「繋がっていないと不安で仕方がない」症候群
僕の友達には、ツイッターやインスタなどのSNSをやっている人がたくさんいる。
友達の近況をリアルタイムで知ることによって、直接会えなくても、「あいつ元気にやっているんだな」と確認できる。
特にコロナ禍では人同士の交流が制限されているため、SNSはそんな中でも知り合いとの繋がりを保つのに一役買っているのだろう。
それはSNSの良い点だと思う。
しかし、今の若者はSNSに依存しすぎていないか?と思う節もある。
(かく言う筆者も23歳。しっかり「今の若者」である)
例えば高校を卒業した後でも、SNSで高校の友達と繋がっていたりする。
確かに大学に入学したてのころは右も左もわからず不安だから、新しい環境に慣れるまで気心の知れた友達と繋がりを保てるのは、良い精神安定剤になるだろう。
しかし、大学卒業後でさえ、高校の友達の日常をSNSで知りたいか?
一年に一度くらい会って、お互いの近況を報告する、くらいで満足できないのか?
もちろん、今のご時世は自由に誰かと会えないという特殊な環境なので、仕方のない面もある。
ただ、どうしても僕には、「常に友達と繋がっていないと不安で仕方がない」というあまり健全でない精神状態がそこにはあるように思えてしまう。
もう一つ、恋愛を例に取りたいと思う。
恋愛においては、カップル内でお互いの気持ちを伝えあうことが重要だとされている。
折に触れて「好きだよ」と言ったり、中にはLINEで脈絡もなくそんなやりとりが展開されることもあると聞く。
そういう関係に対して僕は、「あぁ、言葉にしないと不安で仕方がないんだな」と思ってしまう。
たしかに言葉は心を表す重要なパラメータではあるけれど、言葉だけでは伝えられないものもあるよね。
極論を言えば、嘘をつくことだってできるわけだし。
村上春樹さんが、こんなことを言っている。
"ぼくはアメリカ人の夫婦を見てほんとうに思うのは、いっしょにいるあいだはすごく仲がよくてベタベタしているんですよね。どこかへ行くときはちゃんと手をつないでいくとか。そのくせ別れるときはパッと別れる。"
※『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(新潮文庫、1999)p.104
「気持ちは伝えなきゃダメ」といった発想は、村上春樹さんの言うアメリカ人夫婦のあり方から来ているようだ。
日本には以心伝心という文化がある。
言葉に出さなくたって、体の関係がなくたって、愛を確かめる方法はあると思うのだけど。
最後に、僕は、他人との繋がりを保とうとする姿勢「そのもの」を否定するつもりはない。
アリストテレスの言うように、人間は社会的動物だ。一匹狼では生きていけない。
何を隠そう、僕だってこのnoteを通じて他人との繋がりを持とうとしている。
しかし、度を越していつも他人とベッタリなのは、精神的に病的かもね、ということが言いたいのだ。