見出し画像

語学学校を辞めた話。

今回の海外旅行では、いくらかの期間、語学学校も申し込んでいました。
完全にフリーで旅行するよりは、通学期間中は宿も安く手配できるし
暮らし方やローカルルールを教えてくれるのはもちろん、
遊び方や名所も教えてくれるし、ツアーもあるし
そもそも私は英語力がかなりアレだし、
いろんな点でプラスになるかなと思ったからです。

でも、やめちゃった。
一日目で「うん、やめよう」って決めた(早い)。

この根気のなさに、「本当にいいのか…?」ってモヤモヤしたけど
結局二日目に「今週末で出ます」って言ってきた。

ひとつ前の記事にも似ていることなんだけれど、
私たちの時間は有限なわけで。

私が今回海外に出てみた理由をもう一度きちんと整理したら、
一番上に上がってきたのは
「海外で暮らす、をしてみたい。」
ただそれだけでした。

なら学生(も)やっててもいいじゃん?とも思うけど
そうではなくて、住んでみたい街、見たいものやりたいこと、他にあるよねって気づいてしまった。

今は、勉強より遊びたい……!いろいろ、したい!

語学学校ありきで街を選んでしまったけど、本当に住んでみたい街は他にあったし
英語力を上げることが一番の目的でもなかった。
(まぁ、計画段階で気づけてたのがベストなんだけど)

そしてそう気づいてしまったら、教室の机に座っている時間がすごくもったいなく感じてきて
途端に退屈になってしまったし
「これなんの時間なんだっけ」みたいな心境で。

確かにお金はもったいないんです。
返ってこないし、宿を取り直すお金もかかるから。
でも、つまんなそうな顔して、やる気なく毎日数時間をここで過ごすことと
思い切って行きたい街に行ってみるのと、どちらが有意義なんだろう。
そう考えたら、やっぱり辞める選択になりました。

今までの私だったら、悩んで悩んで、ずるずる続けちゃってた気がする。
この国にいられる期間が限定されているからこそ、できた決断だと思う。
こんなに長期間海外に来られる機会も多分もうないと思うし。

だけど本当は、人生っていつだってそうなんだよね。
みんな平等に、必ず終わりがくるはずのもので。
…とはいえ、私だって日本に帰ったらきっとまた、終わりなんて意識せずに暮らしちゃう気がするけど
だからこそ、一回でもこういう自分らしくない決断ができたことは良かったのかもな、
なんて思いました。



ちなみに、語学学校を申し込むのに昔の勤務先を頼っていました。
だから「ごめんなさい」って報告したら
「気にせず、思い切りやりたいようにやってきてください」
っていうお返事が返ってきた。

すごくすごくありがたかったし、
私もそうやって、誰かの決断とかチャレンジを応援してあげられる人になりたいなって思った。
これもまたひとつの学びであって、こうやって実体験を伴って人から学んでいけることって
すごく貴重なことだと思います。

なんでもない、人生の一コマ。
今は大きな決断をしたって思っているけど、多分大したことのない、
自分ですら数年後には忘れてしまっているかもしれない出来事。
だけどきっと、そういう経験のひとつひとつが、もらった優しさのひとつひとつが…
気づかないうちに人間を形成していくのかな、人生を作っていくのかな。
そんなふうに思ったりしました。

思い切って来てるんだ。
ちゃんと、やりたいことやろう。


いいなと思ったら応援しよう!