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それでも、私はわたし。

高校のころ、私はいわゆる「進学校」に通っていました。
校則が無いに等しい学校だったけれど、それでも奇抜なことをする子はほぼいない真面目な学校。

そんな同級生のみんなだから、しっかりした子ばかり。
できた人間というのはこういう人のことを言うのか、と驚くレベルで私にはみんなが高尚な人に見えていたし
内面だけでなく、学業だけでもなく、天が二物も三物も与えたような子がとても多かった。



すごく、苦しかったです。

うっかり受かってしまったものの、全然ついていけなくて私の成績は下から数えて片手に収まるレベル。
部活も途中で辞めてしまったし、体重だって医学的に「肥満」に入る数字だった。
何もかもが残念って思い知らされる日々が続いて、家族にも呆れられ続けて、
それでも卒業できたのは、やっぱり周りのみんながいい人だったから、という葛藤。

…から離れて、みんなそれぞれ大人になった今。
まだ仲良くしてくれている子が今度出産するというので、会ってきました。
そこでうっかり「他のみんなはどうしてる?」と聞いてしまったのがいけなかった。

彼女は私が聞いた通りにいろんな子のことを教えてくれたけれど、賢いみんなだもん、すごく”ちゃんとした”人生を送っていた。

きちんとしたところに就職して、素敵な人と結婚して、もう子供が複数人いて、それぞれの仕事でも活躍して…


聞くんじゃなかった。
仕事は続かない、結婚もしない、子供も特に望んだことはない、現在無職の私。
どうにも惨めになりました。




そんなふうにここ最近落ちていたけれど、戻ってきたよ。
無職だけど、前の仕事を「辞めよう」って思った自分の意思通りに動けた自分のことは、やっぱり嫌いではない。後悔もない。

こんなだけど、私はわたし。それでいい。


だし、多分みんなは私がそこまでコンプレックスを持っているとは思ってないんじゃないかな。
そしてそれと同様に、きっと本当は、私が思っているほどみんなもスーパーマンじゃないんだと思う。

完璧な人生なんてどこにもなくて、みんなそれぞれ、毎日を乗り越えて生きている。
それを勝手に「いいよね、みんなはさ」ってひねくれて片付けてしまうことは、とても失礼なことのような気もして。



それに、コンプレックスの塊だけど、やっぱり「みんながいてくれたから」と思い出すこともたくさんある。
辛いほど素敵で、憧れて、追いつけない、眩しいくらいの同級生に恵まれたことは、苦しかったけどやっぱり私の財産で。


まだまだ、人生は続く。
ちょっとずつでも前に進んで、ちゃんと堂々と会える自分になりたいな。

これでも、昔よりはずっと、自分のこと好きになれてるから。



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