愛をこめて、さようなら
私の育った家は、典型的な引きこもりニートが育つような家だったと思う。
以前何かのドラマを見ていた時に、息子が引きこもりニートな家庭の描写があって「わぁ、我が家とそっくり〜〜」と傍観していたのを覚えている。
だから反抗もせず、我慢に我慢を重ねて耐え抜いた私たちきょうだいの忍耐力は群を抜いているとは思うよ。
……それがよかったかどうかは別として。
だけどずっとずっと、大人になってもまだずっと、(少なくとも私は)その育ちに囚われていたんだと思う。
そんな家だったから、自己肯定感が全くなかった。
自分に自信がないというか、そもそも「生きててごめんなさい」スタンスで、何に対しても誰に対しても、どこか申し訳ない気持ちがあった。
反面、ずっと反抗したかった気持ちも消えなくて、変なところで自己愛が出たり反発してみたり、自分でも自分が扱いづらくて。
自分が本当は何を求めているのかも、どうしたいのかもどうしてほしいのかも、もうわからなくなっていたから。
でもどうしても抜け出せなかった。
どう改善していいのか、どう生きたらいいのか、どこから着手していいのか、どれも全然わからないままだった。
多分、未だに囚われているという自覚すらなかったからかな。
だけど、初めて「私の中身をちゃんと見てくれている」って思える人に出会った。
その人が私に、「素敵なところがあるんだから、もっと自信持って」って言ってくれた。
どれだけ嬉しかっただろう。
私も自信持って生きていいんだ、って思った。
そもそも初めて、そう思っていなかったことに気がついた。
多分、どっちが欠けてもダメだった。
こんなにも中身を見てくれている、と思える人にそう言われたから、響くものがあったんだと思う。
多分その人からしたら何気ない一言だったんだろうけれど、本当に嬉しかったんだよ。
そして、自分がされて嬉しかったことは、人にもしてあげたいなって思ったから。いつか私もそんな人になりたい。
まずは、自分のことなんとかしなくちゃ。
その言葉をしっかり胸にとめて、自信を持って生きていきたいなって、そう思ってる今年です。
もう会えない人だけれど、心からの感謝と愛をこめて。