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かつての無職が気付いたこと

さて、前回は。

無職をきっかけに、子どもの頃に好きだったことをやってみた話。
そしてそれは、いくつになっても楽しかったという話。
(まあ、そこを意識したわけではなく、たまたま偶然やりたいなって思いついたことが実は昔も好きだったってだけ)

というわけで、無職の気付き「いつのまにか、大人になっていた」。

そういう意味で、子どもの頃ってやりたくてもできないことが、きっと多かった。
子どもの頃の私たちなんて、保護者なしに遠くに出かけるなんて無理だし、ましてや一人でなんて。
そんなことをしたいと思う度胸もなかった。
欲しい物も、自由に買えなかった。
買いたい物も、誰かの許可が必要だった。

今当たり前にできていることは、昔の自分も当たり前にできていた?

年とったから、大人になったから当たり前だって?
本当に?
確かに当時の自分は、大人になれば誰でも自然に当たり前のことが当たり前にできるようになると思っていたけど。

大人になったから、遠い場所へ一人で出かけられるようになった?
大人になったから、車が運転できる?料理ができる?
その今の当たり前になるまでに、過去のどこかの自分が頑張ったからじゃないの?

新しいことをやるたびに、毎回ちょっとずつ勇気を出してる自分。数をこなすことで、やっと自分のものにできる感覚。
(初めて行くケーキ屋さんにだって、私は結構な勇気を出すよ)

ふと立ち止まって振り返ってみたら、日常はそういうのにあふれてる。
ただただ、行きたい時にプールに行く。
欲しい物が出るまで、ガチャガチャを回す。
気晴らしにケーキを買って帰る。

でも、少し前までは、
夏休みにプールに連れて行ってもらう。
ガチャガチャをやりたいと大泣き。
ケーキは誕生日とクリスマスだけ。

昔はできなかった、あれやこれ。
いつの間にかできるようになってる、あれやこれ。

中には、自分がやってもらってたことを今度は自分がしてあげる側になってる人もいるでしょう。
そうでなくても、今まで保護者と一緒でしかできなかったことを、自分だけでできていることでしょう。

あの当時できなかったことを、今の自分なら叶えてあげられるかもしれない。
というか、確実に叶えてる。
自分の「したい」を自分で叶えられることこそが私の思う大人の証です。

だから、それができていると気付いた時、人は初めて大人を実感するのでしょう。大人に「なる」のは簡単にできるけどもね。

自由とは、やりたいと思ったことを実現できること。
大人は自由だからこそ、楽しい。
自由だからこそ、悩ましい。
子どもは自由でない代わりに、気楽さがある。

もう子どもには戻れないけど、あの頃が惜しいかもしれないけど、今の自分たちには、あの頃になかった自由がある。

でも自由は、同時に怖いんですよね。
何をしてもいいってことは、自分で決めて自分でやらないといけないから。

まあ、そんなことをね、30も過ぎた無職が一人遊びに出かけた帰り道に気付いたというね。
だからある意味、その時が私にとっては「大人になった日」なのです。

そういや、私は成人式には出ていなかった。
もし出ていれば、そんなありがたい話が偉い人から聞けたのかもしれない。



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