トゥーランドットははじめになんと言ったんだっけ。【小説】

 トゥーランドットははじめになんと言ったんだっけ。

 薄暗い部屋の中で、あたしはあんたの首筋に頬を埋めて、あんたの背骨を指でなぞった。長い髪をかき分け、尾骶骨まで。つぶれた胸の奥で、あんたの心臓がどく、どく、言っていた。

「ねえ、くすぐったいよ」

 あんたは歌うように笑った。ナイチンゲールみたいな声だった。あたしはそれが愛しくって、もっと啼いてほしくて、首筋の動脈を喰んだ。そこもどく、どく、言っていた。

 そうだ。トゥーランドットは二言目にはこう言った。炎の如く燃え上がるが炎ではないもの──それはなに? カラフは答えた。それは血潮。

 あんたの血潮も、炎のように熱いのだろうか。

 きっと熱いのだろうな、だって指先も、唇も、肌もこんなに熱いのだもの。ソドムに降り注いだ火の粉より、熱い。

 あんたがあたしの名前を呼んだ。それで胸がきゅっとなって、あたしはなんだか泣きたくなった。すん、と鼻を鳴らすと髪をなでられた。大丈夫だとあやすみたいだった。

 目を閉じる。深く息を吸い込む。あんたのにおいがした。汗と肌のにおい。どうしようもなくそれが好きだと思った。苦しいくらいに。だからもうひとつ、息を吐いて吸った。

 そうやって肺に空気を満たせば、すこしはこの心の穴も塞がるような気がした。

 苦しい、ということはあたしの体に染みついてしまって、もうなにに苦しんでいたのか忘れてしまった。ただ朝日とともに目を覚ますと、ゆっくりと毒が全身に回るみたいに絶望が私を侵していく。誰かがそいつを、死に至る病だと呼んでいた。

 ただ、あんたと肌をよせあって眠る夜の間だけは、楽に息ができた。

 だからこのまま目を覚ましたくないな、と思った。苦しみと一緒に溶けて消えてしまいたかった。

 肺に満たした息を吐きだすのと同時に、短く言う。

「あたしと一緒に死んで」

 あんたは笑った。

「ルドルフとマリーみたいに?」

 あたしは答えた。

「ロミオとジュリエットみたいに」

 本当はどっちも違うな、と思った。世界中に散らばる物語はどれもこれも男と女の物語で、どうしたってあたしたちに重なるはずがない。

「じゃあ名前を捨てなくちゃ。ロミオがジュリエットのために名前を捨てたのと同じように。でもそうなったら、もうきみの名前を呼べなくなっちゃうね」

 それは嫌だな、と思った。あたしの名前を呼ぶあんたの声が、いっとう好きだから。

 あんたの声はナイチンゲールだ。夜を告げる鳥。あんたの声が聞こえる間は、あたしは自分の胸に空いた穴を忘れることができた。

 だけど、ひばりが啼いたら。

 思い出した。トゥーランドットは一言目にはこう言ったのだ。夜とともに生まれ、夜明けとともに死ぬ──それはなに。

 カラフは答えた。それは希望。

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