UKインダストリアルとは?
ここ数年、ハードコア・テクノ・シーンでUKインダストリアルという単語を頻繁に見かけるようになった。
ハードコア・テクノのサブジャンルに、UKハードコアとインダストリアル・ハードコアというのがある。ここでのUKハードコアとは、ハッピーハードコア文脈のUKハードコアではなく、HellfishやThe DJ ProducerがDeathchant/Rebelscumからリリースしていたイギリス産のハードコア・テクノのことである。
UKインダストリアルとはUKハードコアとインダストリアル・ハードコアの混合ジャンルという認識も正しいようだが、前途のUKハードコアとDeathchant/Rebelscum系のUKハードコアを区別化する為に、オランダのハードコア・シーンで使われている用語でもありそうだ。UKインダストリアルを作っているアーティストにその定義を聞いてみたが、BPM170-220のUKハードコアとインダストリアルの混合、みたいな事を言っていた。
何をもってUKインダストリアルとするかは、国と時代によって定義と歴史認識が違うようなので、ここでは自分が感じたUKインダストリアルを構成する要素と大まかな流れを記録しておく。
まず始めに、UKハードコアとはどんなジャンルであるのかは、以下の音源を聴けばすぐに理解出来る。
UKインダストリアルの起源
UKインダストリアルとは、UKハードコアとインダストリアル・ハードコアの二つだけではなく、当初はフレンチコアのエッセンスも重要であったと思う。
The DJ ProducerはフランスのManu Le Malinとの出会いが彼のキャリア上で非常に重要なポイントであったと発言している。そして、フランスのハードコア・シーンからの影響がThe DJ Producerの初期Deathchantのリリースに反映されているらしい。当時Manu Le MalinがBloc 46で開拓していた実験的なインダストリアル・ハードコアや彼等周辺のインダストリアル・ハードコア(その一部はフレンチコアへと変化していく)がThe DJ Producerを通してイギリスのハードコア・シーンにも流れていったのだと思われる。
さらに、Micropointの存在も重要だろう。1998年にリリースされた名盤アルバム『Neurophonie』はThe DJ Producerもヘヴィープレイしており、その後の展開も含めて、Micropointのサウンドはイギリスのハードコア・シーンとも強く共鳴していた。
この様に、90年代後半からフランスのインダストリアル・ハードコア/初期フレンチコア勢と、イギリスのUKハードコア勢が邂逅していき、Deathchant、Rebelscum、Psychik Genocideを中心にUKインダストリアルの原型が作り出されている。
彼等がリリースした初期UKインダストリアル・トラックは、当時のオランダ産インダストリアル・ハードコアよりもミニマルで速く、ストロングなキックとベースをサイケデリックにミックスさせており、トラックの深い部分にはフリーテクノの背景も埋め込まれていた。
イギリスとフランスには偉大なフリーパーティー文化の歴史があり、その二つも昔から国を超えて繋がっていた為、UKインダストリアルにもその歴史が反映されていたのだと思う。この頃のUKインダストリアルの作品は、彼等の必要な物を必要なだけ取るという制作プロセスと、DIYで反骨精神のあるフランスとイギリスのハードコア・スピリッツが交わった歴史的な瞬間であった。
2000年代になると、イギリスとフランス以外の国からもUKインダストリアル的なトラックが生まれる様になっていき、その流れはRebelscumとDeathchantに集約され、この二つのレーベルは2000年代に優れたアーティストを多く輩出した。さらに、HellfishとThe DJ ProducerはDJ PromoとThe Third Movementともリンクしていき、オランダのインダストリアル・ハードコアとイギリスのUKハードコアの配合も増していく。
ターニングポイント
オランダのテラーコア/スピードコア・シーンで活躍していたDJ Akiraは自身のレーベルHong Kong Violenceを通して、エクストリームなUKインダストリアルを提示し始め、自身の楽曲においても、Rebelscumからリリースした『Beatdown Anonymous』などで、その方向性を表現していた。DJ Akiraと同じく、テラーコア・シーンのカリスマ・アーティストであるDrokzもUKインダストリアルの発展には大きく関わっており、Coffeecore(Drokz & Tails)として2002年と2007年にRebelscumからレコードをリリースし、DJミックスではテラーコアとUKハードコアを混ぜてプレイしていた。2006年にHong Kong Violencからリリースされたコンピレーション『Competition Is None Vol. 2 (A Sequel That Makes Sense)』は、The DJ Producer&Drokz、Deathmachine、Bryan Furyが参加しており、現代のUKインダストリアルに通じるスタイルを作り上げている。オランダのハードコア・フェスティバルでも、UKハードコア勢とテラーコア勢が同じステージで共演する事も増える。その流れはRebelscum、Deathchant、The Third Movement、Hong Kong Violenceを通して作品化され、今に繋がるUKインダストリアルが出来上がっていく。
UKインダストリアルとは何なのか?
実際、UKインダストリアルというカテゴライズは古いものではなく、ハードコア・シーンの中では、比較的新しい部類に入ると思われる。スタイルとしては90年代後半から存在はしていたが、それらは2000年代まではUKハードコア、もしくはインダストリアル・ハードコア(場合にとってはフレンチコア)と呼ばれていたのを記憶している。2010年代に入ると、アーティストとレーベル側も積極的にUKインダストリアルという用語を使い始め、明確にそのスタイルを定義し始めている。
冒頭でも触れたが、ただ単にハッピーハードコア文脈のUKハードコアとの区別化で使われている可能性も高い。2010年代になるとGammerやDarren Stylesは世界的な人気アーティストとなり、UKハードコアはヨーロッパだけではなく、アメリカや日本でも広く知られるようになっていた。その為、まったく違うが、ハードコアという単語の元でフェスティバルやパーティーを運営していくとなると、やはり区別化は必要であったと思われる。
だが、細かく分析していくと、UKハードコアとUKインダストリアルには確実な違いも存在すると思う。例えば、RebelscumとDeathchantのリリースを聴けば、その違いが感じられるだろう。Deathchantは伝統的なUKハードコアを今も更新し続けており、HellfishやDolphinのリリースは正当なUKハードコアといえる。The DJ Producerも同じであるが、彼の場合はブレイクビーツ・ハードコアのルーツが色濃く、その為に色々なジャンルを取り込んでいくスタイルなので、表面的に見るとUKインダストリアル寄りに感じられる。勿論、The DJ ProducerはUKハードコアのパイオニアであるので、HellfishとDolphinと同じく、正当なUKハードコアを更新し続けている。
ここで書いたUKインダストリアルの歴史は、自分が見てきたものと実際にUKインダストリアルをクリエイトしているアーティスト達に聞いた話を元にしているが、非常に感覚的なカテゴライズであった。それを楽しむのもハードコアの醍醐味なのかもしれない。