全ての根源「甘えられない」
甘えたい時、甘えられなかった。
だから大人になっても、甘え方が分からない(頼ることができない)。
これが、世の悩みの根源なのではないか?とも睨んでます。
甘えたいって欲なんですねぇ、子どもにとって。
その欲を満たしたい時に満たされなかったってことは、早い話、諦め精神が身についてしまうってことだと思うのです。
諦め癖というか。
どうせ頑張っても誰も認めてくれないだろうな、とか。
どうせ話しても無駄だろうな、とか。
本当はこれが欲しいのに、それを言えなかったり。
やりたいのに、やれなかったり。
そういう。
そのうち、そんな望みさえ抱かなくる。失望するのが分かってるから。
なら最初から無欲でいようじゃないか、と。
でも本音はそうじゃないからこそ、モヤモヤする的な。
職場であたりを見渡していても(その多くは外部から来た女性社員だけど)、その差は顕著に出てると思います。
上司にも社員にも明るく話せて、何かあったら真っ先に話して一緒に解決していく人と。
上司や社員に頼らず、自分、あるいは自分と同じ立場の人にだけしか頼れない人と。
前者の方が楽しそうに、しかもスムーズに仕事をしてるのが見てとれます。
後者の方は話しかける側も、なんか「仕事ですよ」感が出てる気がするから。
どうも人は、その人の発してるものに反応するようなので、結果的に固い空気になるんでしょうねぇ。
性格もあるのでしょうが、育ちの関係でそうじゃないと生きられなかった子は、やっぱり大人になってからも苦労してる気がします。。
こと、長女にはその傾向が強いのかなと。
(物理的でなくても、役割的にそうだった方も含めて)
特に女性は甘え上手な方が、断然トクだと思うし生きやすいと思うので。
弱みを見せられないって方もいると思うけど、その弱さを見せた方が、異性にしろ同性にしろ距離は近づきますって。
自分が思う自分でないと!と思ってる方もいると思うけど。
そんな頑なさを溶かして弱い部分を見せたり話せたりするって、結構悪くないですよ。最初は抵抗あるんだけど。
おかげで、物理的・心理的にも距離があって疎遠だった友人とは年に2回も会うようになりましたから。
男性だったとしても、女からしたら、ふとした緩みが見えた瞬間にこそ心がときめくものです。
心を開けないって、なかなか結構、人生ハードかと。
結局、この世に自分の味方はいないってことだから。
最初にも書いたけど、そんな風にして、甘えられない・誰にも頼れないってのが根となって「自分だけが抱えてる」悩みとなり。
全て背負い込んで追い詰めて。
行くとこまで行ってしまうのではないかなと想像します。
一人で抱え込む、責任感が強いってことなんでしょうけど。
その背中は、時に苦しそうには見えませんか?
この世はいろんな雑音が多いから、かき消されてしまいそうだけど。
私も何度も経験ありますが、話せば少しは変わりますって。
(その話せない空気を作ってきたのは、前世代の方たちの過ちですね)
そんな大したことじゃないけど、仕事でちょっとした自爆ミスをやって、でも自分一人でどうにかしようと突き進もうとしたら、やっぱり毎日が少しだけ憂鬱でした。
やってしまったな、やらなければよかったなって。
でもそれを上司に話すことができて、一気に肩の荷が下りました。
荷物はさ、時に誰かに渡せばいいと思いますよ?
で、その荷物、実は全然重くなかったですしね。
「あー、やっとくやっとく!」の一言で全て解決したんで。
あと体調を少し崩した時にも、必死に何でもないよう振舞うのが常だったけど。
(病弱な弟を下に持った、長女の性である)
「今、コレとコレで体調よくないんですよ」
と雑談で話したら、業務の終わりの際に、
「万全でないのに、どうもお疲れ様でした」と
逆に労わってくださった。
こういうことを繰り返せば、頑なな人間も柔らかくなっていくんですかね?
つい何でも深刻に受け止めてしまうところがあるので、そういう人ほど頼る・甘えるをもっと使えたらいいなと思いました。
(でも、そういう人に限ってそれが苦手なんですよねぇ)
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