【CS進出決定!!】新庄日ハムの躍進を支える暗黒期阪神タイガースの2人
2024年シーズン、新庄剛志(BIG BOSS)体制になって三年目。
万波中正、清宮幸太郎、伊藤大海ら若い選手が引っ張る日本ハムは前年までの連続最下位から上位へと躍進。2位でのシーズン終了が射程に入り、クライマックスシリーズで下剋上を狙いつつある。
そんな勢いのある日ハムベンチに並ぶコーチ陣の面々を眺めていると、90年代暗黒期タイガースのファンであった者にとっては懐かしい顔を見つけることができる。
ひとりはバッテリーコーチの山田勝彦。
現役時代はキャッチャー。
90年代、最下位が定位置だった暗黒期タイガースの一軍捕手であり、苦しい投手陣を女房役として何とか支えようと奮闘した選手だった。
もうひとりは、打撃コーチの八木裕。
言わずと知れた元祖「代打の神様」である。
もともと強打の野手だったが、代打の切り札という役回りになってから1997年には代打打率4割達成、翌1998年も開幕からしばらく5割を超える率を残すなど、強烈な印象を阪神ファンに刻み込んだ。
今回は山田勝彦、八木裕の懐かしい現役時代の活躍をたどりながら、引退後彼らがコーチとなり、どのようにして今の日本ハムの躍進を支える一員になったのかを探っていこう。
「物足りないキャッチャー」山田勝彦
90年代の阪神タイガースを辛抱強く応援していた者にとって、山田勝彦の印象は「頼りないキャッチャー」といったところだろうか。阪神ファンの誰もが、山田に物足りなさを感じていた。
なんといったって、当時のセ・リーグには超ハイレベルなキャッチャーが揃っていた。
ヤクルトスワローズの古田敦也、中日ドラゴンズの中村武志、横浜ベイスターズの谷繫元信。いずれも守備能力が高く、打撃も一流のものをもっている一流捕手だった。
彼らと比較すると地味だが、広島カープの西山信二や読売ジャイアンツの村田真一だってときにホームランを打つパンチ力があり、阪神ファンとしてはそんなキャッチャーのいる他球団が羨ましくてたまらなかった。
そんな強者揃いのセ・リーグのキャッチャーの面々のなかで、山田勝彦の打撃はお世辞にも力強いものとは言えなかった。最も出場試合数が多く、優勝争いをするチームに貢献した1992年でさえ、打率は.204である(山田の通算成績は現役16年で打率.205、360安打、21本塁打)。
また、捕手のレギュラー争いをしていた関川浩一が打撃・走塁に秀でた攻撃的な選手だったことも、山田の印象を地味なものにした。
そんな中で1998年、関川浩一と入れ替わりで中日から加入した矢野輝弘がレギュラーを奪取し、山田はその地位を奪われてしまう。
セ・リーグ他球団に比べキャッチャーが頼りない、という阪神ファンの不満は、矢野が翌年規定での打率3割を達成したことでようやく解消されることになった。
阪神ファンは矢野という正捕手を得て、漸く今までコンプレックスになっていたキャッチャーへの不満が解消できたのである。
なぜ、山田は矢野に敗れたのか。
1999年から三年間阪神の監督を務めた野村克也に言わせれば、山田は野球選手として「まじめすぎる」のだという。
責任感の強さから冷静さを失い、バッティングではワンバウンドのボールにも手を出してしまう。
確かに山田は執拗な内角攻めを要求して乱闘騒ぎの原因となったり(相手はヤクルトの古田敦也であった)、コーチになってからもベンチ裏で壁を蹴り上げて骨折したりと、意外に熱くなりやすい男でもある。
沈着な判断が下せないことは、当然キャッチャーとしてのインサイドワークにも影響を及ぼす。捕手には冷静さと、ある種のずる賢さが必要とされるのだ。
「ピンチやチャンスで自分を見失うようではキャッチャーは無理だ」と野村は判断し、山田は矢野にレギュラーを譲ることになった。
矢野が不動のレギュラーとなり、控えが定位置となってしまった山田勝彦は出場機会を減らし2003年トレードで日ハムへ移籍。メジャーリーグから帰ってきた新庄剛志とも同僚となったが、2005年に引退。だから日ハムのOBでもある。
だがここから、山田勝彦の第二の野球人生が始まる。
引退した翌年、山田は阪神からの要請を断って楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリーコーチに就任。そこには、監督である野村克也のもとで野球を学びたいという思いがあったという。
さほど評価もされず、レギュラーも剥奪されたときの監督である野村克也のもとに強く希望してコーチとして赴いたということは、山田はよほど胆力のある男なのではないか。
現役時代は華々しい活躍をした選手ではなかった山田だが、その生真面目な性分は引退後のコーチ時代になって花開いたようだ。
山田がコーチとして優れていることは、彼の経歴を見ればわかる。
現役を引退して楽天のコーチとなった2006年(-2010年)以降、オリックス(2011-2012年)、阪神(2013-2021年)とコーチの職は一度として途切れていない。
NPB球団からのオファーが常に途切れていないという事実が、何よりも山田のコーチ能力の高さを示している。
山田勝彦はこの長いコーチ歴のあいだに楽天・嶋基宏をはじめ、オリックス・伊藤光、阪神・梅野隆太郎と、ゴールデングラブ賞を受賞するキャッチャーの指導に携わり、指導者としての経験を積んできた。
そして2022年、BIGBOSSの監督就任にともなって山田は日本ハムへと加入した。
新庄とは公私ともに親交が深かったというが、建山義紀、森本稀哲ら2006年優勝メンバーがメインになっている日本ハムベンチに、阪神時代からの知己である山田勝彦の力がぜひとも必要だったのだろう。
近年なかなかキャッチャーのポジションを固定できていなかったファイターズだが、今年になってようやく安定した陣容が整いつつある。
2024年シーズンの日本ハムは伏見寅威、田宮裕涼、郡司裕也ら複数のキャッチャーの併用という形になっており、この運用にはバッテリーコーチとして山田のサポートが欠かせない。
さらに山田は戦略面においても新庄監督を支え、野村から受け継いだ「考える野球」、新庄のはじめる「新しい野球」を浸透させようとしている。
二年連続で最下位となかなか結果が出ていなかったが、日ハム首脳陣の蒔いた種が芽を出し、大きく花開こうとしているのである。
*引退してからコーチ歴の途切れていない人物というと、野村克則(カツノリ)が思い浮かぶ。克則は【楽天→巨人→ヤクルト→楽天→阪神】とコーチとしてのべ5球団を渡り歩いている。
山田勝彦とカツノリは楽天時代の同僚であり、ともに野村克也の大きな影響を受けたキャッチャーであることも共通点である。
カツノリはコーチとしての評価はもとより、阪神球団に在籍していながらオフにはヤクルトのOB会に顔を出すような人間性や気配りも買われているのだろう。
それにしても、野村克也はよくこれだけ多くの人材を育てたものだ。
現在のNPBの監督だけでも、新庄剛志、吉井理人(ロッテ)、渡辺久信(代行・西武)、高津臣吾(ヤクルト)がおり、岡田彰布(阪神)も二軍監督として野村と関わっている。
コーチ陣にまで視点を広げてみると、今シーズンセ・リーグ首位をひた走った広島の新井貴浩監督の隣には、いつも藤井彰人コーチの姿がある。
彼も楽天時代に野村克也の薫陶を受けている。
こうして野村克也の残した足跡をあらためて見返してみると感嘆せざるをえない。
ファイターズを率いて最下位だったチームを2位まで引き上げたのがあの“宇宙人”新庄剛志で、そのそばに控えているのが山田勝彦だなんて、ノムさんも天国でさぞかし驚き、そして喜んでいることだろう。
「代打の神様」八木裕
さて、もう一人は八木裕(やぎ・ひろし)。
現役後半は「代打の神様」として阪神ファンから崇め奉られた八木だが、入団した当初はレギュラーを張り、三年連続でシーズン20本以上のホームランを打つパワーも備えていた(1990年に28本塁打を記録)。
そういえば、1992年9月11日ヤクルトとの首位攻防戦で大騒動になった「幻のホームラン」を放ったのも八木だった。
新庄や桧山進次郎の台頭もあり、30代に差し掛かってからは代打の切り札として活躍。
1997年には代打打率4割を達成。1998年も開幕からしばらく5割以上をマークするなど、ここ一番での勝負強い印象をファンに植え付けた。
2003年の星野政権下で優勝を経験し、翌2004年に引退。解説業に転じ、2009年からは7年間にわたって阪神のコーチを務めた。
新庄から打撃コーチとして招聘を受けたのは2022年オフのこと。
新庄から直々に電話で八木へのコーチ就任要請があったというから、よほどの肝入での招聘ということになる。八木は突然の要請に驚いたという。
10年ほど阪神で一緒にプレーした八木と新庄だが、たまたまロッカーが隣だったことから、よく言葉を交わすようになった。そして八木の反対側は和田豊。新庄は八木と和田という両ベテランに挟まれていたということになる。
1965年生まれの八木裕は新庄監督より6学年年上にあたる。
新庄は、八木が阪神時代に試合前練習で課題を設定してバッティングに取り組む姿を評価しており、加えてやはり代打での実績から一打席一打席に懸ける心構えをファイターズの若い選手たちに叩き込んでもらいたいという思いで、八木にオファーしたという。
それまで八木は選手・コーチ時代ともに阪神一筋だっただけに、初めて別のNPB球団での仕事ということになる。
BIGBOSS政権1年目は、栗山英樹時代から引き続き金子誠、渡辺浩司、矢野謙次が打撃コーチを務めていたが、2年目にして交代となった。
新庄が自らの口で言っているが、ほんとうは就任初年度から八木にコーチを要請したかったのだが、自身が新任監督ということもあり球団への遠慮からコーチ編成にまでは口を出さなかったという。
こうして打撃コーチに就任した八木は、チーム打率.250、本塁打150本、得点550という明確な目標を立てた。
2023年の就任一年目は、万波中正がブレイクしホームラン王まで1本差に迫る25本の本塁打を放ったものの、チーム打率はリーグ最低の.231と貧打解消には至らなかった。
しかし二年目の今年、すでにチーム本塁打は100を超え、チーム打率も2割5分に迫るところまで上昇している。そして勝利に直結するチームの総得点も首位ソフトバンクに次ぐ2位となっている。
就任二年目にして、ついに八木裕の指導が実を結びつつある。
このことから考えるに、新庄剛志は指導者として若い選手を育てるだけにとどまらず、コーチとして的確なオファーを出し、指導者の才能さえも花開かせてしまう能力を持っているのかもしれない。
2024年の日本シリーズはどうなる?
山田勝彦と八木裕。
ふたりの暗黒期阪神タイガースOBについて綴ってきたが、ちょうどよい動画があった。
6月9日交流戦の日ハム-阪神戦。ふたりが試合前に阪神監督の岡田彰布に挨拶し、楽しげに会話を交わす映像である。
一体どんな会話が交わされていたのだろうか。阪神は前年38年ぶりの日本一を達成、日ハムは今シーズン最下位からの巻き返しに成功と、ともに上位争いを繰り広げるチームを率いていることの充実感が、三人の表情からはうかがえる。
両チームがクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本ハムー阪神の日本シリーズという顔合わせになれば、この上ない盛り上がりになるに違いない。
熱い10月が、待ち遠しくてたまらない。