人生は無意味か?

千葉で、通学路を歩いていた児童の列にトラックが突っ込み、2人の子どもが死亡した事故は、今大きな波紋を呼んでいる。
この事故が単なる運転上の過失によるものだったからではなく、運転手の呼気からアルコールが検出されたからだ。
京アニ事件でも感じたことだが、愚かな行動のせいで罪のない人々の命が奪われるのは、本当に心が痛む。
そればかりか、理不尽な目に遭う人がいる一方で、なぜ私は平和な日常を享受できているのだろう?という気持ちにもなる。
あるとき自分や自分の家族が謂れのない理由で死を遂げることもあるのだろうか、と考えると、生きるエネルギーが蝕まれていく。
人生が、カオスで、虚無なものに思えてくる。

耳を疑うようなニュースの報道に加え、自分の将来に対する不安などが相まって、ここ2か月くらいかなり辛かった。
人はどうせ死ぬのになぜ生きるのか?といったことを考えた。
なぜ自殺してはいけないのか?についても。
自分なりに考えを模索した末、一つの結論のようなものにたどり着くことができた。
それは、生命とは運命に抗い続ける存在だからだ。
ここにおける運命とは「命あるものは必ず死ぬ」ということだ。
運命を甘んじて受け入れることもときには重要だが、むしろ、生命の本質は運命に抗うことにある。
医学は、人は必ず死ぬ、ということを前提にしながら、少しでも長生きしたいという切実な願いを原動力に発展した。
死にたくなるほど辛いことがあっても、人間同士の社会的な繋がりが自殺を食い止めてくれる。
国際秩序は、人間は自然状態では戦争になるという性質に対する抑止力として整備されてきた。
我々人類が歴史の中で少しずつ発展させてきたものは、すべて運命(人間の生命としての本質)に抗うための産物なのだ。

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