僕はもう本を読めない
周囲から活字中毒と言われるほど、僕は本の虫だった。
幼い頃から大人が読むような字の小さな本ばかり読んでいた。
高校生になる頃には専門書を好むようになり、時間と体力さえ許せばずっと本を読んでいた。
けれど今はもう、僕は本を読むことはできない。
気になって買った本棚2つ分程もの本も全て売却した。
それは突然始まった。
いつものように本を読もうとページを開くと車酔いのような目眩に襲われ、そのまま意識を失うようになった。
最初の内、それは10年間も引きこもっていたのに突然バイトを始めたから疲れているのだと思っていた。
しかし体調の如何に関わらず、その症状は起きた。
老化現象のせいかと思い、当時宣伝されていたハズキルーペを試したりもした。
光に過敏になっていたのでサングラスもかけてみた。
それでも本を読むことはできなかった。
これといった原因は見つかっていない。
というか、この症状で病院にかかっていない。
何故なら既に緑内障が始まっていると知っているから。
重度の不眠症である僕は強い薬を複数出されても、6時間も眠れるのは最初の2ヶ月くらい。
どんなに薬の試行錯誤をしても最終的に1~4時間弱の睡眠時間になってしまう。
そして緑内障の薬と睡眠薬は禁忌薬とされている。
挙句緑内障は治療法が無く、睡眠を犠牲に薬を使っても進行を遅らせるだけだ。
遅かれ早かれ、いずれ僕は失明する。
だから自分の意志で視界を捨てて睡眠を取った。
取捨選択、どちらかを選べというなら眠れないことによって起こる喘息の悪化や幻覚幻聴の方が余程厄介であるから。
自分が緑内障を発症するだろうと予想はしていた。
遺伝する病気の内、母親には発現せず僕に発現する祖母の持病が多くあり、その1つに緑内障があったからだ。
祖母は失明するより先に癌で生涯を終えた。
緑内障というのは詰まる所、死ぬのが先か失明するのが先かという病気だ。
そして睡眠薬が目に悪いということは前々から知っていた。
だからその時限タイマーが人より先に発動するだろうことも予想していた。
30歳前半、視野が欠け始めたことを眼科で確認してから一度も眼科には行っていない。
更に重ねて言えば聴覚過敏も悪化しており、もう好きなバンドのライブにも行っていない。
ステージの光と大きな音により意識を失いかけることが続き、もう潮時なのだと理解した。
それよりもっと前に三半規管が壊れてライブの醍醐味であるヘドバンやモッシュもできなくなっていたし、コロナという流行り病を経てチケット代はべらぼうに上がった。
生活保護の僕には無縁のものである。
周囲は当事者である僕を差し置いてこの現状に悲観しているが、同時に彼らが驚くほど僕は何一つ悲観も戸惑いもしていない。
僕は五体満足で産まれたのだから、あとは失うだけの人生であると小さな頃から確信していた。
多くの老人が不自由を抱えて死んでいくように、生きるというのは不自由になっていくということだと信じて疑っていない。
事故で手足を失ったり首から下が動かなくなることはあっても、目や腕がにょきりと生えてきたりすることはないのだから。
イラストやCGや模型、色彩等の勉強はこれからも続けていく。
今は目が見えているのだから、やりたいことをやっていって損はない。
失明するまでの楽しみである。
失明するもっと以前に本を読めなくなるというのは予想していなかったけれど、少し早くその時がきただけだ。
予想していた通りの未来だからか、自分でも驚くほど簡単にその事実を受け入れ簡単に本を手放した。
自閉症患者の平均寿命は40歳だという。
僕は自閉傾向が強い発達障害というだけで正確には自閉症ではないけれど、平均寿命を考えれば様々な器官が壊れていっているのは不思議なことではない。
あと3年もしない内に平均寿命を迎えるのだから。
順調に死んでいっている。
緩やかで穏やかな終わりへ。