込めたるは祈りにあらず |七|
幕間の憤懣
「ちくしょうめ」
アギレラは二度目の悪態を吐く。最期にかち割った怪物の頭蓋から手斧を抜き取り、落ちていた布切れで直剣の血糊を拭き取る。退治した怪物どもはすでに骨と化している。ただひとつ、女の似姿の怪物を残して。
「終わりました …よね?」
玄関先で三角帽子の男が顔を出す。部屋中に散乱する臓物と血溜まりを避け、つま先立ちで慎重に歩んで辿りつく。
「ねえアギレラ殿、終わったんですよね?」
「キャリコか」どこにいた? 振り返らずに怒気の籠もるその背中が語る。
「ええ、まあ、ずっと後ろ」キャリコと呼ばれた男が答える。飄々とした物言い。痩せぎすの体躯は、芯を抜いたように締まりがない。
「おい頼むぞ、魔法使い」
小言に構わず、キャリコは肉片すら残さず燃え尽きた怪物の頭蓋をひょいと拾う。
「銀で灰になるのと、ならない肉体の個体差は、魔物と同じく生命力の問題かな?」
拾ったそれを、燃え殻にならず生身を残したままに絶命した女の姿の死骸の側に添えてみせる。
「で、これが母親?」
「その呼び方はよせ!」
「失礼、」けろりと簡単に訂正する。「スメアニフ、ですね、…だけどこいつは」腕を捲り、臆面もなく怪物の口蓋に手を入れ、「…子を産む個体だ」したり顔でそう続ける。
それから彼は、捲った袖口よりもさらに腕を入れ、喉奥から排出されず仕舞いとなった、緑色の肉塊を引っ張り出す。
「うへぇ、見るのと聞くのとは違うなぁ」
「信じてなかったわけでもあるまい」
「そりゃもちろん …けど、なんて言うか、思っていたよりも、異様だ」
「ああ、まるで悪趣味な冗談のようだ」
顔をしかめてみせるキャリコの真意をアギレラは知りつつ、その言葉に二重の意味を込める。つまりそのおぞましき怪物でさえ、風変わりな魔法使いにとっては興味の対象でしかないことを。
「だがなキャリコの坊や」だからこそ彼は、敢えてこんな科白を付け加える。
「こいつらは間違いなく、放ってはおけぬ、“魔”の存在だ」
「“魔”、ですか…、…ですよね」
不服そうに手もみをし、(この話は終わりですね)そう言わんばかりにキャリコはぱちんと手を打つ。そうなればもはや、彼は隣に立つアギレラの存在を忘れたふうに振る舞い、布で丁寧に包んだ解剖用小刃を鞄から取り出し、仰向けにした怪物の頭部から下、女の似姿の肉体を、鼻歌まじりに刻み始める。
そんな背中に、小言のひとつでも浴びせてやろうとするアギレラはだが、戸外で聞こえる不穏な喧騒を察知する。
(どんな気分だ!? 邪教徒め!)
大勢の怒号と嘲弄の声を、彼だけが耳にする。駆けつけてみれば、村人たちが大男を囲んでいる。
イーゴーは射られた血だらけの両脚の手当も施さぬまま、両肩を掴み強引に立ち上がらせられ、少し抵抗しただけでも酷く殴りつけてられている。
「よせ、それ以上は死ぬぞ」見かねたアギレラが割って入る。イーゴーを解放させ、倒れ込んだその大男はすでに気を失っている。
「構わねえでくだせえ戦士様」村人のひとりが言う。「そうだ!」「これはおらたちの問題だ!」口々に皆が叫ぶ。
「ああそうかい!」アギレラのさらなる怒気が皆を黙らせる。彼はずがずかと集団の中心に入り、視界に留まったひとりの若者と睨み合う。
「なら、はじめから頼るんじゃなかったな!」
青筋を立て、四角い顔を鼻先まで近づける。「お前らは、」太い指を屋敷に残るキャリコに向ける。
「…あの変人が偶然通りかかり、あいつが興味をもたなけりゃあ、この事態を気付けもしなかった! そうして、ほんのひと季節も待たぬ間に、吸血鬼は成長し、村ごと食い散らかされていただろうよ!」
そこまで言い切り、急に興ざめしたふうに示した指を握り拳に変え、宙に遊ばせてから振りほどく。
「…でも、…あんまりじゃないか」
少し間を置き、若者が口を開く。
「屋敷を見ただ、あの光景を。…皆殺しだ。子どもらをみんな…。あんまりだ… たったひとり生き残ったのが、よりにもよって、この変人の狂信者だ」気絶するイーゴーに、唾を吐きかける。
「手遅れだと、はじめからそう伝えただろが」アギレラは力なく言う。
「…生存者は望めんと」そうして背を向け、村人たちがイーゴーを屋敷の外へ運んでいくのを黙認する。
「くそったれが」またしても悪態を吐き、縁台にどかりと座る。彼が苛立つのは、彼らの誰しもが、普段は穏やかな農夫であることだ。穏やかで協調性を重んじる善良な田舎育ち。そういう者たちが戦いに直面し、日常とはまるで違う異常さに興奮すれば、決まって何かしらの燻りを刺激する。例えばそれは、物語でしか耳にしたことのなかった英雄譚。今までは遙か遠くで眺めるものであった燻りが、こうして似た形で目の前に広がる。すると奇妙にも、人々が皆、物語と同じように振る舞いはじめる。何よりの問題は、そこに付随する高揚に滲み、違えた正義感に覆い被され、己の内にある残虐性の全てを正当化させてしまうことだ。
◇
「いつまでそうしている」
異形の肉を刻みの続ける背中に、アギレラが声を掛ける。
「ふうむ」切り取った紫色の肉片を瓶に詰め、キャリコは不服そうに声を漏らす。「やはり、モヴァリス写本に記されている以上の成果はありませんね」
「当然だ。おれはラームでその原本を散々読まされた。イグラ・トートリス締約は?」
「もちろん知っています。ストライダ・トートリスと、輪のストレイゴイ・イグラとの間で結ばれた締約。互いの領域を害さぬ限り、両者は干渉しない」
「有り体にいえば停戦協定だ。今回はやつらが締約を破り、おれが斬った。しかしな、だからといって、死骸を興味本位で弄んでも良いという理屈にはならねえんだぜ」
「興味? いや、そこは好奇心と言ってもらいたいですね」キャリコが独特な方向から反論する。
「それに、死骸を持ち帰り研究したがるのは、あなたがたのほうが…」
「…そうじゃねえよ」アギレラが言葉を遮る。
「おれは、敬意の話をしている。矜持ってやつだ。敵だろうが味方だろうが、そいつは関係ねえ」
「なるほど」キャリコは急に興味を無くすと、道具を仕舞い、立ち上がる。
「いづれにしろ、おまえさんにゃあ、無駄骨だったろうな」挑発の意味を込めたアギレラ発言。
「いや!」それをキャリコがきっぱり否定する。
「何も得られなかったという経験を、得られました。なにより…」
「ああ、そうだったな、」アギレラはその先を言わせない。
「好奇心、好奇心、それがお前の…」
「そ、」キャリコは悪びれもせずに言葉を受け取る。
「それがぼくの行動原理」
「はっ!」
あまりの自信に満ちた物言いに、終始不機嫌であったアギレラがついに観念して歯を見せる。
「勝手にしろ」
そう吐き捨てつつ、彼は彼でここを去る準備をしている。用意した油はすでに撒かれ、後は火を放てば仕事は終了となる。それは彼が何度か経験した最期の作業、大概は、魔物のそれよりもずっと後味が悪く、胸に何かしらの遺恨を残す吸血鬼との戦い。
「おや?」
そこでキャリコがうつ伏せになり放置されたままの老婆の死体を見付ける。「そうか、人間の姿のまま絶命したストレイゴイは、人間の姿のまま…、」
「いや、そいつは違う」割って入るアギレラ。
「おれの見立て通り、その咒師はただの老人だった」
「ほんとうに?」信じられぬ様子で、キャリコは老女を仰向けにひっくり返し、またしても手揉みをはじめる。
「よせ」再び取り出されたランセットをアギレラが制する。そうして、なるべく血に汚れていない緞帳を引き剥がし、老婆に被せてやる。
「こいつは人間だといったろう。ならば、このまま屋敷ともども、燃やしたほうがいい」
「そうする掟? ラームの?」
「そんなんじゃねえよ」
「そうか、魔女ってのは、最後は燃やされるものだから」勝手に納得するキャリコに、アギレラが舌打ちする。
「やっぱり、お前とはまるで合わんな」手首を振り、強引に話を切り上げる。
そこで背後から声が掛かる。
「おお、戻ったか、ジャポ」よくやってくれた。背後に立つ大きな中年女をアギレラは労う。
「あの大男は?」
「…それが、」ジャポが大汗を拭う。
「麓の手前で、ポランカの兵隊に引き渡しました」
「ずいぶん早い手続きもあったもんだ」
「たまたまだとか。麓の村への巡回兵だそうで」報せを受けたポランカの査問官が大事を知り、直ちに巡回兵へと六つ羽鳩を飛ばしたのだそう。
「そりゃあ、運が良かったのか、悪かったのか」報告を受け、アギレラが頭を掻く。
「イーゴーといいましたか。彼は、正しき裁きを受けられますでしょうか?」
ジャポが訊ね、「無理だな」アギレラに否定される。
「吸血鬼の信奉者は、存在さえ許されぬ邪教徒だ。どこに引き渡したとしても、夜を待たず、その場でなぶり殺されるだろう」
「正式に裁かれたって同じ、縛り首はまぬがれないよ」どこか関心なさげなキャリコの意見。
「…そうですか」ジャポは心底気の毒そうに首を振り、派手な編み上げ帽子を脱ぎ、それを握って小さく祈る。
「あ、間違った!」そこで急に、キャリコが素っ頓狂な声をあげる。
「なにか?」ぎょっとなり、ジャポが祈りを中断させる。
「縛り首じゃない。…えと、もし査問官のもとに無事に引き立てたとして、罪状から考えれば、まあ、鋸挽きか、良くても斬首でしょうな!」
どちらでも差のない結末を満足げに訂正するキャリコに、二人が大きな溜め息で応える。
「尊敬するぞ‥、」
「ええ、まったくですわ」ジャポはアギレラの科白を先読みして頷く。
「…こんな変人と共にするお前をな」
「時折、自分でもそう思います」
彼女は再び、大きな溜め息を吐く。
─ 続く ─