教のことでもめるとはぁ世間体が悪い。宗論はどちらが負けても釈迦の恥と言います」などと言い出し、店主が「番頭、おまはんもひょっとしてせがれと同じ穴のムジナか?」と聞くと、「はい。いいそびれましたが、うちは代々の隠れキリシタンで。ですから飯屋(メシヤ)が大好きなんですわ」。チャンチャン^^
はい。落語&講談会報告は以上です。この続きはまたの機会に(はありません)^^;
最後に、教会の上の方にあった葡萄の木のステンドグラスを↓↓あっ窓が十字架の形になっている(^_−)−☆
そして、隣の保育園に可愛い字で掲げてあった聖句です^^
はい。みなさんもできるだけ、りんじんをじぶんのようにあいしましょう*\(^o^)/*
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