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言語化が苦手な、わたしたちへ

学生の頃に読んだ、某タレントさんのエッセイ本。
そこには、怒られたり喧嘩になった時、
●「パッと言葉で返す派」
●「とりあえず涙が出てきてしまう派」
の二通りの人がいるよね、というようなことが書かれていました。
もう正確な文言は忘れてしまったけれど。

今日はその後者、「とりあえず涙が出てきてしまう派」の
あなたとわたしに向けた記事です。
解決策とか、思考法の話ではありません。
むしろ「しかたないよね」っていうおはなしです。

■”後者”なあなたはきっと

どこかしらで、言語化に詰まってしまうひとなのだと思います。
どう言葉にしていいのかわからない。
どこから伝えていいのかわからない。
どの切り口で返したらいいのかわからない。
自分の中で言いたいことの辻褄が合わない。
相手を傷つけたくない。
これを言ったら、もっと怒られてしまうかも。

…もちろん、他にもあると思います。
そうして、詰まっている間にどんどん次の言葉が降ってくる。もっともっと、こんがらがってしまう。
大人になって泣くことこそ少なくなったものの、うまく返せないことは変わらなくて。

■言語化が「遅い」のか、「できない」のか

私はゆっくりゆっくり考える時間をもらえたら、こうして文章には起こせます。むしろ書くこと自体は好きなくらい。
だけど本当に遅い。
自分が何を言いたかったのかを整理して、相手の主張とすり合わせてまとめるには3日とか1週間とか、下手すると1ヶ月かかります。
もはや相手も「今更もういい」感ハンパない。そして言い返されるとまた詰まる。

人によって、ここは色々だと思います。
私みたいに時間がかかるだけ、という人もいれば、時間があっても「言葉」ではやっぱり表せない人もいるでしょうし、その分それを他でエネルギーに変えられる人もいるかもしれません。
芸術とか、スポーツとか、ゲームとか。仕事とか、家事とか。

■それはとても、優しいことなのかなって

嫌いだったこの性質。
でも、見方を変えればそれはとても優しいことなのかもしれない。最近はそんなふうに解釈してみるようになりました。

だって、すぐに言葉を返せるということは、おそらく(やろうと思えば)人を傷つける言葉も出せてしまうということ。
だから世の中には、教訓として「口は災いの元」なんていう言葉があるのでしょう。

根本的にそれができないわたしたちは、自動的に「優しい」部分を持っているのかもしれない。
改めて「言葉に気をつける」ということをしなくても。今はそうも思っています。

■きっと生きていく上では不利にしかならないけれど、

言語化が遅い/できない。
これはきっと、社会生活を送る上ではマイナス面のほうが多いのだと思います。

大人になって、例えば契約など交渉の場では、本当に不利にしかならないと強く感じました。

プライベートでも、わかってもらえない、わかってくれる人なんかどこにもいない、と思うことも死ぬほどあった。悔しいと思うこともたくさんあった。
言えてないんだから当たり前なんだけど。

でも、「わかってもらえない」という側面があるとしても、私はこんな自分でいこう、と少しずつ思えるようになってきています。

私は文章にはできるから、気をつけなければ人を傷つける言葉もきっと書けてしまうのだけれど、私以上に苦手なあなたは、もっともっと、優しい素質を持っているはず。

会議とかディベートとか、「言葉」が重要になる場面は、「パッと言葉で返せる派」の方たちに活躍してもらうとして、こちら派はこちら派のペースで、生きていこう。

言語化が「遅い」んだとしても、「できない」んだとしても。
それでもそばにいてくれる人がいるって、きっといつか現れるって、そう信じながら。

大丈夫、きっといる。
だってここにもいるんだもん。ずっと昔のその本だって、そういう派がいるって、知ってたんだもん。
だから大丈夫。そのままの自分でいい。いいんです。



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