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DJ Mad Dog『Downtempo』特集企画第一弾 / DJ Mad Dog ロングインタビュー

ハードコア・テクノへの強い情熱を持って常に挑戦的な活動を続け、長きに渡ってハードコア・シーンのトップ・プロデューサーとして君臨するDJ Mad Dogのインタビューを公開。こちらのインタビューは2023年3月に行われたもので、Mad Dogが2022年に発表したアルバム『Downtempo The Album』に合わせて企画されたインタビュー記事の第一弾です。第二弾も近日中に公開予定となっております。

DJ Mad Dog
https://www.instagram.com/djmaddog/
https://www.djmaddog.com/

イタリアはローマ出身のFilippo CalcagniことDJ Mad Dogは16歳の頃にHardcore Terroristsというグループに参加し、その偉大なるキャリアをスタートさせます。
1999年にImpulse Factory meets Three Village & Hardcore Terrorists名義にて12"レコード『Try To Make It Harder EP』をTraxtorm Recordsからリリース後、2000年にソロプロジェクトとしてDJ Mad Dogを始動させ、デビュー作『The Memory Disappears』を同レーベルから発表。

2000年代はTraxtorm Recordsを拠点に定期的にシングル/EPをリリースしていき、TommyknockerやNoize Suppressorといったイタリアン・ハードコア界の重鎮プロデューサーとのコラボレーションを実現させ、Traxtorm Recordsの看板アーティストとして活躍。『Dangerous』『Enter The Time Machine』『Payback Time (The Official Thunderdome Anthem)』『Here Comes The Madness』といった名作を立て続けに発表。ハードコア・フェスティバルには欠かせない主要アーティストへと昇りつめ、2007年8月にはTHE DAY OF HARDCOREにて初来日も行われます。

2011年にリリースしたシングル『A Night Of Madness』と『Hardcore Machine』がハードコア・シーンで大ヒットを記録。Mad Dogの情人離れしたプロダクションと未来を見据えたビジョンはメインストリームだけではなく、アンダーグラウンドからも支持され、2013年発表のアルバム『Rudeness Hardcore Beyond Rules』によってMad Dogはハードコア・シーンにおいて名実ともにトップ・プロデューサーとして決定づけられました。

2016年からは自身主宰レーベルDogfight Recordsをスタートさせ、AniMe、Bloodfire 、Broken Minds、DJ Myosuke、Odiumといったアーティストのシングルをリリース。Mad DogとDogfight Recordsはハードコア・シーンの中心的な存在となっていきました。

そして、2021年にMad DogがDogfight Recordsからリリースした『Downtempo EP』はハードコア・シーンに大きな衝撃を与えました。

『Downtempo EP』ではビンテージなアナログ機材の個性的な音を巧みに操り、太くて丸みのある有機的なキックと陶酔感を引き起こすメロディをミドルテンポをメインとした極上のグルーブで包み込み、ダンスミュージックとしてのハードコア・テクノを再定義。Planet Core Productions、Cold Rush Records、ISTといったレーベルが実験的な手法で開拓したディープなハードコア・テクノの可能性を現代的に解釈し、Mad Dogのスタイルへと昇華させたハードコア・テクノの未来を感じさせる素晴らしい作品でありました。
リリース後すぐに『Downtempo EP』は話題となり、オールドスクール・ハードコア愛好家からポストレイヴ界隈まで魅了し、Mad Dogの天才的な才能を改めて知らしめました。

2022年に続編『Downtempo EP II』をDogfight Recordsからリリース。前作よりも明確にMad Dogが目指す方向性が音に表れており、この頃からハードコア・シーンでDowntempoは新しいサブジャンルとして受け入れられます。
同年12月には『Downtempo』シリーズにMarc Acardipane、Gabber Eleganza、Angerfistとのコラボレーションや新曲を追加した『Downtempo The Album』をLPで発表。数時間でLPは売切れ、現在は非常に高価な値段で取引されるレア物となりました。

2022年頃からジワジワと巻き起こっていたミレニアム・ハードコアの再評価や、ハード・テクノとハードコア・テクノの関係性が深まっていった流れの中に『Downtempo』が与えた影響はかなり色濃く出ていると思います。
初期のハードコア・テクノが持っていたダンスミュージックとしての機能性、未来的なビジョンを持って実験的な挑戦をしていく姿勢を『Downtempo』はハードコア・シーン全体に呼び戻したのではないでしょうか。

今回公開するインタビューでは『Downtempo The Album』のリリース後、Mad DogにDowntempoが生まれるまでの背景、ハードコア・シーンの動向、今後のビジョンについてなど、いろいろと深く掘り下げてお話をお聞きしています。


<音楽的ルーツと活動初期に関して>

Q. あなたがハードコア・テクノと出会ったのはいつでしたか?ハードコア・テクノのどういった部分に魅力を感じましたか?

1993年の13才の頃に学校の友達がVirusというハードな音楽を流すラジオ番組を教えてくれたんだけど、それがオレのハードコアとの出会い。その放送中のCMの1つがReMixっていうレコ屋のものだった。お金を貯めて初めてそこでレコードを買ったんだけど、それはOmar Santanaが彼のH2O Recordsからリリースしたシングルだった。当時は祖父の古いターンテーブルしか無かったんだけど、そのシングルを繰り返しかけてたよ。

オレがハードコア・テクノに惹きつけられたのはそれがオレがそれまでに聴いてきたどんな音楽とも違っていたからなんだ。それはまるで他の惑星の音楽みたいで、未来的なサウンドに未だに魅了されているよ。

Q. あなたがハードコア・テクノに興味を持ったときのイタリアのハードコア・シーンの状況は?あなたの周りにはどういったハードコア・コミュニティがありましたか?

90年代を通してイタリアではハードコアとテクノとプログレッシブが大流行していた。4000〜5000人規模の大箱が何軒もあったし、Freddy Kがホストを務めるVirusみたいなラジオ番組や数多くのレコ屋があって、多くの若者がダンスミュージックにのめり込んでいたんだ。当時のプロデューサー達は新しいものや革新的なものを生み出そうと心がけていたよ、ソーシャルメディアの人気なんかよりね、まあ、インターネットもまだ無かったんだけど。

ネット以前の情報共有はより困難を窮めていたけれど、ローマのPower Stationていう特化型のFM局や、同じくローマのレコ屋ReMixで各々繋がって、フライヤーや雑誌から情報を得ていたよ。今時はより多くの情報ソースがあるけれども、情報が大量過ぎてより断片化している様に思う。

Q. あなたをハードコア・ヘッズに戻らせてくれる曲とは?

うーん、いっぱいあるけど「Dr Macabre – Poltergeist」から「D.O.A. - NYC Speedcore」まで、選ぶには多すぎるな。

Q. いつごろから音楽制作を開始されましたか?当時はどうやって曲作りを学んでいきましたか?

音楽制作を始めたのは16才の頃。当時、オレは古いAtariのパソコンとCubase 1.0、JunoのキーボードとサンプラーのAkai S3000を持ってて、それら全てはMIDIベースで、ラック(マウント)の音源とプラグインだった。最初に作ったのはハードコアチューンだったけど、フロッピーディスクへのセーブに失敗してその曲は消えてしまったんだ。初めて制作出来たのはキックドラムで、それは後にHardcore Terroristsという名義で初めてリリースした『Try To Make It Harder』で使ったよ。

1996年にはチュートリアルや音源ライブラリーはおろか、インターネットも無かったんだ。だから独学で失敗しながら学んでいかなくちゃいけなかった。機材の使い方を理解するのも膨大な時間と労力を要したし、情報の無さ故、この探求はオレの青春時代の多くを犠牲にすることになったよ。

Q. イタリアのハードコア・シーンの特徴的な部分とは?今と昔で変化した部分と変化していない部分とは?

イタリアのハードコア・シーンはジャンルに対するパッションと知識(の多さ)で有名だよ。イタリアはハードコアのムーブメントに最高の貢献をした(国の)一つで、幾度となくシーンの形成に寄与した名プロデューサー達を輩出している。近年の我が国の同シーンは衰退期にあるのかもしれないけれど、イタリア人のスピリットは不屈だし、シーンはまた強く輝きを取り戻すと信じている…イタリア人よ、永遠に。

Q. DJ MadDogとしての活動をスタートさせたのはいつからですか?

2000年にDJ Mad Dogと名乗る様になったんだ。1996年から2000年まではフルタイムのプロデューサーというよりはプロモーターやDJといった感じだった。オレ達はローマで3000〜4000人規模のパーティーをホストしていた。

2001年には大規模なベニューで多数の海外アーティストを招聘したローマ史上最大のハードコアパーティーの開催に尽力したんだけど、失敗に終わって全財産を失ったよ。その夜を境に(パーティーのオーガナイズを)辞めて、DJ Mad Dogの名前で新たなプロジェクトを始めたんだ。それは容易な選択では無かったよ。なぜならオレの昔のグループHardcore Terroristsは毎週末多くのギグをこなし、ラジオ番組を持ち、マーチャンダイズも手がけていたからね。オレ達はローマでかなりの大物だったんだ。

新たなプロジェクトは、またゼロからの仕切り直しで、国際的なキャリアの形成に6年を要したんだ。その6年間の奮闘は貴重な経験になったよ。その時期にトラックと(その)アイデアを(突き詰めることを)諦めない事を学んだし、Tommy KnockerやArt of FightersやNoise Suppressorみたいな偉大なプロデューサーの友達達に挑んでいくことを自分自身に課したんだ。同時にそれは有名になる為に(他人の)音楽をコピーするのではなく、自分自身を表現する方法を学ぶことでもあったよ。

<Downtempoに関して>

Q. 2021年にあなたはDogfight Recordsから『Downtempo』をリリースされました。このEPが生まれた背景を教えてください。当初から『Downtempo』はシリーズ化される予定であったのでしょうか?

うん、そうだね。コンピレーションアルバムの最高傑作を三部作で作るってプランだった。アイデアはコロナのパンデミックよりだいぶ前からあったんだ。
『Downtempo』シリーズの制作は(それまでとは)違うやり方で自分自身をより表現する手段で、オレの好みとは異なる近年の音楽制作のアプローチやハードコアの文脈からあえて乖離しようとする試みだったんだ。

Q. 『Downtempo EP』はリリース当時どういった反応を得ましたか?

『Downtempo』に対するリアクションは驚くほどポジティブだったよ。当時は200BPMの曲がトレンドで、これは個人的な意見だけど、(それらは)恥ずべき内容だと思っていたから、圧倒的に良い評価だったね。これはそれらの音楽に対して多くの人達が未だに自分と同じ視点を共有しているんだと確信したよ。

Q. 『Downtempo』シリーズ以前、メインストリーム界隈でフェイクドロップ的にオールドスクールなガバ・キックが使われたりなど、オールドスクール回帰的な動きが流行しましたが、これに対してはどう感じていましたか?

メインストリームにおけるオールドスクールなガバキックのリバイバルに関してはとてもポジティブな気持ちだよ。2019年に「Reset」っていうトラックを作ったんだけど、「音楽は円である(“music is a circle”)」っていうコンセプトで歌詞を書いたんだ。

オレは常に未来的なサウンドとテクニックを追求してるけど、過去を振り返り、近年に失われた何かを再発見する時に来ていると思う。昔のサウンドがハードコアのエッセンスを呼び戻す方法であるのならば、やってやろうぜ。オレ達はいつでも、明日にでもまた未来的なサウンドに立ち返ることが出来るからな。

Q. 『Downtempo』のリリース後、同じ方向性を感じさせるシングル「What Is Hardcore?」をリリースされましたね。なぜ、この曲でハードコアに対する強い意志を表現しようと思ったのでしょうか?

オレの方向性はいつだって同じで、ゴールはトラックの制作中に何かを感じたいってことなんだ。もしデモの段階でその何かを感じ取れたら、それは自分自身をそのトラックに投影できたことを意味しているし、最終的にリスナーがそれを聴いた時に自分の一部が彼らに届くんだ。

前の回答で言った様に、個人的な意見だけど、この数年でハードコアが失ったモノ、その何かを呼び戻したいんだ。EDMのギラつきやソーシャルメディアがなんとなくハードコアの本質的なメッセージをぶち壊している様に感じるから。

これも個人的な意見だけど、トラック制作が”いいね!”や再生数や知名度のみを意識したものであるなら、それはアーティストとシーンの両方にとって良い事はないと思う。このアプローチはシーンの価値を下げ、30年に渡って築き上げた歴史とその遺産を傷付けるかもしれない。だからこそ、オレは自分の音楽と会話を通じて意味あるメッセージを伝えたいって努めているんだ。まあ、でもこれもまたオレ個人の見解だけどね。

Q. 『Downtempo EP II』のリリースに合わせてライブパフォーマンスを行いましたが、このプロジェクトで表現したかった事とはなんですか?今後もライブセットを披露する予定はありますか?

オレはハードコアはシリアスなモノだってことを伝えたいんだ。ちょうど30周年を祝ったところだし、オレ達には驚異的なアーティスト達、プロデューサー達がいて、その影響はハードスタイルからハード・テクノ、ビッグルームEDMへと様々なジャンルに及んでいる。オレ達はシリアスなアーティストやミュージャン達によって生み出されたシリアスなムーブメントなんだ。そしてそれこそがオレがライブアクトで表現したい事なのさ。

今日の世界において、真っ先にフォーカスされるのはソーシャルメディアで’’イイね!’’やフォロワーを稼ぐこと、それはしばしばアーティスティックな表現を犠牲にしながら。オレはギミックや安っぽい小細工に頼らずに意味深くビジュアル的にもアピール出来るコンテンツを作ることは可能だと示したい。新たなパフォーマンスは正に制作中でもうすぐ出来上がるよ。

Q. 『Downtempo』シリーズにはビンテージな機材の音が多く使われています。メインの使用機材を教えてください。

オレはハードウェアの機材を多くを持ってて未だに使ってるよ。オレはそれらの機材で頭の中で鳴ってる音楽をより早く形に出来ると感じるんだ。例えばオレの古のRoland 909やKorg Monopoly、それに16才からの相棒Roland Juno、他にもいくつかの秘密兵器があるけど、胸の内に閉まっておく。

作曲する時はいつだって楽しいね、それが巨大なメインストリームのアンセムでもDowntempoのトラックでも。しかし同時にどの曲も個別のチャレンジを課していて、しばしば各曲毎に数ヶ月かけることもあるんだ。長く曲と付き合えば付き合うほど、より有り難みが増して誇れるものになるからね。

Q. 『Downtempo』シリーズはあなたのシグネイチャーサウンドの他に、過去のハードコア・サウンドからの影響が隠されずに出ていると思います。特に、Marc Acardipaneからの影響は色濃いと感じますが、あなたにとってMarc Acardipaneとはどんな存在ですか?

もちろん、オレはMarc Acardipaneと彼がキャリアを通じて成し遂げた事をとてつもなくリスペクトしてるよ。彼はハードコアシーンの真の伝説だし、彼の貢献はホントにすごすぎる。オレの『Downtempo』シリーズは他にもMiroやDr Macabre、Promo、そしてCatscanといった最高のアーティスト達から影響を受けているよ。彼ら全てを愛してるしリスペクトしている。

Q. 去年(2022年)、あなたはMarc Acardipaneのクラシック・チューンである『Atmos-Fear』のリミックスEPに参加しましたね。このリミックスを作る時に重要視したことは?

まずオレにとってこのリミックスを作る上で一番大事だったことはオリジナルのトラックをリスペクトをしてMarcが伝えたかったメッセージを残しておく様に努めることだった。同じサウンドを使い回すのではなく、ビッグトラックとして制作するチャレンジをしたかったんだ。オレはあの曲に大体1年を費やしたよ。オレ達は最近もいくつかの曲でコラボしたんだけど、オレ達のトラックのサウンドデザインやメッセージには似通ったテイストがあると思うんだ。

Q. 『Downtempo The Album』はLPでリリースされました。なぜこの時代にLPというフォーマットを選んだのですか?印象的なアルバム・ジャケットの写真についても教えてください。

オレがレコードのフォーマットを選んだのはリスナー達に形あってリアルなものを提供したかったからだ。なにか直に触れられて手に持てるものをね。オレはこのプロジェクトにシリアスでプロフェッショナルな感覚が欲しかった。レコードはステイトメントだ。これはこのアルバムが正式にリリースされて、オレ自身とリスナーの記憶に残り続ける事の表明なのさ。

オレはキスの写真(Mirk Kuitが90年代に撮影したもの)を選んだけど、パワフルなメッセージが伝わると確信があったんだ。時に、キスみたいな何気ないものこそモンスターやレザージャケットを着たアーティスト写真(過去にオレもやった笑)みたいなクリシェよりもっとインパクトがある、とね。

ジャケは愛をはっきりと表現したもの。それはオレ達のすべてのアクションを突き動かす力の源泉だ。何時間音楽を制作したって、パーティーに向かう努力をして、旅をして、チケットを買い、爆音のシステムの元で踊っても、愛こそが常に全ての中心なのさ。

Q. 『Downtempo』が与えた影響を客観的にどう感じていますか?

自分で客観的に『Downtempo』シリーズのインパクトは説明出来ないな。オレの曲にインパクトを感じた人達に評価は任せるよ。オレ自身にとっては、滅茶苦茶嬉しいインパクトがあったよ、スタジオで楽しむ別のドアが開いたんだ。映像作家の友達と色んなコンテンツを作ったり、作曲の新たな方法を探したりね。

<ハードコア・シーンの動向と未来について>

Q. 2020年からのコロナ過はあなたにとってどういった影響を与えましたか?コロナ以降と以前であなたの音楽観はどう変化したと思いますか?

正直なとこ、オレにとってはそんなに変化は無かったな、週末のギグがないから2日制作の日が増えたくらい。

Q. あなたはハードコア・シーンのトップにいますが、アンダーグラウンドからも支持されています。あなたは自身の立ち位置をどう捉えていますか?

オレ自身はハードコア・シーンのトップにいるなんて自覚はないよ。オレがトップだって思う奴もいるかもしれないけど、別の奴はオレを史上最悪のプロデューサーと見なすかもしれない。そんなのは全て単に見方の問題でしかないし、彼らの意見をコントロールするなんて多勢に無勢だよ。オレがシーンの立ち位置に興味がないのはそういうことさ。オレは音楽とコンテンツを制作するプロセスを楽しむ事にフォーカスするよ。

Q. アンダーグラウンドとメインストリームの関係をどう思いますか?あなたにとって「アンダーグラウンド」と「メインストリーム」とは?

これもまた主観的な問題だ。何人かがメインストリームだと思っても、他の奴らにとってはアンダーグラウンドかもしれない、その逆もしかり。オレはシンプルにその時に感じた音楽を作るし、それがメインストリームかアンダーグラウンドかはリスナーの判断に委ねるよ。

Q. あなたには素晴らしいサポーターが世界中にいますが、同時にヘイターもいると思います。ヘイターとはどういった存在ですか?ヘイターからの意見(コメント)で興味深かったものとは?

“ヘイター”っていうのも単に違った趣味趣向の人々ってだけの話さ、彼らの意見も尊重されるべきだ。オレは受け取った全てのメッセージに目を通す様に努めてるし、時には批評が参考になる事もあるよ。正直なとこ、オレは忘れっぽいけど、一番最近受け取った批評は"Downtempo”という単語の使い方についてのものだった。

コメントした奴はハードコア・ミュージックをそういったレッテルで決めつけるやり方に疑問があったんだ。個人的には、どんなテンポかに関わらず、キックドラムが歪んでるモノはなんであれハードコアだと信じてるよ。オレはハードコアのシーンで新たなサブジャンルを生み出す気なんて全くなかったんだ。でも、自分の音楽で自分のメッセージを伝える為に明瞭で見てそれと分かるレーベルを運営する事の重要性は理解しているよ。

Q. Dogfight RecordsからNightshiftの「I Am Doom」がリリースされました。これは伝統的なダークコアの雰囲気があります。また、ミレニアムも再評価されていますね。今後、またダークなハードコアがリバイバルすると思いますか?

オレはオレ達のハードコアにもっと多様なアプローチが齎(もたら)されることを願っている、ハードコアがより興味深くてパワフルになる様に。
それは全てプロデューサー次第だ、オレ達はもっと多くのプロデューサーを求めているし、彼/彼女達はいずれ独自のメッセージや視点を持ったアーティストに進化出来るだろう。

しかしながら、真にアーティストになるには、2つの道筋があって、一つは君が天才であるか(極めて稀なことだ)、または君がハードワーク出来て献身的な人間であるか、だ。

Q. Never Sleepなどのポストレイヴやハード・テクノに対してはどう思っていますか?

これに関してはとてもリスペクトしてるよ。彼らがやってることは多分最も難しいことの一つだと思う、なぜならハードコアが特段イイものだとは受け取られていないのだから。ジャンルやムーブメントは封鎖的でスノッブなものになりがちだけど、彼らはシーンに風穴を開けたし、アップテンポやRawの流行を追ってるだけのハードコア・プロデューサー達より遥かにハードコアのムーブメントを広げている。

Q. コロナ過を経て、ハードコア・フェスティバルは通常通り再開しています。ですが、ラインナップにはまったく代わり映えがありません。この状況は若手プロデューサー達のクオリティ不足なのでしょうか?それともフェスティバル側が保守的なのでしょうか?もし、現在のシーンや業界に問題があるとすれば、それは何でしょうか?

これはオレの意見だが、新しいプロデューサー達はまだ準備が出来ていない。オレは大物のプロモーター達が彼らのラインナップを増やしたいのを知ってるけど、もしその新しい”アーティスト”達がチケットを売れなくても彼らの責任ではないから、プロモーターはラインナップを繰り返すしかないんだ。オレは何人もの新人のプロデューサーがイケてる曲をいくつかリリースして、巨大なフェスのオープンアクトでプレイした後に数年で消えていったのを見てきた。

個人的な意見だが、大物プロモーターはラインナップに変化を求めているが、新たなアーティスト達はまだ準備が出来ていない。彼らがステージに上がる場合、3つのケースがある。

①君は即席スーパースターになる(極めてレア)
②君は成功したと勘違いしてエゴを膨らませて良い曲の制作がドンドン減っていく
③君はビッグステージの重圧に耐えきれず、スタジオで考えすぎて、リリースがなくなる

オレはいいプロデューサーになるのは多くの失敗と共に歩む長い旅だと信じている。失敗とハードワークが経験になり、強くしてくれる。そしてそれこそが真のアーティストになる為にプロデューサー達が毎日向き合うべきプロセスだと。
いずれにしても、時にOG達は若手よりも言うべきことが多くあるもんさ。

Q. これから音楽を作ろうとしているプロデューサー志望の人々に助言をください。また、すでに活躍していて現状に憤りを感じているアーティストへのアドバイスもあれば教えてください。

ここんとこ、全てが素早く変わっていくね。トレンドや、ソーシャルメディアや、プロモーターや、新たなビッグネームが。それらは君に多大なプレッシャーを齎すだろう、なぜなら君は考え過ぎて、イイ音楽を生み出すっていう本来の君のゴールを見失うからだ。

今日、昨日より遥かに厳しいし、今のシーンにオレが培ってきたメソッドは通用しないかもしれない。オレが出来る唯一の事は彼らの良い手本になる様にトライし続けることだ。故に、彼らの幸運と制作を楽しむことを祈るのみさ。

Q. 今後のあなたのスケジュールを教えてください。

もうじきJones and Stephensの「The First Rebirth」っていう曲のオフィシャルのリミックスをThunderdome Recordsかリリースする。それにこの伝説的な曲を祝う美しいPVも作ったんだ。

Q. 最後に読者にメッセージを。

日本と日本のみんながマジで恋しいよ。あなたの国は自分の国と凄く似てるって感じるんだ。共に豊かな歴史や、文化や、美や、美食があって。必ずまた近い内に会えると確信してるよ。

翻訳:L?K?O

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