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Rotterdam Records30周年 / 日蘭ハードコアの歴史
今年は沢山のレーベルやバンドが節目を迎えるアニバーサリーイヤーになる。1992年、2002年、2012年という区切で見ると時代の転換期ばかりで、2022年もまた重要な年になりそうだ。
その中でも、1992年にオランダのロッテルダムでPaul ElstakがスタートさせたRotterdam Recordsが今年30周年を迎えるのは見逃せない。 Euromasters、DJ Rob、Neophyte、Evil Maniax、The Stunned Guysといったハードコア・シーンのスターを輩出し、ガバ/ハードコアを世界中に知らしめたRotterdam Recordsの功績はとても大きい。そして、日本との繋がりも古く、日本のハードコアに多大な影響を与えたレーベルの一つである。一部分だけではあるが、Rotterdam Recordsとガバの発展から、日本との繋がりを記録する。
Rottterdam Recordsが出来るまで
Rotterdam Records並びにガバの源流には、Peter Slaghuisというプロデューサーと彼のレーベルHithouse Recordsが展開していたダッチハウスが欠かせない。Peter Slaghuisはオランダでハウスをプレイした最初期のDJであり、Hithouse名義で「Jack to the Sound of the Underground」や「Move Your Feet to the Rhythm of the Beat」といったヒット曲を残している。サンプリングを多用したHithouseの作品は、その後のオランダのダンスミュージックに多大な影響を与え、ガバのパワフルなサウンドの下地にもなっている。
1990年にPeter SlaghuisはHithouse Recordsをスタートさせ、Holy Noise名義で『Father Forgive Them』という12"レコードを発表。後にHithouse RecordsはThe Second Wave(Speedy J)、Meng Syndicate(Secret Cinema)、Origin(Like a Tim)といったオランダのテクノ/ハウス・シーンの重鎮達の初期作をリリースしていく。
残念ながらPeter Slaghuisは1991年に交通事故で亡くなってしまう。当時まだ30歳であった。活動期間は短かったが、Peter Slaghuisが残した功績は非常に大きく、計り知れない影響を多くのプロデューサーに与えた。
1991年にHolly Noiseは、Peter Slaghuisと80年代から活動を共にしていたPaul Elstak、Richard van Naamen、Rob Fabrie(DJ Waxweazle)が参加し活動を持続。12"レコード『Enter The Darkness』をリリースした後、特大ヒット曲「James Brown Is Still Alive!!」をHoly Noise Featuring The Global Insert Project名義で発表する。
Holly Noiseは日本のディスコでもヒットし、1992年には日本のAvex Traxから8㎝シングルCD『James Brown Is Still Alive !!』がリリースされ、『James Brown Is Dead Or Alive !?!?』という日本企画CDにも曲が収録。日本とオランダの繋がりを最初に作ったのはAvex TraxとHolly Noiseであったのかもしれない。
Holy Noise Presents The Global Insert Projectとして1991年にリリースした『The Nightmare』 は、その後に彼等がRotterdam Recordsで進めるハードコア・サウンドの原型的なものであり、この曲はオランダのハードコア・シーンにおいても重要な役割を果たしていく。
HithouseとHolly Noiseの面々がダッチハウスを更新させていた頃、ガバの発祥地として有名なクラブParkzichtにてRob JanssenことDJ Robは、いち早くヨーロッパやアメリカのダンスミュージックを取り入れ、ニュービート、デトロイト・テクノ、EBMをハウスとミックスし、新たなスタイルを模索していた。
「ロッテルダム・サウンド」を作ったのはDJ Robb らしいが、彼はクラブ・セットにインダストリアルを沢山混ぜていたそうだ。これは、ヨーロッパ中のDJがやっていたようなもので、ロッテルダムの発展はそんなに変わらなかったと思う。Gabberは他と同じように、テクノとハウスをミックスしていただけだった。ただ、その分野では速い方が好まれていたんだ。
(Deadly Buda / ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編)
Rotterdam Recordsの設立
そして、1992年にRotterdam Recordsが始まり、第一弾作品としてEuromastersの12”レコード『Amsterdam Waar Lech Dat Dan?』を発表。『Amsterdam Waar Lech Dat Dan?』の製作にはDJ Waxweazle、Stek(Paul Elstak)、The Engineer(Richard van Naamen)が参加。彼等がHolly Noiseとして展開していたサウンドとは違った荒々しい方向にこのレコードは突き進んでおり、それよってガバというジャンルが産声をあげる。
以降、Rotterdam RecordsはDJ Rob、Stomach Basher、Sperminator、Rotterdam Termination Sourceによるガバ・クラシックを連発。レーベルが始動してから僅か一年で驚異的な活躍を見せた。
EuromastersのレコードはRising High RecordsとPolydorからもライセンス・リリースされ、Sven VäthもRotterdam Recordsのレコードをプレイ。1992年12月にはドイツのMaydayにてRotterdam Recordsの面々によるThe Sound Of RotterdamとPaul Elstakが出演し、Richie HawtinやWestbamと共演。
ガバの勢いは日本にも着弾し、1992年に大阪のM2にてDJ Ishii氏によるガバをメインとした伝説的なイベント「Rotterdam Night」がスタート。Rotterdam Nightは日本で最初の本格的なハードコアのイベントであったと言われている。
Rotterdam Recordsの最初のリリースは大好きだったよ。「We Have Arrived」をサンプリングしてたけどね。Rob Fabrie(a.k.a. The Headbanger)によって作られた最高のレコードだった!
(Marc Acardipane / ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編)
Euromastersの一作目と初期のガバは大好きだよ。とてもワイルドで聴いた事のない音だったから。ダーティーでめちゃくちゃ速くて、とてつもなく楽しいよね。タガが外れてるっていうかさ。そのパワーとスピードと一直線なグルーヴに魅了されたよ。ドイツではオランダのようには人気はなかったけど、フォロワーは確実にいたね。
(DJ Bleed / ハードコア・テクノ・ガイドブック オールドスクール編)
翌年の1993年にはAvex TraxによるRotterdam Recordsの音源を日本向けに編集したコンピレーションCD『Rotterdam Techno Is Hard Hard Hard !!』が発売。電気グルーブの石野卓球氏がライナーノーツを執筆し、ラジオやTVでもEuromastersのレコードを紹介するなど、積極的にガバを広められていた。
同年にリリースされた電気グルーブのアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』にDJ Paul(Paul Elstak)がリミキサーとして起用され、「カフェ・ド・鬼(かなりおもしろい顔MIX」というガバ・リミックスを収録。
他にも、細川ふみえのシングル「だっこしてチョ」には作詞でピエール瀧、作曲で石野卓球が参加し、ガバの要素を活かした曲を発表していた。
同じく、1993年には細江慎治氏によるガバのBGMを使用した『リッジレーサー』も生まれており、この頃から国内でもガバのプロダクションが本格的にスタートする。
以上が表面的なRotterdam Recordsと日本の繋がりであるが、他にもRotterdam Records並びにガバを国内に布教させた人物はおり、様々な要因が重なって今に続くハードコアが出来上がっているのが重要だ。
DJ Ishii氏のRotterdam Nightがスタートして30年という節目の年である2022年は、日本のハードコア・シーンにとってもターニングポイントとなる年になるかもしれない。