鬼滅の刃を見てなくても話せる相手が友達だと思う
『鬼滅の刃を見ていないとハブられたり虐めの対象になったりする』
そんな話をツイッターで多く見て驚いた。
一番驚いたのが、それを防ぐために親が子供に視聴を強要していること。
一言で言うと「バカじゃねーの」と思う。
これは鬼滅も世代も問わず蔓延っている問題だと思うけれど
『周りと一緒じゃないと友達がいなくなりそうで怖い』
みたいなノイローゼはいい加減治した方がいい。
というか、相手や周囲から除け者にされないように頑張るのって徒労なんだよね。アナタが頑張って頑張って友達でいようとしているそれって、全然友達なんかじゃないと思うよ。
色々合わせてくれるから付き合っているだけの知り合い。アナタが頑張らなくなった瞬間切り捨てられるんでしょ?そんなのは友達じゃない。いうなれば『友達ごっこ』。
別に「友達なんて作らなくていい」なんて言うつもりはない。でもそもそも友達って作るモンじゃない。気が付いたら友達になってた。そういう自然派生するものだと思う。
僕はマイノリティの詰め合わせみたいな存在だけど、友達はいる。ネットとリアルを足しても両手で足りるくらいだけどね。でもそれで不自由な思いをしたことはない。
学生時代アニオタゲーマーだったから、当時流行っていた音楽もドラマも何も知らなかった。恋愛とも無縁。
だけど何となく気が付いたら同じようなアニオタゲーマー数人で集まって遊ぶようになってた。あとこれも気が付いたらなんだけど虐められてハブられた奴も一緒に遊ぶようになってた。
登下校のタイミングが合うと10人くらいの集まりになる。学年もクラスも飛び越えて、一緒によく遊んでいたし休み時間には廊下でたむろしていた。
それぞれ虐められる素質はあったと思う。吃音症、いつも斜に構えて憎まれ口しか叩かない、攻撃されてもヘラヘラ笑ってることしかできない、我が道を行きすぎて会話があまり成立しない等々。
だけど何となく馬が合った。共有する話題が無くても関係無いし、お互いの情報に興味があれば足を突っ込んでみる程度。
虐めの対象であっても10人も集まれば襲われはしない。流石に10人って規模は特殊なケースではあると思うけど、何も頑張らなくても友達はできる。
僕はいつだってハマってるゲームやアニメの話しかしていなかった。お祭りの屋台が大好きな奴がいて、ソイツに誘われれば皆で屋台に行った。音楽が大好きで吹奏楽部の奴もいた。僕は音楽は分からないけど哲学の話で気が合った。
吃音症の奴は聞き専で滅多に声を聞かなかったけど、身振り手振りでよく面白いことをしてくれた。会話の隙を突いて自分の見せ場を作るのが上手くて今思えば凄い。
両親の出稼ぎについて来た外国人は母国語も日本語もできなくなっていたけれど、家に誰もいないから部屋を借りて一緒にゲームをしたりした。
やたら機械について詳しい奴はゲームからムービーデータだけを引っこ抜いて持って来たり、まだ普及していなかったインターネットで最新の様々な情報を披露してくれた。
こう書いてみると、要するに誰も相手に何かを要求しなかったんだなと気付いた。
僕はゲームが好きなくせにド下手でもあって、『アーマードコア』なんて何の相手にもなれなかった。それでも時々は対戦をしたし、外見のカッコよさだけを追求した機体を作ったりした。凄く上手い奴もいて、みんなでソイツのプレイを見てる時もあった。
常識とか知ってて当たり前とかできて当然みたいな風潮は微塵もなかった。ある意味協調性が無いことが幸いしたのかもしれない。
あとはイジメに興味がなかったのもある。
例えば僕に変な噂が立ったことがあった。まあ体は女だから男友達と一緒にいる以上仕方のないことで、陰で『尻軽女』と言われていたらしい。それをご丁寧に申告してくれた人がいた。多分虐められるかもしれないという親切心からだろう。その娘はいじめられっ子だったから。
「それ俺に関係なくね?アイツらと話す機会もないし言わせとけばいいよ」
僕は思ってることをそのまま言った。以降その女の子とよく行動することになって『いじめっ子』から
「みんなで無視してるのに、何でアンタは相手するの?アンタも虐められたいの?」
みたいな啖呵を切れらたけど
「いや別にそういうの興味ないし。そもそもアンタらとろくに話したこともないだろ。無視してくれて構わねーよ」
みたいなことを返した。ほとんど全ての女子と無縁だったから女子から総スカン食らっても被ダメしないんだよね、実際。
本当は期待してたけどね。上履きに画鋲がびっしりとか、机に酷い落書きとか。実害があれば暴力でやり返すつもりだったから。そのためにいつも安全靴(つま先とかかとに鉄板が入ってる靴)はいてたし。
仲間もそれは同じで、歯科医の専門器具を袖口に忍ばせてたり、ポケットにホチキスを常備してたりした。虐めの対象になり得ると分かっているから反撃のための備えをしていた。おとなしく虐められてやる気は1mmもなかった。そしてそれ自体がとても楽しかった。
なんか関係ない話になってきたけど、まあ頭の中がこんな感じのヤバい人間でも友達はできるし、友達もヤバい人間だったりする。そういう人間性が合えば他に何かが合わなくても友達になれる。類は友を呼ぶって実例かもしれない。
ヤバくても平凡でも平均以下でも同じこと。多分類は友を呼ぶ。
だから鬼滅を見てなくても全然問題ない。今自分が好きな物事を主張すればいい。
「鬼滅は見てないんだよね、〇〇を追うので忙しくてさー。あ、〇〇って知ってる?」
って感じで。それで離れてく奴はそれまで。だけど全然話しかけてもいない奴がそれを聞いてて、ソイツが実は同じ物が好きだったりする。気が付いたら友達になってたり、そこの繋がりで友達が増えてたりする。
友達は作るモンじゃなくてできるモン。虐められて反撃できなくても証拠を捕らえて暴露してやればいい。今はインターネットで誰にでも訴える場がある。可能性は無限大だ。