note_h_5_その5

紫砦と石の竜 −その5


 紫砦から最後の矢の準備が未だ整わないことを確認すると、ソレルはひと呼吸置いて走り出す。その両手にはマリクリア鋼の塗り込められた、太く重い矢が握られている。

 「まさか矢を槍の代わりに使うことになるとはな」そう独りごち石の竜へと走る。

 レゾッドの攻撃がどれほど効いているのかは分からぬが、この期を逃すわけには行くまい。策はまるで無いが彼は敵に向かい、とにかく矢を竜の首元深くに突き刺すことだけを考える。

 かなりの傷を負ったのか、瑠璃色の瞳がソレルを映しても、その巨躯を動かそうとする気配を見せない。しかし、自分の領域へと入り込んだ人間を尻尾だけが反応し、緩慢に持ち上がる。ところが、一度うねり出した尾は、物凄い速さでしなりを上げ。まるで別の生き物のように襲いかかる。

 やにわに激しい攻撃がはじまる。ソレルはマリクリアの矢がことのほか重く、素早く動けない。三度ほど尾が砂浜を叩きつけ、砂を散らした所で、明らかに避けきれない攻撃が来る。真横から砂浜ぎりぎりに、丸太のような尾が水平に迫って来る。

 攻撃を受けるその瞬間、彼は咄嗟に矢を突き立てる。突き刺さる肉の感覚をはっきりと感じるが、彼はそのまま弾き飛ばされる。砂に弾かれ、小石が水を切るように、何度も砂浜に打ち付けられる。

 しかし勢いがおさまる前に、何層もの見えない力に抱きとめられるような感覚に包まれ、ふわりと身体を浮かせて、ソレルは静かに着地する。

 唖然とする彼の背後に魔法使いが立つ。

 「すまんな、わたしにはこれくらいしかできん」メチアはそう言う。

 ソレルは咄嗟に身体の状態を確かめる。あちこち身体は痛むが、骨はどこも折れてはいない。まだいける。「充分です。助かりました」

 「風と水の精霊にも呼びかけてみたが、あまり期待はできんだろう」メチアはそう言うと、マントを広げ飛び上がり、ふたたび鷹となって飛んでいく。



 クロスボウの準備が整った旨をシンバーが報告に来る。バイゼルは海岸の様子を見つめる。動き出した石の竜がこちらに向かって来るのが見える。

 「撃ち漏らしたら次は無い。かなり引きつけてから放つのだ」バイゼルの指示にシンバーが緊張した顔で頷く。

 「…いや、待て!」走り去ろうとするシンバーを呼び止める。二人が浜辺を見ると、砦から進軍の喇叭が聞こえてくる。

 正門が大きく開き、海岸に白鳳隊の騎馬が規則正しく列を成して、勢いよく飛び出す。列は浜辺に近づくと綺麗に左右に割れ、敵を囲むようにぐるぐると回り出す。

 竜が前後左右を囲み、輪を描く人間たちを威嚇する。牙を鳴らし脚を踏みならす。

 ソレルも近づき矢を構える。すると、列からはぐれた一騎が彼を阻む。

 「ストライダはそこで見ていろ!」副隊長のバロギナが馬上で叫ぶ。

 騎馬隊は竜の攻撃が届かない範囲で周回を続ける。時折、尾に矢を放ち刺激し、死角からの干渉を嫌がり、竜がそのつど振りかえる。

 「なるほど、案外良策かもしれん」バイゼルが西側の壁にいるメイナンドを見る。金髪の隊長は、その長い髪をなびかせ、無表情で部下の様子を眺めている。

 「手槍を構え!」騎馬隊が一斉に手槍を構える。槍にはロープが括り付けられており、馬にがっちりと固定されている。

 背後に回った騎馬だけが尻尾をめがけて次々に槍を放つ。槍は簡単に弾かれるが、それを振り払おうとしきりに動かす尾に、ロープが自然と絡まっていく。

 百騎あまりの白鳳隊は、尻尾を捕らえるたびに輪から離脱し、動きに合わせるように距離を保ちながら隊列を集結させる。

 竜が尾を動かす力に合わせて、騎馬が規則正しく移動し、力を分散させる。右に振られれば左に力をかけ、左に振られればまた逆に、持ち上げられそうになれば隊は進行を止め、その場で踏み留まり、人数を掛けて均衡を保つ。

 「まるで魚釣りだな」ギジムが髭を撫でる。

 「ドラゴンを疲れさせるつもりか」バイゼルが感心する。あの動きは訓練だけで身に付くわけでもあるまい。訓練、才能、それから幾度の実戦経験を経てこそ成し得るものだ。

 バロギナが離れてもソレルは攻撃に参加することをためらっている。へたに刺激をして竜が思わぬ行動に出てもまずいからだ。

 「このまま疲れてくれたらいいが」

 明らかに竜が苛立ってくるのがわかる。自由を奪われ、両足を砂に取られて引きずられて行く。そうかとおもえば尻尾を思い切り振り上げ、数騎の兵が宙に浮く。

 それでも統率の取れた騎馬隊は、臨機応変に配置を変え、力を分散させ、敵を翻弄していく。足りない箇所を補うように次々と正門から騎馬が飛び出してくる。

 そうして一体の巨体と数百あまりの騎馬隊の均衡が崩れる、竜の踏みしめる力が弱まり、膝を折り曲げ腹を砂につけ引きずられ、爪が真っ直ぐ砂浜に深い溝を作る。

 「いけるか!」バロギナが身を震わせる。みたかストライダ。そう言わんばかりにソレルを睨む。

 そこでドラゴンが大きな咆哮を上げる。

 丸い瑠璃色の目玉が明滅し、次第に赤く変色していく。

 それから奇妙な律動を繰り返し、嗚咽をはじめる。喉を膨らまし、顔を痙攣させる。その度に、首元が真っ赤に輝き、光が次第に口元にせり上がってくる。

 「引け!逃げるんだ!」直感的にソレルが叫ぶ。

 しかしその叫び声は轟音にかき消される。

 吐き出された大きな火球が、白鳳隊の列に直撃する。

 一撃で馬と人間の半数が吹き飛び、ソレルは熱波に吹き飛ばされる。



 音と衝撃が砦を震わせる。光と熱波が襲い、砦の兵士たちが思わず顔を伏せる中、メイナンドだけが魅入られたようにその様子を凝視する。

 「これは驚いた。」メイナンドが冷静に呟く。光の先で燃えさかる炎が彼の長髪を踊らせ、金色の瞳を赤く染める。その破壊力に彼は思わず笑みをこぼす。

 「これがドラゴンの炎」

 そう呟くと、白騎士は踵を返し、部下に撤退指示を送ると、振り向きもせずに砦の奥に引き返して行く。

 砦から合図の花火を上がる。

 「撤退!撤退!」それを見たバロギナが叫ぶ。

 騎馬隊は慌ててロープを切り、一斉に撤退しはじめる。炎に驚いた馬が方々に散り、数名が馬から振り落とされ、竜に踏み潰されていく。馬上にいる者が隙をみて落馬した者を救出をつつ、逃げだしていく。

 そんな中ソレルだけが竜を追いかける。炎に包まれた馬とすれ違う。

 怒りに震えた竜が動き出し、逃げる騎馬隊を追いかける。

 「まずい!」ソレルも反転し、正門のほうへ急ぐ。

 白鳳隊を追い竜が正門に向かう。その巨躯が門を通り抜けられはしないが、門が開かれている分、壁を破壊し突破される可能性が高まる。

 「左右の壁の残った矢をすべて撃つのだ!」バイゼルが叫ぶ。シンバーの合図ですぐに両側面から矢が放たれる。しかし走る的には狙いが定まらず、背中の鱗にほとんどが弾かれる。

 「やはり止まらぬか」バイゼルは鉤爪付きのロープを準備する。

 「わたしがなんとか引きつけみる。ドラゴンが顎を上げたら矢を放つんだ」シンバーに指示を送る。

 「ドワーフの斧が必要じゃないか?」ギジムが斧を構え、にやりと笑うと、バイゼルはお決まりの姿勢で肩をすくめる。

 「…ストライダは武器になるものは何でも使う」



 竜が迫って来る。バイゼルは素早くロープをギジムの身体に括り付けると、鉤爪を振り回し、狙いを定める。

 そうしていままさに正面に迫る竜をめがけてロープを投げ付ければ、鉤爪がその首元にしっかりと固定される。

 「おいおい!どうするつもりだ!」しゅるしゅると送られていくロープにギジムが顔を青くさせる。「おい!バイゼル!」叫び声が竜に連れ去られる。すかさずにバイゼルも銀の剣を抜くと、敵の顔面めがけて壁から飛び移る。

 不意に鼻先に飛びついてきた人間に驚いて、竜が壁の手前で急停止する。振り払おうと暴れ回り、狂ったように首を振るわせるが、蜘蛛のように取り付いた小さな人間は落ちはしない。

 ごつごつとした鱗の躰を這い回るバイゼルは、隙を見て丸い瞳を切りつけてみるが固い硝子のような膜に弾かれる。前足が迫ると彼は後頭部の死角に待避し、何度か這い回りながら攻撃を繰り返す。

 そこで、上空に振られたギジムが叫び声をあげながら落ちてくる。ドワーフは背中の鱗の剥がれた箇所をめがけて、力一杯に大斧を振り降ろす。その一撃が肉を引き裂き、鮮血が迸る。

 「よっしゃぁ!」

 ドワーフの叫びと同時に竜も咆哮を上げる。落下しきったところでギジムの身体が横に振られる。馬鹿力のドワーフは振り子の如く振られながら、肩を、腹を、でたらめに切りつけていく。鱗に弾かれる一撃もあれば、肉を切り裂き血を噴き出させる一撃もある。それでもここに来て、クロスボウの矢が鱗の大部分を剥がせたことが功を奏している。



 二人の撹乱に乗じて、ソレルもかなり近づき弓を射るが、まるで通じはしない。「やはりあの特製の大弓でないとだめだな」ひとまずあの二人に任せるしかなさそうだ。彼は二人から目を離さずに距離を取る。

 ギジムの動きをバイゼルが操作する。振られた先に竜の爪が向けられれば絡ませたロープを手繰り、別の方向に振るう。「いいぞいいぞ!倒せるぞ!」その的確な操作にギジムが得意になって大斧を振るう。左右に揺れて叩きつけ、竜が振り向けばその巨体を蹴り込み、逆に振られた身体のままに、渾身の一撃を加える。

 そんな攻撃を竜が嫌がり躰をくねらせる。その隙にバイゼルが顎にまわり、思い切りその傷口に銀の剣を突き刺す。

 たまらず竜が咆哮を上げ、大きく反り返る。

 「今だ!」その隙を見たシンバーが叫ぶ。

 一斉に最後の矢が至近距離で矢が放たれる。

 かなりの数の矢が竜の腹に突き刺さる。

 「やー!」ギジムは斧を振り上げ叫ぶ。それと同時に、均衡を崩した巨体が横に倒れこむ。「こりゃいかん!押し潰される!」それと同時に、バイゼルが素早くロープを切断する。

 ギジムが転げ落ち、その隣にバイゼルが着地すると、すぐにドワーフを立ち上がらせる。

 竜がもんどりうち、四つ這いになり防御の姿勢を取る。腹からどろりと赤黒い血が止めどなく流れ落ちる。

 怒りに歪んだ瞳で竜が嗚咽をはじめれば、喉元から火球が上がってくる。

 「来るぞ!」二人は同時に飛び退くが強烈な波動に脚が浮き、吹き飛ばされる。火球は壁を破壊して燃え上がり、炎に包まれた兵士たちが壁から転げ落ちてゆく。

 さらに立て続けに、竜の喉元が赤く輝く。

 「ああ、」まずいぞ!ソレルは倒れ込む二人の救出へ走るが、とても間に合いそうにない。

 真っ赤な首がうねり、大きく開いた口蓋から火球がせり上がるその瞬間、どこからともなく飛んできた鋼の矢が、竜に不意打ちを食らわせ、その顎に深く突き刺さる。

 火球が竜の喉元で大暴発を起こす。黒い煙を吐きながら巨躯が崩れ落ちる。牙の隙間から漏れ出た炎が熱した鉛玉のようにあたりに飛び散る。「あちちち!」ギジムが転げ回り飛び起き、バイゼルも慌てて火の玉を振り払う。

 振り向くと、レザッドが血だらけの腕で大弓を握っている。

 「この戦いがどうなろうと…」レゾッドが弓を放り投げる。

 「…おれはこれで休ませてもらうぞ。ソレル」そう言うと、よろよろと港のほうへ歩き出す。

 「イギーニアには借りができたようだな」竜から目を離さずに、ソレルは呟く。



 「さて」そうしてソレルは周りを見渡す。二人ともかなりの火傷を負っているとみえる。実際、策らしい策はもう無い。いずれにしろあの火球がくれば避けられはしないだろう。

 このまま倒れてくれればいいが…。

 しかし、そんな願いも虚しく、石の竜が再び動き出す。振るえる脚に力を込め、よろめきつつも立ち上がる。腹からどろりしたと大量の血液を流し続けながら、前足で顎に刺さった矢を引き抜くと、怒りに震えた赤い目玉をスこちらに向ける。

 「とどめを刺したいところですが。」ソレルが言うと、「ここは距離を取ったほうがいいな」バイゼルが頷く。

 ところがまたしても竜が嗚咽をはじめる。振り絞るように喉を震わせ、赤い火球を腹から持ち上げてくる。

 「またか!まずいぞ!逃げろ!」三人はそれぞれ違う方向へ走り出す。

 足の遅いドワーフが遅れる。竜がそれを見極めギジムのほうへと火球を吐き出す。

 背後に火球が迫る。どう見ても逃げきれる速度でも大きさでもない。

 「ギジム!」

 ソレルが叫んだと同時に、どういうわけか火球が不自然に軌道を変え、直撃するその寸前に、やや上方へと逸れていく。

 それでも熱波と波動がギジムの鎧をねじ曲げ背中を焼き、兜を吹き飛ばし、西の物見台を破壊する。

 鷹の姿で降りてきたメチアが素早くギジムを助けおこす。

 「風の精霊がようやく言うことを聞いてくれた。だが気まぐれな精霊だ。次はないぞ」二人は急いで竜の側を離れる。

 ソレルが二人のところに駆け寄ると、メチアが海岸の方を指差す。海岸から馬が駆けてくるのが見える。

 「最後の策だ」魔法使いが灰色の瞳を見つめる。

 「ソレル、後は頼んだぞ」

 馬上にはミルマがいる。彼女が真っ直ぐにこちらへやってくる。

 ソレルは彼女に駆け寄り、素早く馬に飛び乗って手綱を受け取る。

 竜が唸り、最後の力を振り絞るふうに躰を震わす。その度に、腹から大量の血がばしゃばしゃと滝のように落ちる。

 首もとが輝き、光が上がる。

 その瞬間、気配を殺して詰め寄っていたバイゼルが飛びつき、腹に刺さった矢をさらにねじ込む。

 竜が躰をうねらせ、吐き出した火球が上空高く飛んでいく。

 すかさずソレルが馬の腹を蹴り込む。

 方向転換をして真っ直ぐに竜に向かう。

 ミルマがソレルに支えられながら馬の背に立ち上がり、矢をつがえる。矢の先端が青白く光り輝く。背後から吹く強い追い風が支援する。

 苦痛に歪む竜がどういう訳か急に上体を反らせ、血で濡れた顎をみせる。

 ミルマは息を止め、その狙いに向けて矢を放つ。

 放たれた矢が、一面で燃えさかる炎も空気も切り裂き、光の線を描き、真っ直ぐに飛んでいく。

 そうして竜の顎に深く突き刺さる。

 「グモォォォ!」ドラゴンが今までにない咆哮を上げる。

 「もう一度!」ソレルが叫ぶ。

 「はい!」それを合図に、ミルマはすでに張りつめていた弓弦を解き放つ。矢は全く同じ箇所に刺さる。さらに次の矢を放つ。今度も寸分違わぬ箇所に当たり、初めの矢を肉の奥深くまで埋め込み、弾ける。

 竜がさらに咆哮を上げ、鎌首を持ち上げて立ち上がる。

 漸次の静止の後、ゆっくりと躰を傾ける。

 そうしてついには、地響きを轟かせ、その巨大が砦の前で倒れこむ。



−終話に続く

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