迷惑をかけて生きる②
前回の続き
いやぁ、私は滅茶苦茶迷惑をかけた。
あんまり言いたくないけど、バイトを1日で辞めたり、職場の偉い人に言葉を叩きつけてしまったり。
もう、滅茶苦茶。(どれもここ数年の話です…)
その後輩のことを強く言えないわけなのです。私はそんな立場にはない。
かつての私は仕事は真面目にやるし、休みも滅多なことでは取らない。
いつも誰かの意見を優先する。
でも、本当は言いたいことが山ほどあった。出さなかっただけ。
そんな自信のない20代女子でした。
しかし一般社会から外れて3年も経つとさ。
そんなこれまでの自分の在り方に疑問というか。
もっと自分を出してみたら、楽に生きられるようになるかもって思っちゃって。
今でいう、「ありのままの自分」ってやつです。
ただここで難しいのが、そこを我慢さえしてれば、自分を出さなければ避けられた問題もあったということです。
大人しく従順なままでいれば、避けられたトラブル。
誰にも逆らわず、誰に対してもニコニコ。何でも従う、受け入れる。
そうすりゃ誰とも問題を起こすことなく、平和に過ごせる。迷惑も面倒もかけない。
だからこそ、そうやって長いこと自分の処世術としてやってきたのです。
でも窮屈、だったんだと思う。
そして自信もなかった。
なんだろうなぁ、自分がえらく不安定で弱弱しいまま成長してしまった気がして。
私みたいな弱い存在が、大人社会でやっていけるわけがないと自信が無かったのも当たり前だったのかも。
本当は頑固な性格、職場でつい我を出してしまうことで、ちょっとした諍いというかトラブルになる。
それが怖くて避けるために、自分を半ば殺してきたわけですから。
それが表に出てくると結果、問題が起こるわけですよ。
自分も相手も傷ついて。怒らせて。巻き込んで。
迷惑をかけるとは、まさにこのこと。
でも、そうして傷を負った方が学びは大きかった・・
頭の中で分析するよりも圧倒的な衝撃を伴って実感する、自分の性格の悪さとか。
人に嫌われたり、争いを恐れて自分を押し殺していた頃は、さぞ自分は「いい人間だ」と思いあがっていたことでしょう。
私以上に優しい人間はいないだろうなどと。(我慢してやってるから)
とんでもない傲慢でしたけど。
優しいなんてとんでもない、最低のクズだと知ったのは、少しの我を出して本音に近い部分で人と関わるようになってから。
あまりにも最低すぎて、私は暗い夜道を泣いたよ。
自分はこんなにも卑怯だったんだなって。
これまで覆っていたベールが剥されたようで、まさに自分の正体を見てしまった気がした。
結局、自分は悪者になりたくなかっただけでした。
自分勝手して申し訳なかったと思うけど後悔してないのは、自分がそんなにいい人間じゃないと分かったことで、少しはマシな人間になったと思ってるから。
そんな経験があるからこそ。
迷惑をかけないで生きてるつもりの人にかぎって、自分は「いい人間」だと思い込んでる気がするんだよなぁ。
別にいいんだけど、そういう人にかぎって人のことに結構うるさい気がして。
自分はそうあろうと思ってるんだもの、迷惑をかける人を見たらさぞイライラするでしょうね。
まあ、そうやって私はいい歳してとんでもない醜態をさらしたことがあるけれど。
年上の人たちは、いつも慰めてくれた。
迷惑かけたのは、こっちなのにさ。
自分も昔はそうだった、とか言ってくれて。
こんな最低の私を「優しいね」と言ってくれた人がいたけど、優しいのはアンタの方だよ。。
私は自分が情けなかった。
迷惑、積極的にかけろなんて言わないけど、生きてる限り迷惑は確実にかけるもの。
自分の意思があれば、誰かの意思もあるってことだから。
人と関わって生きるってそういうこと。
そしてそれ以前に人間なんて、他の生き物にとってそこにいるだけで迷惑な存在です。
生きてるだけで迷惑。死んだって迷惑。
それを、「私は迷惑なんてかけてません」なんて言う人の方が、信用ならない。
いろんなものの犠牲の上に成り立ってるのが自分なのだから。
でも、よく言いますよね。
「人に迷惑をかけるな」って。
それってなんか、「変な行動をするな」「和を乱すな」「自分一人で解決しろ」という圧、突き放しを感じません?
それができないなら、ここから出ていけ、みたいな。
今の日本、人を構う余裕なんてないんだ!と言われたらそれまでだけど。
でもそれって、発展がまだまだ途上で余裕のない国や地域の言い分じゃんね。
日本って、もっと成熟してる国だと思ってましたけど、違ったんですかね?
人に迷惑かけて、それに気付いたら、誰かの迷惑を笑って許せばいい。
先輩におごってもらったら、今度は自分が後輩におごればいい。
そうやって、返していくだけ。
それだけのことなのに、難しいもんですね。