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2020.XX.XX to 2024.10.04 "所詮人間の写真"の本を買うまで

幸村恵理さんの写真集「果報 -kafuu-」を買った。

声優楽曲がたくさんかかるパーティーに行くとたまに写真集が置いてあり、ちらっと中身を見ることがあるが、「まあでも所詮人間の写真だしなあ」みたいな身も蓋もない感想を抱いて閉じる。これは綺麗な風景の写真、もっと言えばモネの展示に行ったときにも思ったので、ビジュアル、特に静止画に対する自分の残念な感性に呆れる。ただモネに関しては見たあとの外の景色の解像度が確かに高すぎたので、河野ひよりさんの言っていたことには共感できて、これが印象派かとは思った。ギリギリ残ってる感受性。

大体その程度の感想の中で、唯一見たいものと解釈一致しなかったというところまで思ったのは黒木さんの写真集。それも「日常の彼女感とかじゃなく、黒木さんにはひたすら甘い服とかロリータ服着ててほしい」というあまりにも趣味が偏った感想だったりする。ウィッシュフルリリーを着た黒木さんの写真に射抜かれた者、いつまでもアルストロメリアの衣装を着ている黒木さんが一番好き……。

そういった具合にビジュアル面にフォーカスすることが少ないので、過去にフォトブック等を買ったのはサークル時代に自分のペンネームに使っていたものがたまたま冠された上田麗奈さんの「わすれな」と、番組応援とおまけのトークが見たくて買ったトゲガールのフォトブックくらい。上田麗奈さんのはコンセプトから色合いまで好きだったので買ってよかったなと思っているし、未だにiPadのロック画面に使っている。あとシャニマスのパンフレットは可能な限り買っているけど、アレって基本は4コマと衣装のディテールを味わう冊子なのでちょっと違う気がする。

1つ言っておくと、衣装とかメイクとか、垢抜けていく感じとか、そういう経時的な部分と別軸のピュアなビジュアル面に「興味がない」と言い切るのはたぶん嘘になると思う。私だって一目惚れしたことはあるし(元ブクガの和田輪 a.k.a. 輪廻むいとか、最近だとノブロックに初出演したときのひたすら目が据わってる福留光帆とか……)。まあでも平均的な人間よりは少ないかもしれないとは思っている。

ただ声優の場合はほぼそういうことはなく、たぶんこれは恋するときと同じ機構によると思う。特定の要素が好きになると、次第に「こういう見た目の人間が魅力的なんだ」という認知の歪みからビジュアルへのフィードバックが来て、自然とビジュアルの部分が入力となる。その最たる例が私にとって土屋李央さんで、樋口円香の声に惚れ、CUE!&Aのラジオで見る絶妙な不器用さを好きになっていくうちに見た目に波及してきて、「結局ビジュアルも好きになってしまう、私はこんなにも愚か」みたいな気持ちに定期的になる。未だに。


それなら私はなぜ幸村恵理さんの写真集を買ったのか。これは私が幸村さんのことを深く知りたいと思うようになったきっかけが根本にあり、彼女の人間性とこれまでの歩みを眺めて感慨深かったというのが1つの答えである。

その前に、私は黛冬優子みたいな人間がすごく苦手。これは愛依と黛のやりとりを好きになった今も変わってなくて、283プロ唯一若干の嫌悪感があるアイドル。若干まで落ち着いたのは愛依がいるからなので、CV.である幸村さんのことは気になるのに肝心のアイドルが……みたいなところを少し解放してくれて愛依には感謝している。あとミュークルドリーミーのことこ先輩がめちゃくちゃ好きだったので、大手を振って幸村恵理さん気になると言えていたところもあり、サンリオにも感謝。

なぜこの話が必要かというと私が基本的に声優本人に興味を持つきっかけはキャラクター、あるいは声や芝居だから。作品やラジオと全然関係ないきっかけで一時期番組を見ていたのは会沢紗弥さんとあみあみNAの根本京里さんくらいだと思う。特に会沢さんは会沢炎上のガチ恋カメラの感じが好きでドキッとしてしまったというのがあったので、純粋にビジュアルでやられた例外事象。見た目から入ることはないと強く言い切れない厄介な事例でもある。

ゆえに前段の話と合わせれば私が幸村さんにたどり着く道は本来ミュークルドリーミーに出会うまでないわけだけど(1期の後半から見始めた記憶)、そこはシャニラジが関わっている。黛のことは好きじゃなくても愛依と芹沢のことは好きだし、そもそもコンテンツ自体が好きだから別にストレイ回だけを飛ばす理由もない。シャニラジストレイ回は時間を経るにつれて無茶苦茶で番組の体を成さなくなっていき、ラジオとしてはどうか微妙だけど音声コンテンツとしては規格外の面白さになっていったので、リニューアル前の後期は毎回楽しみにしていたくらい好きだった。シャニラジ273回が喫茶店じゃないんだぞみたいなレベルで酷くて特に「笑われた、もう私この問題答えたくない!」は何回聴いても笑ってしまう。

(全く同じ駄々っ子を1年前もやってたらしいことがわかった)

そんなことはどうでも良くて、シャニラジはコンテンツラジオなので、お知らせの原稿読みタイムが毎回ある。その時間になると「合言葉」というワードが聞こえてくるまでぼんやり聞くので、お知らせの情報は右から左に抜けていくことが基本だった。そんなあるとき、不意に幸村さんの読んでいる内容が自分の意識にストンと落ちてくる瞬間があり、いい声だし軽く気を惹く落ち着いたトーンでいいなと思った。これがきっかけ。

きっかけがきっかけだっただけに、あみあみNAの番組「幸村恵理のエニタイムえりタイム!」がスタートしても特に話を聞く感じではなく環境音的に流していた。トゲガールも第2回の風邪を引いたときに見る悪夢みたいな回は好きで見ていたくらいで、あとは雰囲気だけ聞いているような具合。声優ラジオのすごいところはその環境音的な視聴であっても心地が良いところで、全然違和感なく楽しんでいた。

そんなある日、えりタイムで幸村さんを褒めようみたいな企画が放送される。こう言っちゃなんだけど、メール自体は(送ってる人にとって事実としても)結構月並みなワードが並んでいて、「まあ個人の魅力ってそう簡単に言葉にはならんし、オタクは閾値の低い状態で"芝居が〜"とか"ストイックで〜"みたいな絶対評価をしがちだから」くらいでぼんやり聞いていたのだけど……。

(動画、会員限定になってたね……)

明るいコーナーなのに泣き始める幸村さん。私はこういう感情の表出に対して「大袈裟でファンサが含まれている」と一定程度冷めている部分があり、シンプルに泣いただけならそういうこともあると思うのだけど、なんかちょっと様子が違うなと感じた。

自らの行動に対して自分で背負う覚悟はあるし、そこに矜持があるにも関わらず、他者からの評価に対しては疑いの目を向け、信じることから距離を置く。ただ全く信じないわけではなく、達成したという自信のある事柄に対しては他者の評価を要求する。この人間らしい絶妙なアンビバレンスをえりタイムで感じて、この人ってこんなに面白い人なんだと実感し、興味を持って番組を見始めた。以降、トゲガールもしっかり見たり、へんぼっけが始まったらONE TO ONEに加入したり……という具合に今に至る。考え方や振る舞いに同意する部分も多いので、ストレスなく楽しんで散らかったトークを聞けるのが気に入っている部分だと思う。

ただ、私が幸村さんを知った頃の様子は私の某友人の言葉を借りれば「(加入当時)どこの田舎娘が入ってきたんかと思った」。文字に起こすとかなり辛辣だけど……当時のことを思い出せば非常に的を射たフラットな評価だと思う。特にアイドルという見られる仕事をしてきた北原さん、ナチュラルな田中さんと並ぶことが多かったから余計に感じるところではあったと思う。

作家のむとうさん等にスキンケアしてるとめちゃめちゃ自慢げに話をしたら返り討ちに合う回。これ以外にも「美容などにお金を使ってこなかったから、どう使っていいかわからない」、「週一で美容院行くなんて何」みたいなことをこの頃はまだ言っていたりで、個人的には「わかる〜」と思いながらも一応出役なのにそれでええんか……?みたいな気持ちにもなったりした記憶がある。

こういった様子を見ていたのもあり、まあ声がいいし人間性がハチャメチャで面白いからいいじゃんみたいな感じでいたところ、どこかのタイミングで「あれ?雰囲気変わった?」と思った。写真の形で明確に残っているもので言えば、そのタイミングの前後くらいにおそらく撮影されたのがトゲガールのフォトブックだと思っている。本人たちも1年くらい前で幼いねと発売時に話していたし、そこと時期が重なってる。

(幸村さんが指数関数的にどんどん綺麗になっていく時期の初めくらい。まだだいぶ幼児の名作切り抜き)

研究の成果と涼本さん含む周囲の有識者からの影響が実を結んだのが一番なのかなと方々のトークを聞いていて感じる。ところどころで漏れ出てくるK-Popアイドルやハロプロ、その他アイドルの話は自分のパフォーマンスなどの研究過程で自然とハマっていったものなんじゃないかと少し思っていて、相当熱心に研究していたりするのかなと推し量っている。憶測にすぎないけど。

(涼本さんのメイクを真似してみたのが筒抜けだった回)

「盛れてる」は自己を形容するための言葉だと思うので他者に使うのは良くないのだけど「幸村さん今日盛れてるな」と思う日が増え、我儘なままのラブリーすぎる衣装を背負っても衣装に負けないところまで来たのを見て「人間って数年でこんなに綺麗になるんだ……」と謎の感動を覚えた。パフォーマンスの精度はもちろん向上しているけど見始めた頃からずっと高水準を叩いているので言わずもがな、私の黛への評価をベースにあの日の感想を述べるなら「ちゃんと黛が可愛くアイドルやってて悔しい」だったくらい。

そんな垢抜けプロセスも落ち着き、見慣れて「盛れてる」等を思わなくなってしばらくした頃に写真集発売のお知らせ。幸村さんの根本のマインドと数年前の様子を知っているからこそ、モーニングルーティン風のモノを撮った声グラの一企画じゃなく本で出るの?!とかなり驚いた。それってフォトブックとはわけが違うんじゃないかと。

5年前の様子からはとてもじゃないけどこうなるとは思わなかったという驚き、本人の人間性的に写真集を作ることに対して消極的だと予想していたことへの裏切りなどなど……根本の精神性にアンビバレンスがある人間が、見られることに意識的になり、徐々に垢抜けて写真集という形になるのはひとつの記念碑みたいなところがあると思った。

私にはファンというほど盲目的な熱量はないが、幸村さんをぼんやり眺めてきた結果、ラジオ等で話される人となりをそれなりに把握している。たまに熱心なファンよりラジオの内容を覚えているときがあり、SNSで「〇〇だったの?!」と驚いているファンを見て「結構前にへんぼっけで言ってなかったっけ……」と思ったりもする。雑談に関する記憶力がそれなりに高いらしいのをこういうところでも実感する。

(写真集の話が出てた回の無料パート、思ったよりサラッと話すもんだからそこに驚いた)

「写真集自体が嬉しい」というよりも「写真集が出せるようなところまで綺麗になって……」みたいな親目線の謎の感慨深さがあり、記念に買っておくかと購入に繋がった。自分でも驚くほど即決だった、即決すぎて普通に限定版を買えている。人間のアクスタが我が家に初めて届いた、ビックリした。


中身についてはやっぱり「うん、写真集だね」くらいの気持ちではあるものの、不思議と謎の親目線は発生した。こういう記念碑みたいなものを人生で打ち立てることは、大なり小なりあれどすべての人間に訪れるもので、魅力的に思っている人間のそういったものに立ち会え、形として手元に残るというのは得も言われぬ感動がある。非合理的な買い物ではあるものの、これも一種のオタク仕草「応援」であるのかもしれない。

(私はまだ"幸村恵理のヲタク"じゃないが……)


何はともあれ発売おめでとうございます。写真集出ますよ〜の告知を見てからの自分の感情の動きが面白いなと思ってなんとなく整理をしたかったので、こうやって書いてみました。

写真集ってどれだけ応援してても見ないし絶対買わないですからねえ……。このあとセールで安くなってたのもあり、タイトルもコンセプトも好きで買ってもよいなとちょっと思ってた芝崎典子さんの「のりこめ!」を電子版で買いました。無人島に一緒に流れ着いたぬいの様子で臨場感が演出されててそこがめっちゃよかった。なんかアニメにある声が入ってないダイジェストシーンの映像を見ているような臨場感。

あとミュークルのことこ先輩ももちろん好きな一方で、私のdアニメストアのスキンはケーナが好きすぎて未だに「リアデイルの大地にて」だったりします。キャリアの回線に紐づいてるdアカウントと別のdアカウントを使っていて統合したいのだけど、なかなか統合に踏み込めない1個の理由……。

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