プロフィール その②
こんにちは♪
診療看護師(NP)を目指す
アラフィフ看護師です。
『 インナーチャイルドの癒し 』
夕べは枕元に亡くなった兄と父(健在です)が現れました。
そう言えば、私が育って来た環境や家族のことは書いて来ていなかったなぁと思い、書き綴っています。
兄は私が中学1年生の時に亡くなりました。恐らく家族の中で、生前最後に顔を合わせたのは私だと思います。
そして、この出来事によって、きっと無意識下で
「強く生きなければならない」
「期待に応えなければならない」
と、自分を痛め続けてきたのかもしれません。
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22年前のお盆最終日、父は仕事で当直当番のため留守でした。
兄は当時原付バイクの免許しかありませんでしたが、150ccに憧れ、知り合いから譲り受けていたのです。
父からは危険だからと注意を受けていたのですが、兄は我慢出来なかったのでしょう。
地区の盆踊りから帰った私に
「友達に会いに行くから、閉めといて」
と言い残し、150ccのバイクを押しながら出掛ける姿を
「気を付けてね」
と見送ったことを、
ついこの前のように鮮明に覚えています。
そして、その日の深夜、姉に叩き起されました。
「あんちゃんが事故したって!!」
私は飛び起きました。
母は連絡を受けて直ぐに現場へ向かいました。
そして、家に残る祖母、姉と
神棚(我が家は神道でした)の前で、
ひたすら
「兄を助けて下さい」
と手を合わせ祈り続けました。
現場であったことについては後に聴きました。
「我が子を失う辛さ」
母はその日からノイローゼになってしまいました。
※ノイローゼとは(http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/104529/070727.html)
そんな母を毎日、目の前にし、
それでも、父は毅然と現実に立ち向かっていました。
我が子を持った今、私に同じことが起こったならば、このように前を向いて生きていくことすら出来ているだろうか。。。
父は後になって、私達娘2人が自分達を励ましてくれたのだと言います。
元気を失う自分達に
「私達がいるんだよ!!そんなんじゃ、私達はどうしたらいいの??」
そう言われて、ハッと我に返ったと教えてくれました。そう言った当人は覚えていないのですが。笑
兄が亡くなって22年、今でこそ笑い話に出来ます。
そして、母とは「良く乗り越えて来たよね…」と。
我が子を突然、失う辛さ。体験したくもないけれど、想像も出来ません…
「我が身に代えてでも助けてやりたい!!」
きっと、そういう思いだと思います。
子育てをする中で、グレーゾーンではありましたが、発達障害の子を2人抱え、それでも一心不乱に突き進んで来たこの人生。
兄は一体、私に何を伝えたかったのだろう。。
涙が溢れて仕方ありませんでした。
誰もがいつかは死を迎える。
だからこそ、今を精一杯生きる。
自分の人生が最高だったと言えるように、
楽しみ、
輝きを持って日々を送って欲しい。
「オレは楽しかったよ!!」
兄はそう言ってくれているように感じました。
兄弟に生まれて来てくれてありがとう!!
たくさんの思い出を遺してくれてありがとう!!
いっぱい喧嘩もしたけれど、
たくさん笑わせてくれてありがとう!!
兄が居なくなったことで、
親の手を煩わせまい
親に迷惑をかけまい
兄の分まで立派になって、親を喜ばせたい
親に笑顔になって貰いたい
無意識に見えない重い鎧を自分に着せて
一生懸命、頑張ってたんだよね。。私
今になって、ようやく少しずつ
鎧から袖を外し、
重い荷を降ろせている気がします。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます♪
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