『ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編』発売によせて②
前回に続いて、『ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編』の内容についてのちょっとした補足を投稿する。
『ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編』は、4つのチャプターに分かれて構成されている。まず、チャプター①は90年代のハードコア・テクノについての「90's Hardcore」、チャプター②はヒップホップやブレイクビーツ・ハードコアをハードコア・テクノに落とし込んだイギリス発祥のスタイル「UK Hardcore」、チャプター③はAlec Empireは中心にDigital Hardcore Recordingsが提示した「Digital Hardcore」、そして最後に番外編として「Post Rave」がある。
何故、ブレイクビーツを主体としたDigital Hardcoreがハードコア・テクノの本にあるのか疑問に思われた方もいるかもしれない。だが、ハードコア・テクノの多様性を理解して貰う為に最も適したジャンル/スタイルがDigital Hardcoreなのだ。
少し前ではあるが、インダストリアル・ハードコアやダークコア・シーンで人気のCelsiusがSozialistischer Plattenbauからジャングルのレコードを2枚出し、HellfishはSecret Squirrel名義を復活させて現代版ブレイクビーツ・ハードコアを展開。Coco BruceもDJ Y?名義を再スタートさせてモダンなガバを作っている。他にも、Terrorrythmusのようにガバとジューク/ジャングルをミックスさせたハイブリッド・トラックをリリースするアーティストや、New Framesみたいにハード・テクノからハードコア・テクノ、そしてジャングルやブレイクビーツ・ハードコアをDJプレイするアーティストも増えている。こういった状況も踏まえて、今再びDigital Hardcoreについて知る事は90年代のハードコア・テクノの多様性と現代に通じるハイブリッド思考の原点を知る手がかりになるはずである。
ハードコア/テクノにおけるブレイクビーツ
90年代のテクノに詳しい方であればご存知だろうが、90年代前半のテクノ・シーンには非常に多くの方向性が混在しており、BPMもバラバラでサウンドのアプローチも様々であった。四つ打ちだけがテクノではなく、ブレイクビーツが前面に出ているトラックもテクノとして扱われ、DJミックスでは四つ打ちからブレイクビーツまで全て繋がっていた。勿論、90年代前半以降もテクノの多様性は維持されていたが、90年代前半のフォーマット化される前のテクノ・シーンはより独創性に溢れ、多種多様な方向性が「テクノ」という一つの流れの中にあった。
ハードコア・テクノにとってもブレイクビーツは重要な要素の一つである。Lenny DeeはFrankie Bonesとの『Just As Long As I Got You』などでUKとは違ったUS印のブレイクビーツを作りだし、その後の彼のハードコア・テクノのプロジェクトにおいてもブレイクビーツがハードなサウンドを手助けしている。Patrick van Kerckhoven(DJ Ruffneck)も80 Aum時代から既にブレイクビーツを重視していて、それがArtcoreスタイルの発展の元となったのではないだろうか。
ハードコア・テクノが単一のジャンルとして拡大していった時でも、PCPはサブレーベルWhite Breaks Frankfurtでブレイクビーツ・ハードコア/ジャンルに特化したレコードをリリース。Marc AcardipaneのWhite Breaks名義での『Volume I』収録の「White Line」はUKのブレイクビーツ・ハードコアよりもアグレッシブなブレイクビーツ・スタイルであり、当時も今もハードコア・テクノのセットに織り込まれてもまったく違和感がない。
The Speed FreakもBiochip C名義でブレイクビーツ・ハードコアをクリエイトし、Alec Empireと同じくドイツの Force Incから数枚のレコードをリリースしている。
そして、Alec EmpireとDigital Hardcore Recordings(以降DHR)はブレイクビーツ・ハードコアとハードコア・テクノ/ガバをパンクのエレメントと共に混合させた。彼等の作品はハードコア・テクノ・シーンでも人気を得ていたし、特に初期はハードコア・テクノのリスナーやDJがサポートしていたことが過去のZineなどで記録されているのが解る。
DHRの初期作品はブレイクビーツ・ハードコアにしては速過ぎたし、ジャングルにしてはハード過ぎた。だが、UKのDJ Easygrooveは大規模なRAVEでもAlec Empireのレコードをプレイするなど、本場UKのブレイクビーツ・ハードコア/ジャングルの一部のDJ達もプレイしていたそうだ。
『ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編』のDigital Hardcoreのチャプターでは敢えてハードコア・テクノよりのレコードをピックアップし、ハードコア・シーンとの関係についてを軸にDHRの功績を紹介している。
Digital HardcoreというとAtari Teenage RiotやEc8orみたいなパンクやメタルのギターサンプルにアーメン・ブレイクやガバキックを重ねたエレクトロニック・パンク的なスタイルを連想されるだろうが、DHR設立当初に彼等がクリエイトしていた作品は、パンク的な視点でブレイクビーツ・ミュージックを再解釈していくというのが大部分であったはずだ。そこにはパンクやインダストリアル、ヒップホップやテクノと並んでハードコア・テクノ/ガバの要素も大きく反映されている。音素材としてハードコア・テクノ/ガバが使われていなくても、DHRの初期作品があそこまでハードで高速で攻撃的な曲を作れていたのには、ハードコア・テクノ/ガバからの影響があったからだろうし、それによってハードコア・テクノ周辺のリスナーとDJ、アーティストも注目していたのだろう。
『ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編』では、DJ Bleed、DJ Moonraker、DJ Entoxなどの実際にDHRから作品を発表していたアーティストやイベントに参加していたDJ、DHR所属アーティストにインタビューをした人物など、DHRを深く知る人物達に当時の状況をお聞きしている。
ハードコア・テクノとDigital Hardcoreのファンは勿論、ポスト・ジャングルやブレイクビーツ・ハードコアをチェックしている方々には興味深い作品や話などもある。これをキッカケにDHRに関心を持って貰えたら嬉しい。