Back To Chill 18周年に向けて
GOTH-TRAD率いるパーティー/レーベルBack To Chillが18周年目を迎え、9月22日MIDNIGHT EASTにて記念パーティーが開催される。
GOTH-TRADと親交の深いMALA(Digital Mystikz)がスペシャルゲストとして来日し、国内からはDJ KRUSH、SAMO(FULLHOUSE)、CYBERHACKSYSTEMなどが出演。Back To Chillがプッシュしてきたダブステップ/ヘヴィーウエイトなベースミュージックを軸に様々なスタイルのダンスミュージックが鳴らされる祝祭となる。
そして、私がインタビュー・テキストを担当させていただいたBack To Chillの対談記事がAVYSS mgazineにて公開中。GOTH-TRAD、100mado、DBKN、HELKTRAM、CITY1、MØNDAIGAIにBack To Chillの歴史について色々と語って貰っており、日本のダブステップ・シーンがどうやって形成されていったのかが垣間見える興味深い内容となっているので、こちらも是非チェックしてみて欲しい。
Back To Chill(以降BTC)にはSALOON時代から遊びに行っており、彼等の涙ぐましい努力を陰ながら見ていたが、BTCが日本のダブステップ並びにベースミュージック・シーンに与えた影響は非常に大きく、その功績は計り知れない。この機会にBTCの18年間を僕個人の視点から振り返って紹介させて貰おう。
GOTH-TRADが切り開いた道
BTC主宰のGOTH-TRADは2005年に発表した3rdアルバム『Mad Raver's Dance Floor』でブレイクビーツ・ハードコア~ブリープ・テクノ~ジャングルといったUK RAVEミュージックを自己流にアレンジしたMAD RAVEというスタイルを提示しているのだが、MAD RAVEの中にはグライム/ダブステップの要素が大きく反映されており、GOTH-TRADは非常に早い段階で自身の音楽にグライム/ダブステップを取り入れていた。
『Mad Raver's Dance Floor』収録曲「Back To Chill」は後にイギリスのSkud Recordsにライセンスされ12"レコード『Back To Chill EP』として再リリース。2006年にこの曲をキッカケとしてパーティーBack To Chillがスタートした。
2007年にMALA主宰レーベルDeep Medi Musikから『Cut End』をリリースし、GOTH-TRADはイギリスのダブステップ・シーンで受け入れられ、海外での活動が本格化。同年9月8日にロンドンで開催されたDMZのパーティーにも出演した。
続々とレーベルが立ち上がり、プロデューサーも増え始めて急成長していたイギリスのダブステップ・シーンに日本から参戦し、海外勢と同等のクオリティとオリジナリティで勝負した結果、現地で活躍するプロデューサーとコアなヘッズの信頼を勝ち取り、GOTH-TRADの知名度は海外でどんどんと上がっていった。
AVYSS magazineでの対談で話されているが、MALAやSkreamといったトップ・プロデューサーのダブプレートを日本で唯一所有していたのがGOTH-TRADであり、その貴重なダブプレートをBTCでは聴くことができた。GOTH-TRADが海外で得た経験とコネクションによってBTCでは最新のダブステップが聴ける場所となり、当初からダブステップの本質を薄めずに伝え続けている。
2008年にDeep Medi Musikから『Law / The Clown』をリリースして以降、『Dark Path』『Two Faced』『Babylon Fall』とシングルを発表し、GOTH-TRADはDeep Medi Musikの看板アーティストの一人となる。Distance「Traffic (GOTH-TRAD Remix)」やSkream & Cluekid「Sandsnake (GOTH-TRAD Remix)」といったリミックス・ワークもこなし、DMZにも手定期的に出演するなど、この頃にはダブステップ・シーンのトップ・プロデューサーの一人となっていた。
ダブステップ黎明期にGOTH-TRADがSkud RecordsとDeep Medi Musikを通じて素晴らしいレコードをリリースし、日本でBTCをオーガナイズしていたことによって、ダブステップの世界地図に日本はしっかりと大きく載ることになったはずだ。
100mado - dubstep&heavy bass from JAPAN
そして、日本のダブステップやグライムといったベースミュージック・シーンの発展において、GOTH-TRADと同じく100madoの貢献度も非常に大きい。
2000年中頃から100madoは自身のダブステップ・トラックや韻踏合組合などの日本語ラップをダブステップ化させたブートレグ・リミックスを織り交ぜたミックスをインターネット上で公開しており、2006年1月にはサイケアウツGと海外のグライム・トラックをミックスした「cycheoutsG_vs_famousGRIME」を公開。100madoのオンライン・ミックスやブログの情報でダブステップやグライムというジャンルを知ったという人も少なくないはずだ。
100madoのオンライン・ミックスの中でも、2007年に日本人プロデューサー達のトラックだけで作られた「dubstep&heavy bass from JAPAN」は公開当時から話題となっていた。100madoのトラックを中心にGOTH-TRAD、ENA、KEKKE、DOKKEBI Q(Gorgonn & Kiki Hitomi)、サイケアウツGのトラックがフィーチャーされており、日本の最初期ダブステップ/ベースミュージックの貴重な姿が収められている。
2010年にはMURDER CHANNELからベネゼエラのPachekoとのスプリット・アルバム『100mado vs Pacheko』を発表。ジャングル~ドラムンベースからの影響を落とし込んだディープなマッシブ・サウンドは100madoの音楽を象徴する部分であり、彼のトラックはダブステップ/ベースミュージック・リスナー以外からも支持されている。
BTCの初期
2006年9月7日に代官山SALOONで記念すべきBTCの第一回目が開催。GOTH-TRADと100mado(百窓)にターンテーブリストのSKE、ドラムンベースDJとして活動していたKaji Peaceの4名をレジデントDJとして、VJにはDIAGRAMが迎えられていた。
自分が知る限りではBTCが東京で最初のダブステップ・パーティーであり、ダブステップのカルチャーに触れたのもBTCからであった。
BTCが始まった2006年はダブステップの情報は少なく、BTCはブログでダブステップのレコードが買えるレコードショップを紹介したり、オンラインで聴けるDJミックスやリリースの情報を丁寧に解説してダブステップの活性化を情熱を持って進めていた。こういった草の根運動が身を結んで今に繋がっているのだろう。
第一回目についてはAVYSS magazineでの対談にて100madoが話してくれているが、BTC Blogに残されていたGOTH-TRADのコメントをここで紹介する。
BTCは2008年まで代官山SALOONを拠点に定期的に開催され、レジデントDJ達のオリジナル・トラックやダブプレートを織り交ぜた刺激的なプレイが体感できた。Kode9の教え子であったというイギリスのKper、7even RecordingsのオーナーであるフランスのGreg Gも初期の頃から出演しており、海外の最新のダブステップが聴けることも多かった。
BTCと親交のあったラッパーやドラムンベースMC、ターンテーブリストを招くなど、BTCは初期の頃からクロスオーバーな展開を試みていたのも見逃せない。
2008年からclubasiaに場所を移してからはENAがレジデントに加わり、毎月木曜日にレギュラー開催されることになる。東京のクラブ・シーンを代表する場所であるclubaisaのレギュラー・イベントになったことでBTCへの注目は高まり、ダブステップが東京のクラブ・シーンにより浸透していく。
この時期はダブステップ・シーンでターニングポイントとなることが幾つかあった。SONARのキュレーションを当時ダブステップ・シーンのアイコン的存在であったMary Anne Hobbsが務め、ブロステップの先駆けとカウントできるChase & Statusの「Pieces」がイギリスのダンスチャートで一位となり、CaspaやRuskoといったニューカマーが台頭。HyperdubはLow End TheoryなどのLAビーツ系と親交を深め、2562、Martyn、ScubaやTectonic、Skull Discoはテクノ/ハウスと融合していくなど、細分化が進んでいた時期であった。BTCは立ち上げ当初から推し進めているドープなベースサウンドを用いたダブステップを主体としながらも、ダブステップの様々な可能性に共鳴し、BTCのカラーを守りながらその幅を広げていった。
2010年代に突入してからENAは7even Recordingsを拠点に実験的な手法でダブステップを再構築した名作を立て続けにリリースし、ディープ・ドラムンベース~テクノ・シーンとBTCを繋ぐ重要な役割を果たす。GOTH-TRADは4thアルバム『New Epoch』でアーティストとして進化した姿を見せてくれ、ダブステップというジャンルをもう一層深い所へ持っていった。
2013年1月からBTCにBROAD AXE SOUNDSYSTEMというサウンドシステムが追加され、通常のクラブイベントでは味わうことのない強力な低音を体で浴びることができるようになり、ダブステップというジャンルの理解度が深まることになる。
MALAとBTCの関係
CokiとのユニットDigital Mystikzとしてダブステップ創世記から活動を続けているMALAとGOTH-TRAD/BTCの関係は古く、2007年3月に行われたMALAの初来日(Back To Chill meets DRUM & BASS SESSIONS 2007 "DUBSTEP × DRUM&BASS WARZ")をBTCはサポートしている。
Digital Mystikz、Loefah、SGT Pokesによって2004年に設立されたレーベルDMZは最初期ダブステップ・レーベルの一つであり、数多くのダブステップ・クラシックを残した伝説的なレーベルとして様々なジャンルのクリエイター達に多大な影響を与えている。クラシック揃いのDMZであるが、2006年にリリースされたDigital Mystikz「Anti War Dub」はダブステップというジャンルを代表する名曲の一つだ。
BTCは立ち上げ当初からDMZとDigital Mystikzのレコードをヘヴィープレイし、BTCが提示するダブステップ・サウンドの象徴的としてDigital Mystikzのレコードをプッシュしていた。
2006年にMALAはDeep Medi Musikをスタートさせ、Kromestar「Kalawanji」、Loefah「Disko Rekah」、MALA「Changes」といった今でもプレイされるダブステップ・クラシックを連発。MALAの「Changes」はThe Game「Holy Water」、XXXTENTACION「Look at Me!」でサンプリングされたことでも話題となった。
その後もDeep Medi MusikはSwindle「Do The Jazz」、Mark Pritchard「Elephant Dub」、Commodo Feat. JME「Shift」、Kahn「Abattoir」、Sir Spyro「Topper Top」などのジャンルを超えて愛される名曲を定期的にリリースしている。
プロデューサーとしてのMALAはミニマルでパーカッシブなビートの反復とストロングなベースサウンドを組み合わせたシャーマニックな楽曲で人々を魅了しており、彼の音楽はダブステップでありながらレゲエ~DUB~ジャングル~ドラムンベース~テクノといったジャンルにもシンクロする万能なスタイルを誇っている。
2012年にはアルバム『Mala In Cuba』で音楽家としての優れた才能を開花させ、ライブ・バンドを率いたパフォーマンスも高い評価を得た。最近ではジャズ・アーティストであるJoe Armon-Jonesとのコラボレーション作『A Way Back』のリリースやNina Kraviz『Tarde (Remixes)』に参加している。
MALAの影響を強く受けたプロデューサーは世界中にいるが、その最たるものがJames Blakeだろう。今や世界的に有名なシンガーソング・ライター/プロデューサーとなったJames Blakeはナショナル・パブリック・ラジオのインタビューでMALAから受けた影響について語っており、自身が音楽制作を始めたのはMALAの音楽を聴いたのがキッカケであったという。DMZのパーティーに通っていたJames BlakeはMALAにデモCDを渡していた過去があり、MALAを最大のインスピレーション源であると話していた。James Blakeは「Changes」のリミックスを手掛け、ライブでは「Anti War Dub」のカバーも披露している。
2007年以降MALAは定期的に来日してGOTH-TRADと国内ツアーを行うなど、日本のダブステップ・ファンにとって近しい存在として愛されている。2007年以来となるBTCでのプレイはきっと素晴らしいものとなるだろう。
レフトフィールド・ミュージックのミーティングポイントとしてのBTC
2000年代後半から2010年代前半に掛けて、ポスト・インダストリアル〜エクスペリメンタル・ミュージックの流れがダンスミュージック・シーン全体に流れ込み、ダブステップにもその影響は表れる。
GOTH-TRADと100madoはダブステップをクリエイトする前にはインダストリアル~ノイズ~即興演奏に特化したアルバムをリリースしており、ライブ活動も行っていた。彼等の音楽的ルーツの中にそれらの要素は深く残っており、それぞれの楽曲に反映されているのが分る。
興味深いのはダブステップ・シーンで活躍した一部のプロデューサー達は後にインダストリアル~ノイズ~実験音楽にフォーカスした活動にシフトしていく流れがあり、GOTH-TRADと100madoとは逆の動きが起きていた。例えば、EmptysetのJames GinzburgはP DuttyやGinzという名義で2000年代にダブステップを作っており、Roly PorterはVex'dとして初期ダブステップ・シーンに関わっていた。AnDやOntalといったインダストリアル・テクノをクリエイトしているユニットもデビュー時はダブステップからキャリアをスタートさせている。
Scorn「Stealth」、Cloaks「Versus Grain」、Legion Of Two「Riffs」、Vex'd「Cloud Seed」、JK Flesh「Posthuman」といったインダストリアル・ミュージックからの影響をダブステップに落とし込んだダークでヘヴィーなスタイルが徐々に形成されていき、Blackest Ever Blackといったレーベルはポスト・ダブステップとインダストリアル・ミュージックを独自の視点から作品化していった。こういったレフトフィールドなダブステップ/インダストリアル・ミュージックはSupersonic Festivalなどの後押しもあり、ポスト・メタル界隈と結びつき始める。
ダブステップ/ベースミュージックとポスト・メタル界隈に繋がりが出来始めた頃、日本ではBTCがその流れを意図的に取り込み革新的なカルチャークラッシュを巻き起こす。BTCのレジデントDJ達によるダブステップ/ベース・ミュージックをホストにENDON、STORM OF VOID、THE BODY、BORIS、444CAPSULEなどのレフトフィールドでエクストリームなバンドが出演するという凄まじい音楽体験を提供していた。それにより、BTCにはダンスミュージック以外のバンドやエクスペリメンタル、ハードコアな音楽を好む人々が集まり、特殊なミーティングポイントともなっていた。
ダブステップ側からサウンドシステムを揃えてこういったバンド・シーンにアプローチを仕掛けたのは日本ではBTCくらいではないだろうか。今思い返せば、BTCで起きていたこれらの異種格闘技戦はとんでもない価値があったはずだ。
BTCの歴史を振り返ってみてみると、彼等がやってきたことは本当に意味があることばかりだった。BTCが無ければ日本でここまでダブステップ並びにベースミュージックは浸透していなかっただろう。
BTCにはまだ語るべきストーリーが沢山あるが、まずは9月22日に行われる18周年パーティーで彼等のプレイを体感するのがいい。そうすれば、音を通じてBTCの魅力と歴史は簡単に伝わるはずだ。