幸せになって、いいんだよ。
去年から今年にかけて、いろんなことがありました。
新しい仕事を始めたこと。
その仕事を1年で退職したこと。
ずっと子供を欲しがっていた友達が出産したこと。
ずっと結婚したいと言っていた友達が結婚したこと。
ここ数年疎遠にしていた身内と連絡を取るようになって、近況を把握したこと。
そして、自分が日本を飛び出したこと。
…まだまだある。全然書ききれない。
でも、印象深いことを一言でまとめるならば
「結構、大事な人たちの幸せを見送ったなあ」ということ。
とても感慨深い感じです。
そんな今思うのは、「私も、幸せになろう」ってこと。
今、日本にいなくて、そこはかとなく自由を感じているから余計にそう思うのかもしれないけど
今までの私は、どこか幸せになることを(勝手に)遠慮していた部分もあったんじゃないかと気がつきました。
実際、子供のころは
「何の苦労も我慢もせずに、お前だけニコニコ幸せそうに存在していいなんてありえない」
という圧を家族からすごく感じていたし
友達の結婚や出産も、みんな苦労したり頑張ったりして、やっと掴んだ幸せだった(というふうに私には見えた時もあった)から
勝手にひとりだけ幸せになっていいなんてあんまり思えてなかったのかなって。
無意識レベルで。
別に誰かのせいにするつもりじゃないんです。
私の内面の問題だから。
大体、そこ遠慮するなんてそんなの友達に対して失礼だよねって自分に怒りたい気分。
家族についてだけいえば、「結構あれ辛かったんだけどなー」とは思うけど
家族自身がすごくすごく我慢して生きてきた人だったから
まあ仕方ないよね、と「今は」思っています。
私が辛かったことと、あの人もそうなってしまうほどしんどい人生だったこと、は、同時に成立しうるから。
どちらも否定していいものではない。
と、なんだか自分語りになってしまいましたが
言いたいことは、
「幸せになることを遠慮してる人って、実は結構いるんじゃない?」
ってこと。
自分でも気づかないレベルで。
周りに幸せそうな人が全然いなかったら、自分が幸せになれるイメージなんか持てないし
周りに圧の強い人が多かったら、自分だけ幸せになって抜け出していいってなかなか思えないし
いつも愚痴や不満に塗れたところに居たら、なんとなくそっちに……そういう思考回路に引っ張られてしまうことだってあるし。
優しい人は特にそうなんじゃないかな。
みんな幸せになっていいんだよ。
幸せって何?全然イメージ湧かないんだけど?
っていう現状だったって、別にいい。
何が幸せか、も人によって違うし。
ただ、自分がすごく幸せになる未来だって、あったっていいんだってことを
否定しないでほしいなって、言いたい気持ち。
それがたとえ宝くじが当たるような確率だったとしたって
まずは否定しないことが大事だと思うから。
私は幸せになりたいし、みんなみんな幸せになればいいと思ってるよ。
そんな今日だよ。