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DJ HORN(HAPPY NUTTY/L.P.U.)インタビュー

90年代中頃からDJ/オーガナイザー/レコードショップ・オーナーとして日本のハッピーハードコア/RAVEミュージックの発展に大きく関わり、今も精力的に活動されているDJ HORNさんのインタビュー記事を公開。

DJ HORNさんはブレイクビーツ・ハードコア~ジャングル~ハッピーハードコアといったUK RAVEミュージックを体系的にリアルタイムで体験され、海外のシーンとも早い段階で繋がり、その魅力を伝え続けてくれている日本のRAVEミュージック史における最重要人物の一人。ハッピーハードコアを日本に広めた伝説的なレコードショップであるL.P.U. RECORDSのオーナーを務められ、現在は老舗ハードコア・パーティーHAPPY NUTTYを運営されており、DJとしても日本全国でプレイされています。

今回は11月に10年振りの来日を控えているハッピーハードコア界の重鎮アーティストScott Brownのジャパン・ツアーに合わせて、DJ HORNさんに日本のRAVEミュージック~ハッピーハードコアの歴史、L.P.U. RECORDSの立ち上げやサイケアウツとの関係、Scott Brownの魅力についてなど沢山の貴重なお話をお聞きしました。


Scott Brown - Japan Tour 2024 -
スコットランドが産んだハードコア界のキング! 1991年にQ-TEXとしてデビューして以来、自らが運営するEVOLUTION RECORDSを中心に、NEXT GENERATION RECORDSや ALL AROUND THE WORLD、オランダのMOKUM、ROTTERDAM RECORDSといったトップレーベルから数多くのハードコアアンセムを量産。 中でもELYSIUM、POWER OF LOVE、NOW IS THE TIMEはシーンを代表するビッグアンセムとして今なお世界中のレイヴで プレイされ続けている。ハッピーハードコアはもちろん、バウンシーテクノ、ユーロダンス、ハードコア/ガバなど 様々なハードダンスシーンから絶大なリスペクトを集めるスーパースターSCOTT BROWNの、 全レイヴァー達が待ちわびた10年振り来日が決定!DON'T MISS IT!

HAPPY DYNAMITE feat. Scott Brown JAPAN TOUR
2024/11/2(Sat) 東京・渋谷 R LOUNGE (6F & 7F)
http://rlounge.jp/
OPEN / CLOSE 13:00~21:00
Door(当日入場): 4,000Yen With Flyer: 3,500Yen

≪HAPPY AREA≫
-Special Guest-
Scott Brown (Evolution Records)
-Guest DJ-
DJ Shimamura
kors k
Getty
M-Project
DJ UTO

-DJ-
HAPPY DYNAMITE CREW {DJ CHAMP, DJ ZET & SHORT-CUTz}
DJ DEPATH & WAM
Abitan & DJ 490 -MC- MC ICCI -VJ- TON-TORO-DON

≪DYNAMITE AREA -7F-≫
DJ GEN
DieTRAX
MIDI War
Kent Alexander 2024
TAK666 & Sango
SHIRIA@
AkuaMarine
DAI-NAGON

“KICKBASS” -SCOTT BROWN JAPAN TOUR 2024 in SHIZUOKA- at COA,Shizuoka
2024.11.03(SUN/HOLIDAY) 13:00-20:00
ADV Ticket 3,000Yen with1Drink
DOOR 3,500Yen with1Drink

[Special Guest]
Scott Brown (Evolution Records) from UK

[Guest DJ]
DJ HORN from OSAKA
Morphonics a.k.a. 紙袋 from TOKYO

[Pick Up DJ]
3KATE2
RIICHI

[KICKBASS Local DJ]
HEKOMIN
DIVA
warapi
OKI-CHU & KUWAGATA MC
[VJ]
ビデオボーイ
[DECO]
Makorin

️HAPPY NUTTY – triangle 13th anniversary special! –
-SCOTT BROWN JAPAN TOUR 2024 in OSAKA-
2024.11.04 (祝・月)14:00〜22:00 day rave
at club triangle / 大阪 心斎橋アメリカ村
前売り:3000円 +1drink
当日:3500円+1drink

HARDCORE floor line up:
-Special guest dj-
SCOTT BROWN from UK
-Surprise guest djs-
M-Project from TOKYO (eary hardcore set)

-HAPPY NUTTY crew-
DJ HORN feat. MC HIRO
DJ THUNDER
DJ YOSHIYUKI

-OSAKA HARDCORE RAVE MASTERS-
DJPoyoshi (レイヴ大戦)
AFTERSKOOL SHOW CASE 100%vinyls set
(merupo,B45H,Revenge,INDEX,MC NMDB)
Savage States (NIGHT ON EARTH RECORDS)
Rëgret (HARDCORE GEMS)
MC: MC NMDB,MC HIRO

VJ: Rëgret
LAZER: L.P.U.LAZER
LIGHTING:INDEX

BASS floor line up:
サイケアウツG
DJ INDRA (JUNGLIST RADIO)
DJ THUNDER
matres (AMEN APE)
kakepon (RUN DA BASS)
pussy wagon posse (copy)
KEYBOW

DJ HORN (HAPPY NUTTY/L.P.U.)
https://x.com/hornyhardcore
92年、渡英時に出会ったUK RAVEシーンに触発されDJをスタート。当時、日本ではまだまだ認知されていなかったハードコアラガテクノを中心にプレイし、テクノシーンに新たなサウンドを投じる。

96年より日本初のレギュラーハッピーハードコアパーティー"EFFECTIVE"のレジデントDJを努めた後、"LUBNOLOGY"、現在は"HAPPY NUTTY"を主宰。これまでにUKからSCOTT BROWN、BRISK、SLIPMATT、LUNA-C、KEVIN ENERGY、SHARKEY、JIMMY J、MC MAGIKA、MC RUFFなどUKハードコアシーンのレジェンド達を日本に招聘。97年には自身が経営するRAVEレコード専門店"L.P.U.RECORDS/ L.P.U.STORE"の設立や日本初のライブレコーディングハードコアMIX CDアルバム"CANDY RAVEPARTY"をリリースするなど勢力的に活動しシーンの活性化に力を注いできた。

またDJではハードコアから、ジャングル、オールドスクールレイヴまでセレクトした幅広い選曲で日本全国で活躍。


Q. HORNさんはRAVEミュージックに出会う前はどんな音楽を聴かれていたんですか?

幼稚園の時は親に買ってもらったアニメの主題歌が沢山入ったテープパックを日替わりで毎日聴いてたわ。
小学生の時は中山美穂、中森明菜、森高千里とか当時のアイドルばかり聴いてたかな。ここ数年、自分の中で森高リバイバルが来ていて何度もライブ観に行ってるわ(笑)
中学生になってBOØWY、BUCK-TICK、かまいたち等日本のバンド系を聴いてて、その中でもかまいたちは好きやったな。先日YouTubeでかまいたちを検索したら数年前?のライブ映像があって嬉しいかったわ!

Q. RAVEミュージックとの出会いはいつ頃でしょうか?RAVEミュージックのどういったところに魅力を感じましたか?

1992年、高校に入学して最初に友達になったのが、後の相棒となるKENGKENGやって、KENGKENGに「ツレからもらったカセットテープがめちゃかっこいいから聴いてみて」って言われてそのテープの1曲目に入ってたDanse City - Braineater (I Need My Hardcore)に衝撃を受けたのがRAVE MUSICとの出会いやわ。そのテープには他にもデステクノが沢山入ってた!
これまで聴いたことのないシンセの音色やビートに魅力を感じたな。

当時、大阪のアメリカ村では毎週土日にフリーマーケットを開催していたんやけど、KENGKENGがそのフリーマケットに出店していた古着屋でバイトしていて、そこで知り合ったクラバー系の服を販売していた店(DROP THE BOMB)で働いていたTOYPOPさんがハードコアのDJをしていたので、TOYPOPさんのイベントに入り浸るようになったかな。あとクラブQOOには年齢を偽って入場して遊んでたわ。今よりidチェックが軽くて、生年月日と誕生日をキャッシャーに言ったら、干支を聞かれるのがわかってたから、事前に干支を調べて伝えて入ってた(笑)当時のQOOは平日にYOJIさん(YOJI BIOMEHANIKA)がDJしてて、千人位入って盛り上がってたわ。

Q. その当時RAVEミュージックは国内ではどういったところで扱われていましたか?

通学で毎日梅田を経由してたから、茶屋町ロフトにあったWAVEに12インチのレコードをよくチェックしに行ったなー。カセットテープの曲を店員さんに聴いてもらってこんな感じの曲を欲しいと伝えてレコード出してもらったり。当時、YOJIさんと面識なかった時に、YOJIさんがレコードを買って帰った後に、店員さんに買ったレコード聞いて同じレコード買って帰ったり(笑)
インターネットも何もない時代やったけど、苦労して良い曲を見つけた時の喜びも大きかったな。

ベルギーやドイツなどヨーロッパのレイヴミュージックはYOJIさんがプレイしてたなー。他にもDJいたと思うけど僕が知ってるのはそれくらいかな。あとGABBAは ISHII君(DJ ISHII)やね。ラジオでは深夜にFM802でUKのDJ、FABIO、GROOVERIDERのMIXが流れる番組があったわ。

Q. 90年代前半、日本ではハードコア・テクノ/デステクノ~ガバといったRAVEミュージックがプッシュされていたそうですが、ブレイクビーツ・ハードコアを扱っていたレコードショップやDJはいたのでしょうか?

ブレイクビーツ系ハードコアは大阪ではTOYPOP、DJ SHINTARO、DJ NAO(現在のDJ COMPUFUNK)、HAYATO君、そしてKENGKENGがかけ出しでDJをやり始めてアンダーグラウンドやったけど不定期でパーティーもあったよ。
同時期に東京ではFORCEさん(DJ FORCE)、EVIL君(DJ EVIL)、京都ではKURANAKA君とかがブレイクビーツハードコアをプレイしていたね。
レコードショップも沢山あったけど僕はその中でも特にWAVE、CISCO、BAOBAB、ソレイユに通ってたわ。それぞれの店やバイヤーによって微妙に品揃えも違うからハシゴするのが楽しかったな。

Q. HORNさんはブレイクビーツ・ハードコアがジャングルへと進化していく過程をリアルタイムで体験されていたかと思います。HORNさんにとってジャングルとはどのような存在でしょうか?

ブレイクビーツにラガサンプルを乗せたハードコア、いわゆるラガテクノはずっとプレイしてたし、自然な流れでジャングルも体感してプレイしてたからハッピーハードコアと同じレベルで大好きやな。引越しで大分レコードは手放してしまったけど、ジャングル、ドラムンベースのMIXCDやレコードもめちゃ持ってたわ。
ハッピーハードコアとジャングル、ドラムンベースは兄弟みたいなもんやと思ってるし、僕自身が大好きで楽しみたいので、僕のパーティーには必ずそれらをプレイするDJをブッキングして出演してもらってるわ。

Q. HORNさんは1992年にイギリスに行かれたときにRAVEを体験しているそうですが、それはどんなRAVEだったのでしょうか?

KENGKENGにロンドンのレコード屋には日本に売ってないホワイトレーベルやプロモのレコードがあるみたいやでって言われて、レコードを探すために行ったのがきっかけかな。当時、ロンドンは"BLACKMARKET"、"UNITY"、"SECTION5"っていうレコード屋などはハードコアが充実していたね。店の前に立つと中から重い低音が聴こえてきて、中に入るとここはクラブか?と錯覚してしまう程の音やったわ。どのレコード屋も店員がDJで、そのDJがMIXして気に入った曲をお客さんが買うっていうシステムやったね。あと店員さんに好みのスタイルを伝えたらどっさり出して1枚ずつかけてくれて気に入ったレコードを買ったりしてたよ。

"BLACK MARKET"はDRUM&BASSのトップDJのNICKY BLACK MARKETとRAY KEITHが店員やって、そんな彼らにレコードを選んでもらえたのは嬉しいかったな。NICKY BLACKMARKETに「あなたが最近クラブでプレイしたレコード出して」って言えば最新のかっこいいレコードがどっさり出てきた(笑)店には毎日のように新譜が入りイギリスの若者は買うつもりはなくても毎日店に通い絶えず周りの人と情報交換していたね。(レコード屋は情報交換の場となっていた)
そういう店員とお客さんのやりとりが楽しかったので、後の自分が経営したレコード屋の"L.P.U.STORE"でもその販売スタイルを真似した感じかな。

1992年はレイヴというか、クラブに行ったわ。当時、ソニーマガジンからPUMPっていうクラブカルチャーの専門雑誌があったんやけど、RAVEの特集号があったんよ。その記事の中でイギリスのパラダイスクラブには危険だから絶対に行くな!中には売人がウロウロ、かかってる曲はラガテクノって書いてあって、めちゃオモロそうやんって感じでパラダイスクラブに行ったわ。
中に入るまで1時間以上並んで、ようやく入ったらガラージハウスがかかっていて、「うわ、入る店間違えた?」って思ってがっかりしていたら奥にもう1つ別のフロアがあって、中に入るとスモークがモクモク焚かれていて、超ヘビーベースがブォブォ響いていて、日本のクラブでは経験した事がないサウンドで衝撃を受けたわ。あとDJもMICKEY FINNやKENNY KENなどブレイクビーツハードコアのトップDJがプレイしていて、知らないかっこいい曲がガンガンかかってたね。翌日レコード屋に行って前日かかってた曲を探したりしてたわ。

https://rave-archive.com/awol-live-in-london-92-vol-2/

Q. イギリスでは他にどんなRAVEやパーティーを体験されましたか?そこから得た経験はどのようにご自身の活動に反映されていますか?

RAVEは"HELTER SKELTER"、"DREAMSCAPE"、"SLAMMIN VINYL"とかに行ったわ。イギリスのレイヴァー達は東洋から来た僕を快く受け入れてくれ、僕が踊り疲れていたら周りのレイヴァーが水のボトルを持ってきてくれたのは嬉しかったな。言葉は通じなくても踊ることで会話が出来たな。そういうユニティーな空間が魅力やね。
あとUK RAVEのレーザーやライティングに感激して、日本に帰って自分達のパーティーにレーザーや照明システムを足していったよ。レーザーと言っても今みたいにフルカラーではなくて、レッドしか出ない(笑)それでも当時レーザー照明を導入しているのは僕らのパーティーしかなかったわ。だから他府県のパーティーから問い合わせがきたりして、レンタルしに行ったりしてたよ。あとはホイッスルやルミカライトを配布してUKレイヴの雰囲気を出したりしたわ。

Q. RAVEにはイリーガルな文化も確実に存在しますが、そういった文化に対してどのように思われていますか?

イリーガル、アナーキー精神がRAVEカルチャーを大きくしていったのは紛れもない事実なんでイリーガル文化の否定はせえへんな。でもケミカルは危険やしシーンから消えていった人もたくさんいるし、悲しい思いもしたし、長く続けていくには必要ないと思うな。

Q. HORNさんがDJとしてのキャリアをスタートさせたのはいつからでしょうか?当初はどういったジャンルのレコードをプレイされていましたか?「HORN」の名前の由来は?

詳しくは覚えてないけど、1995年か96年くらいにスタートしたと思うよ。でも家にターンテーブルがなかったから毎日KENGKENGの家に行ってDJの練習してたわ。最初は"Mr.KAZUHIKO"って名前でやってたよ。プレイする曲はブレイクビーツハードコア。「DJ HORN」の由来はレイヴで"RAVE HORN"をビートや曲に合わせてプゥプゥ吹いてたら周りの沢山のレイヴァーから「お前のHORNの吹き方最高!」って称賛されたからかな(笑)

Q. 90年代前半から中頃に掛けてavex traxと小室哲哉はRAVE/ジャングルを取り入れたポップスを作り大ヒットさせ、大規模なRAVEイベントなども開催していましたが、当時あの現象をどう思われていましたか?

avex raveにprodigyが出演した時は行きたかったなー。当の本人達はこれはレイヴじゃない!って怒ってたみたいやけど(笑)
正直言うと、当時はH jungle は全くカッコいいとは思わなかったわ。もっと良い曲知ってたし、UKのジャングルレイヴを体感してたからなー。でも今聴くと沁みる歌詞よね(笑)
avexよりもソニーの方がリアルなUKのジャングル、ドラムンベースのアーティスト、DJを推してたね。何ページもある豪華なフリーペーパーとかも出版されてたわ。好きなUKのDJも沢山来日してたし、パーティーもめちゃくちゃ集客してたし、ずっとこの状態が続けば良いと思ってたけどそうはならなかったな。

Q. HORNさんはRAVEミュージック/カルチャーに30年以上に渡って関わられていますが、改めてHORNさんにとってのRAVEの定義とは何なのでしょうか?

野外や倉庫などのDIYパーティーをRAVEとも言うし、RAVEに対する捉え方や考え方も人それぞれ違うのでRAVEの定義って難しいよね。
僕は熱狂的になっている状態や、行動、パーティーを称してRAVEやと思ってるわ。
HARDCORE RAVE!

Q. 近年RAVEが再び世界中で再燃し様々な音楽ジャンルやファッション、映画といった文化に影響を与えています。こういったリバイバル的な状況をどう思われていますか? 

僕の中では今まで時代や世代の移り変わりや自分の生活環境の変化と共に変化はしているけど、常にRAVE魂は燃え続けているので衰退したイメージはないな。でもレイヴスピリッツが一時期よりも今の方がファッションや文化に影響を与えているとしたらそれは嬉しい事よね。

Q. ハッピーハードコアというスタイルを認識したのはいつ頃でしたか?

92年頃のブレイクビーツハードコアはボーカルやピアノ系、アッパーなシンセリフが特徴的で高揚感あるトラックがたくさんリリースされてたけど、93年〜94年頃からそういった曲は減っていって、シリアスな感じのトラックが増えていったよね。
ハードコアダークサイドと呼ばれた時期で、実験的でかっこいい曲もあったけど、アッパーな要素は少なかったかな。その混沌とした時期にSLIPMATTがSMD名義でリリースしたトラックがアンダーグラウンドで大ヒットして、ちょうど94年〜95年頃からブレイクビーツハードコアがハッピーハードコアとジャングルへ枝分かれして進化していったんよ。

Q. 1996年にハッピーハードコア・パーティーEFFECTIVEがスタートされたそうですが、このパーティーが始まった経緯を教えてください。また、どういった流れでLUBNOLOGY、HAPPY NUTTYへと繋がって行ったのでしょうか?

EFFECTIVEは95年にスタートやったと思うけど、それまで大阪では不定期でブレイクビーツハードコアやハッピーハードコアのパーティーは開催かれてたんやけど、毎月定期的に開催しようというのでイシオダイ君が主体になって始めたのがEFFECTIVEやわ。開催するごとにお客さんが増えてエネルギッシュなパーティーになっていったな。
僕は最初はEFFECTIVEでDJをしていなくて、照明やレーザーをセッティングしたりスタッフをしてたんやけど、開催して半年か1年くらいした時から
出演者の1人が出れなくて急遽代打で出演したんよ。それ以降、レジデントでやるようになったわ。

LUBNOLOGYは1997年にL.P.U.STOREを開業する記念でUKからMIXMATTっていうDJとMC RUFFをゲストで出演してもらった。彼らが初めてUKから日本に来たハッピーハードコアのアーティストやったね。
HAPPY NUTTYは僕とDJ THUNDERとSHADOW Kで始めたパーティーでDJ YOSHIYUKIが加わって現在に至るって感じかな。

Q. HORNさんはハッピーハードコアのどういったところに魅力を感じられていますか?

魅力はたくさんあるけど、音楽的には高揚感あるシンセとピアノにはずっと気持ち良さを感じてるし、哀愁漂うトラックがあったり、バカみたいな展開のトラックがあったり楽しいよね。あと"類は友を呼ぶ" と言うのか、やっぱりハッピーハードコアを愛してる人と気が合うのよね。そんな人とパーティーで一緒に飲んだり、踊ったり、音楽について語っている時が楽しいので、やめられへんわ。

Q. ファッションなどのカルチャーも含めたハッピーハードコアというジャンルを日本に紹介する際に苦労したことはありますか?HORNさん達はどういったビジョンを持って日本にハッピーハードコアを紹介していましたか?

ハッピーハードコアやシーンが楽しかったから、苦労したと思った事はないかな。ハッピーハードコアは最高の音楽やから日本中の人に知ってもらいたいと思って曲の紹介したし、パーティーも開催していたわ。

Q. 日本のハッピーハードコア・シーンが形成されていったのはいつ位だったと思われますか?

1997年やね。大阪にL.P.U.STORE、東京にQレコードがオープンしてハッピーハードコアを専門的に取り扱うレコード屋も出来たし、パーティーも成熟してきて、日本全国でハッピーハードコアがかかるパーティーが開催され始めたのがちょうどこの頃かな。その時期にパーティーやレコード屋に来ていたお客さんの中に今は演者となって活躍している人が沢山いるよね。

Q. ハッピーハードコアというとイギリスから多数の素晴らしいプロデューサーが生まれていますが、イギリス以外の国で活動していたプロデューサー/レーベルで好きだったものは何ですか?

オランダやドイツのヨーロッパのハッピーハードコアも好きやな。PAUL ELSTAKや4tune fairytalesとか。あと日本だとSHIMAMURA君(DJ SHIMAMURA)やね。彼がまだ高校生だった時にRAVERZ PROJECTっていうユニットをやっていて、L.P.U.にデモテープを送ってきてくれたんよ。そのテープがめちゃ良かったから速攻彼に連絡して、当時開催していたLUBNOLOGYに出演してもらったわ。

DJ SHIMAMURA

Q. HORNさんはKENGKENGさんと高校時代からのお付き合いだそうですが、仲良くなったキッカケや第一印象などは覚えていますか?

同じ高校で私学やったから同級生は大阪各地から通ってたんやけど、KENGKENGと僕は同じ豊中市から通ってる事がわかって仲良くなったかな。通学も一緒の電車やったので、毎日イヤホン片方づつ聴いて曲の感想言い合いながら通学してたわ(笑)

Q. KENGKENGさんのDJスタイルはどういったものだったのでしょうか?KENGKENGさんが他のDJと最も違った部分とは何でしょうか?

KENGKENGはハッピーハードコア以外にもDUB、HIPHOP、レゲエなんでも聴いてたし、それが故にDJでは独特のグルーヴを出してたなー。あと内から出るポジティブオーラとハッピー精神が突き抜けてぶっ飛んでたね。

Q. 90年代、関西ではZettai-Muを筆頭にジャングル/ドラムンベース~ハッピーハードコアからテクノ、DUB、ヒップホップのアクトが揃うオールジャンル・イベントの先駆け的なものが存在していました。HORNさんもそういったイベントに出演されていましたが、こういったクロスオーバーな展開が関西で起きていたのは何故だと思われますか?

関西人独特のノリもあるんやろうけど、例えばオーガナイザーのKURANAKA君や豆塚さんは昔からジャンル関係なく面白い音やアーティストはどんどんパーティーにブッキングしていたわ。
あと個人的にはEFFECTIVEやLUBNOLOGYを開催していたCLUB ROCKETSや僕が年始にオーガナイズしていた"NEW YEARS DANCE"を開催していたCLUB KARMAなどで違うジャンルの人と交流したり知り合う機会が多かったし、服屋やカフェの人が色んな人を紹介してくれたりストリートの繋がりが強かったと思うわ。

Q. 1997年2月に通信販売専門店としてL.P.U RECORDSを開始されましたが、お店を始めた経緯を教えてください。HORNさん達は当時まだ20代だったそうですが、どうやって資金を作り海外レーベルとやり取りをしてレコードを輸入させていたのでしょうか?

日本のレコード屋にもハッピーハードコアのレコードは入荷していたんやけど、UKに比べると全然少なくて個人的にレーベルに手紙送ってカタログ送ってもらって自分の欲しいレコードを輸入してDJしてたんよ。それらのレコードをパーティーでプレイしていたら、他のDJからもそのレコード欲しいって言われるようになって、それなら一緒に注文しようかって始めたのよね。
そのうち、口コミでお客さんや日本全国から問い合わせを受ける様になって、受注発注で通信販売する様になったよ。
受注発注やったし、実家だったので家賃もいらなかったから資金も必要なかったかな。

Q. 同年8月に大阪の北堀江にてL.P.U. RECORDSは実店舗の運営を開始されます。どういった流れで店舗をオープンさせることになったのでしょうか?

通信販売をしている時に関西の人からの注文も沢山あって、それなら大阪でお店やったらええやんって事でオープンさせることにしたわ。

Q. L.P.U. RECORDSではどういったレーベルの作品やマーチを扱われていましたか?お店にはどういったお客さんが来ていましたか?

レーベルではKNITEFORCE、JUSTANOTHER LABEL、SLAMMIN VINYL、オランダのMID-TOWN系のマーチャンダイズも充実させてたね。これらの商品はオークションサイトなどで今めちゃくちゃ値上がりしてるな。売らずに保管しといたら良かったわ(笑)
あとHELTER SKELTERやDREAMSCAPEなどレイヴ系のマーチャンダイズやMIX TAPE PACKも沢山あったなー。MIX TAPEパックはCISCOで委託販売させてもらって沢山販売したわ。お店はDJがレコード買いに来たり、パーティーのチケットだけ買いにくる人など年齢層も高校生から社会人まで色々な人が来てくれてたわ。

Q. L.P.U. RECORDSでロングヒットしたレコード/CDは?

L.P.U.は全国のレコード屋にハッピーハードコアの卸しもしていたから、ハッピーハードコアは特に沢山売れたけど、その中でもBRISK&TRIXXY - EYEOPENER、TRIPLE J - FOLLOW THE SUN、HERE I AMなどは12インチで300枚くらい販売したんちゃうかな。
あと20年位前にリリースした僕のLIVE MIX CD"CANDY RAVE PARTY VOL.1"は1500枚くらい売れたよ。まだ若干在庫あるのでパーティーで手売りしているわ、ある意味ロングヒットよね(笑)

Q. HORNさんは常にポジティブな姿勢で活動を続けられていますが、ポジティブな気持ちを維持する秘訣などはあったりしますか?

ポジティブな姿勢に見えてるのは嬉しい事やけど、常にポジティブでは全然ないで!L.P.U.STOREをしている時は結構ネガティブな時期もあったし(笑)良いことも沢山あったけど、最後の方はレコードは売れないし、お金はどんどんなくなるし、将来も不安になったな。やりたい事をやっていたはずが、仕事にしてると義務みたいに感じてしまって、しんどい事のほうが多かったわ。

今は別の仕事で安定して収入もあるし、DJもパーティーも自分の出来る範囲でマイペースに楽しんで活動を出来てるな。シーンも次の世代、次の世代へと移り変わっていて、海外でも活躍する日本のDJやアーティストが沢山出てきてるし、高校生のDJも沢山いるし新陳代謝が出来ていていい感じよね。
あと最近は僕らが若い時に来てくれていたお客さん達が、息子さんや娘さんを連れてフロアに戻ってきてくれていて嬉しいわ。そんな感じでHAPPY NUTTYは老若男女のハードコアレイヴァーズが集っているので、今は本当に楽しいな。
ポジティブな気持ちを維持する秘訣は、ネガティブな気持ちになる要素を極力減らして、自分が楽しんで活動する事かな。

Q. L.P.U. RECORDSではサイケアウツの限定CDが販売されたり、「LPU vs サイケアウツ」という曲も作られるなどサイケアウツとは親交が深いようですが、HORNさんとサイケアウツとの出会いについて教えてください。

サイケアウツの大橋さんとはジャングル、レイヴミュージックを関西でやっていたら必然的に出会うよね。大橋さんがKENGKENGの噂を聞いて、KENGKENGのバイト先に来て僕らと繋がったわ。僕が初めて会ったのは京都のMUSHROOMだったと思う。そこで初めてサイケアウツの曲を聴いた時にUKのジャングルよりも、かっこいいAMENビートのトラック作れる日本人がおるんや!?しかもめちゃ音もええやん!?!?ってびっくりしたのを覚えてるわ。
その後、大阪、京都で開催されているジャングルのイベントには必ず大橋さんがおってジャングルの研究してはって仲良くなったな。
その内、一緒に飲みにいく様になって、それまで僕はお酒はあまり飲めなかったけど、大橋さんと出会ってからめちゃ酒飲めるようになったわ。そういう意味では僕にお酒の美味しさを教えてくれたのは大橋さんやな。大橋さん、今はお酒飲まないらしいけど(笑)

1999年頃、僕は北堀江で一人暮らししていたんやけどL.P.U.のお店から自分の家に帰る途中に大橋さんとサイケアウツのメンバーやったラッキーさんの住む"サイケベース"と言われる基地があったのよね。その基地は常に鍵が開いていてサイケアウツ周りの人が自由に出入りして、毎晩、音楽、シーン、人生について語り合っていたんよ。そこはすごく居心地良くて安心できて僕は殆ど自分の家に帰らず、"サイケベース"に寄ってみんなで語ってそのまま寝てL.P.U.に通ってたわ。大橋さんに「社長、毎日ここにおるから家いらんやん」って言われるくらい(笑)

Q. 11月に10年振りの来日を控えているScott Brownについて。HORNさん達は1999年にScott Brownの初来日を企画されていますが、そのときのことで覚えていることはありますか?

Scott Brownの"NOW IS THE TIME"はパーティーでよくプレイしていたしEvolution recordsの曲が好きやったからScottに日本でDJして欲しいなと思ったんよ。既に世界中のハードコアレイヴに出演してるスーパースターやったし面識もなかったんやけど、当時取引していたディストリビューターのCalvinがScottに連絡して直接会う機会を設けてくれて、日本のシーンの現状を説明したら是非プレイしたいって言ってくれて初来日が実現したんよ。それから日本の事を好きになってくれて何度も来日してプレイしてくれるようになったよ。

Q. HORNさんにとってScott Brownとはどんなアーティストですか?特に好きな曲などがあれば教えてください。

アーティストとしてはもちろんやけど、紳士で優しいので人として尊敬できるな。
好きな曲は沢山あるけど、僕のLIVE MIX CD"CANDY RAVEPARTY"に収録している"ELYSLUM"が一番好きやな。あとやはり"NOW IS THE TIME"!はマストやね。

Q. 静岡と大阪でのScott Brownのジャパン・ツアーにHORNさんも参加されますが、意気込みなどがあれば教えてください。

Scottが「俺にとって日本のホームタウンは大阪だ」って言ってるし、今回初めて訪れる静岡には大好きな友人達がたくさんいるのでその友人達をScottに紹介して静岡の事も好きになって欲しいな。その為にも両パーティー、ガッツリ盛り上げるので是非是非遊びに来て欲しいな。

Q. 最後に読者の方にメッセージを。

ハードコアレイヴ、家で聴くのも楽しいけど、やっぱりパーティーに遊びに来て欲しいな。
大好きなハードコアを大音量で聴けて、レーザーやVJを浴びながらみんなで一つになって踊る楽しさはパーティーでしか味わえないんで!

11月2日〜4日にScott Brownジャパンツアーが東京、静岡、大阪であります。なかなか彼のプレイを日本で聴ける機会はないので是非遊びに来てください!

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