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小鬼と駆ける者 −その1


 レムグレイド王国の北東、ドライド諸島の島々のひとつにコルカナと呼ばれている島がある。

 コルカナは比較的に温暖で、はやり病も少なく、人が暮らすには危険が少ない島であり、大型の獣はおろか、致死性の毒をもつ虫やヘビの類いすら、ほとんど見かけることもない。

 とはいえ、小鬼や幽鬼などの被害が全く無いというわけではなく、行商のロバや家畜が消えたりすることも、数年に一度か二度あるにはあった。しかし、国境線を守る兵士の手に負えないような厄災などは、ひとつとして報告されてはいない。

 ところが、半年ほど前から、各地の集落で子どもが攫われるという噂が囁かれはじめる。

 病気、事故、口減らし。はじめは噂の域を出なかったその話題は、第二おさの赤子失踪を切っ掛けに大きな問題へと進展した。村の代表たちは集まり、その取り決めをもとに、村民たちへの注意を促したのだが、失踪事件は減りはせずむしろ増え続ける一方であった。

 二度の話し合いの結果、どうやらこれは小鬼の仕業だという結論に至った。そこで長は、村を出る際には三人以上で固まって歩くことや、女や子どもだけで出歩くことを禁じたりもしたが、事態はまるで改善しなかった。

 やがて、森に出た若者が三人ほどいっぺんに失踪したところで、長たちは自分たちでは手に負えぬ事態だと判断し、王国に訴状を送る運びとなる。

 しかし、それから季節を五つほど跨いでも、王国からの救援はおろか、返事すらも返ってこなかった。

 もとよりドライド諸島は北端の防衛線の役割を担っていて、国同士の小競り合いは絶えず、村々は王国の庇護下のもと、それなりの暮らしを保証されているとはいえ、小さな群島への素早い対応などは成されずにいた。

 そしてそれはコルカナも例外ではなかった。村人たちもそのことを十分承知していた。僻地の村の失踪事件に王国の兵隊が動いたなどという話は、聞いたこともなかったからだ。

 とはいえ、村人にしてみればこれほどの事件、それも魔の物の仕業とおぼしき厄災に見舞われた経験もなく、どうすることもできずにいた。

 もちろん村の男たちも指をくわえているばかりでもなかった。森に入り小鬼の巣を探したり、罠を張ったり、考えられる対策を打ってはいたが、やはりなんの進展はなかった。

 その間も、子どもや女たちの失踪は絶えなかった。春の収穫を待てぬ間に、村は子どもや女たちの半数を失ってしまった。

 そうしてコルカナの集落群は疲弊し、何度目かの話合いの末、長はその地を捨てることを決意する。

「それにしても村を捨てることになるなんて。」「十世代は続いた村ぞ」「本当に小鬼の仕業なのだろうか?」「いやいや、もっと大きな怪物の仕業やもしれん」「竜の呪いかもしれん…」

 村人たちは暗い声で囁きあった。戸外では雨が降っている。この時期にはめずらしい長雨だった。初めのうちは誰かが何かを言えばそれなりの返答もあり、議論のようなものもなされてはいたが、そんな声も次第に雨音に消されていった。

 彼らの言葉は絶望の憂いを帯びていた。もはや打開策を打ち出そうとする意見は何も出なかった。雨音は次第に強くなり、彼らのひそめき声は打ち消されていった。

 そのせいなのか、戸口に立つ男の姿には誰も気づかずにいた。初めにそれに気がついたのはブウムウの息子、ブウルであった。本来大人たちの集会にまだ子どもである彼が参加を許されるはずもないのだが、失踪事件が勃発するにつれ、彼だけでもなく、長は村の女や子どもらを同席させることを許していた。

 とはいえブウルもはじめ、その男に気がつかなかった。ただ、戸口が開いている。そう思ったのだ。戸口からのぞく真っ暗な闇、とめどなく線を引き続ける雨だれを、彼はぼんやりと眺めていた。

 いつまでそうしていたのかわからない。いつからそこにいるのかもわからない。ただ、急にふっと雨が消えたような感覚だけがあった。そうしてブウルは、戸口に影のように佇むその男に気がついたのだ。

 発言は許されるのだろうか。まずブウルはそう思った。大人たちは未だに誰も気づかない。彼は黙ったまま父親の肩に触れ、それから少し強めに叩いた。うつむいていた父親は顔をあげ、息子の視線を追うと、少しだけ腰を浮かした。そんな小さな動きだけで大人たちは皆、異変に気がつき、戸口の男に釘付けになった。

 しかし、それでも大人たちは皆、黙り込んだままだった。そんな様子に、ブウルははじめ、この男が小鬼だろうか?そんな疑問が過ぎった。いや、とてもそうは見えない。だが彼はすぐに考え直す。こんなにも大きな男が小鬼なわけがないじゃないか。

「これはこれは、気がつかなんだ、お客人…」 やがて長が対応する。「見たところ…」長は品定めをするように、男のつま先から頭頂部をぐるりと眺める。

「王国からの猟兵様ですかな?」

 男は首を横に振る。大人たちがわずかに落胆の声を漏らす。

「お一人で? 」

 その質問には首を縦にひとつ。男はいまだ一言も話さない。きっと男も品定めをしているのだ。ブウルは直感的にわかる。男は、大人たちの緊張を察知しているのだ。

「…では、ダンナさまはこんな辺鄙な村に、一体どんなご用がおありで?」

 長はちらりと男の背中の大弓を見やる。灰色のマントの下、腰に差しこんだ短刀を確認する。

「援軍に来た」男がようやく口を開く。

 大人たちは僅かに動揺し、互いの顔を見合わせる。少し間が空く。長はぽかんと口をあけ、「たったひとりで…、なにを…」憤りの言葉が捻り出る。

「一人だと! たった一人で!? 国王様が我々のためにして下さることは、それだけなのだけなのですか?」ブウムウが怒りを顕わにする。ブウルはそんな父親の上着の裾を、不安げにぎゅっと握る。

「訴状は王国には届かなかった」
 男が静かに告げる。
 大人たちは黙る。男の言っている意味が理解できないからだ。

 「手紙は届かなかったのだ」男はもう一度言う。

 長は他の大人たちと顔を見合わせる。数人が頷く。長は我に返ったようにして、男のもとに一歩だけ近寄る。

「…いや、何はともあれ失礼を、この雨のなかびしょ濡れではないですか。ささ、どうぞ中へお入りください。お話を詳しくお聞かせください」

 長が促すと、ブウムウや他の男たちは少しだけ納得のいかないような仏頂面をして、それぞれが座り直す。それから、椅子を少しだけずらしながら、男のための席を空ける。

「訴状が届かないというのはどういうわけで?」長は改めて質問する。灰色の男は少し考えてから答える。

「言葉の通りだ。あなたたちは六ッ羽鳩に結わえた訴状を王国に送った。そうだろう?」

「ええ、送りましたとも…」全部で五通ほど、季節ごとに、朱鷺の月にはもう送るのを止めました。長はそう答える。

「その一通をわたしが見つけた」男は黄ばんだ訴状を鞄から取り出す。封は開けられている。村人たちはざわめきつつも、男の言葉に注目する。

「ここ数年、伝令鳩がしっかり飛ばないことがよくある。各地で何かしらの異変が起こっているのかもしれない」

訴状それはどこで見つけなさったので?」

「さあな。どこだかはわからぬ。ここから北の五つ目の島だったか…」おそらく人の住まない無人島だろう。その島の藪のなかで、飛べなくなった六ッ羽鳩を見つけた。男はそう答える。

「そのような場所で何を?」

「なにも。群島を渡りここまで来た。モレンドの要塞に向かうつもりだ」

「その途中で、ここへついでに立ち寄ったってわけか、」奥の男が鼻で笑う。「へっ、それで?ついでの援軍というわけか?」そう吐き捨てるように言うと、大人たちは堰を切ったように騒ぎはじめる。

「そうだ、ついで、とも言えよう」男は無表情で答える。その眼は灰色の髪に隠れ、見えはしない。

「で、ダンナが旅のついでにゴブリンを殺してくれるって、そういうわけか?」

「そうだ。ゴブリンであるなら、だ」

「その大弓で?」

「そうだ。…だが武器は他にもある」

「何があるんだ?」

「なんでもだ」男は両手を広げて見せる。「武器になる物はなんでも扱う」

「たった一人でか?」

 そうだ、一人でだ。

 灰色の男は村人たちのぶしつけな質問に、逐一対応する。淀みなく言葉少なに、ひとつひとつ答える。ブウルには男の言葉が的確であればあるほどに、大人たちが苛立ってくるようにみえる。

「それじゃあ、そのついでとやらで、行方不明になった子どもたちも助けてもらたいものだねぇ」

 奥で立ち聞きをしている人垣から嘲弄を含んだ声が飛ぶ。灰色の男は人垣を睨みつける。細く濃い灰色の瞳。山猫のような目つき。

「それはできない。もし小鬼の仕業だとしたら、連れ去られた者の命はもうないだろう。」あるいは…。人垣の一点を見つめる。男には村人の群れから、誰が発言したのかを承知している様子。

「…あるいは、盗賊や人さらいの仕業だとすれば、金さえあればなんとかなるだろう、」だがその場合、わたしの仕事ではない。男はそう続ける。

 大人たちが明らかに落胆しているのがわかる。ブウルも少しだけこの男に怒りを覚える。彼の母親も行方不明になっているからだ。村の誰しもが心中では諦めていたことだが、薄く張った僅かな希望を、急に現れた部外者が斯くも簡単に打ち砕いたのだ。

 長は村人たちを見やり、力なく片手を挙げて皆を制する。

「それでダンナ。王国の猟兵でなければ、どうしてこんな面倒ごとに首をつっこみなさる?」

 そこで男は、何が可笑しいのか、ふっと笑う。

「小鬼の穴に首を突っ込むばかは居ない」

 いや、笑ったように見えただけかもしれない。長は感じ、なぜだか身震いを覚える。


−その2へ続く−

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