最近
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映画『Past Lives』を見た。映画館で映画を観るのはかなり久しぶり。A24だからというカルチャー気取りの安直な理由で見たけど、とにかくどの場面を切り取っても画が綺麗で、音楽も良かった。映画の感想を言うとき、物語そのものについて言いたいこと語りたいことは当然色々あるのだけれど、なんか言葉にするのが難しいように感じて画とか音楽とかそういうことから話してしまいがち。というのはともかく、ロマンティックであり且つ極めてリアルな作品で、それは即ち映画という物語性と現実との関係に相似しているのだけれど、非常に純度高く丁寧に描かれていてとても良かった。自分の人生にあり得た選択肢(最近風に言うと”世界線”)について思いを巡らす主人公を見て、小説家・北村薫さんの「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」という言葉(最近Twitterで見た)を思い出したりもした。人生ってただ一方向に不可逆的に流れている時間の中にしか存在しないんですよねーーーーーという当たり前のことを改めて思う。
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そんな人生ということで心から楽しい瞬間がひとつでも多いといいな、でもなかなか無いなと思って日々生きているのだけれど、昨日のラブリーサマーちゃんのFCイベントのお花見はまさにそんな楽しい時間だった。FCイベントのお花見なので当然ラブサマちゃんが中心にいてラブサマちゃんに会いたくてみんな集まっているけど、正味自分的にはFCの皆さん、つまりは友だちでしょ、に会いに行ってるというか、ラブサマちゃんが幹事をやってくれてるサークルの花見に遊びに行ったくらいの感覚。(もちろんラブサマちゃんと喋りたいけど!)
でもじゃあなんでFCの皆さんを友だちと思えるか、会いたいと思えるかというと、ラブリーサマーちゃんを好きという共通項があるからで、それはやっぱりラブサマちゃんの魅力だなと思う。○○好きな人は絶対良い人!という論には同調しかねることも多いけど(ミスチル好きだけどミスチル好きな人とはあんまり仲良くなれないし、アジカン好きなら間違いないでしょと思ってもなんか違ったりする)、ラブサマちゃんを好きな人は良い人でしょと思える。
それはラブサマちゃんは自分と自分の周りの人とその先に広がる社会に対して正直に誠実に向き合って生きているというのが歌から伝わってくるからで、正直に誠実にというのは常に100%真面目にという意味ではなく人間だからムラがあるのは当然で、それも含めて正直に誠実に生きているんだなというのが伝わってくる。誤魔化さないとか弱さと向き合うとか肯定するとか、そう言うとよくある形容句かもしれないけど、それをこんなに地で行く人はなかなかいないんじゃないかなと思う。
それに「めっちゃかっこいい曲を書く人が人間性も素晴らしい」ということはそれなりにあるだろうけど、「めっちゃかっこいい曲から人間性が伝わってくる」ということはあんまりなくて、それが自分がラブサマちゃんをこれだけ好きになったポイントでもある。ラブサマちゃんはあくまで自分のために曲を書いているとよく言うけれど、だからこそ伝わるものが大きいんだなと思う。(言わなくていいことだけど、やっぱり売れることから逆算された音楽はなかなか好きになれないし、自分のそれを嗅ぎ分けるセンサーには自信を持っている)
そんなラブサマちゃんの誠実さを感じ取り惹かれた人たちが集まってる集団なので、やっぱりみんな大らかで優しくて心地よくて、それでいて色んな属性を持った人たちが集まっているので新鮮な刺激にも溢れていてシンプルに楽しい。こういうのってなんとなく同質的な人が集まったりするもんじゃないのとも思うけど、やっぱり人柄や誠実さというのは属性を問わないから、みんなそこに惹かれて集まってきてるから色んな人が集まってきているのかなと思ったりもする。社会人になってから新しいコミュニティに属したり友だちを作ったりってなかなか難しいよなーと思ってもいたので、そういう意味でも嬉しい。シャボン玉とか糸電話とかまた遊びたい。シャボン玉を持って行った自分のセンスの良さである種の自己肯定感が満たされているが、味噌汁を盛大にこぼした粗相で半減している。という話。
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