『守護神 山科アオイ』29. 新しい任務
高山が佐伯警視正への無料奉仕を飲まされたころ、アオイ、慧子、幸田の用心棒3人組は、雇い主である「シェルター/世話役会」からの指示を待っていた。
幸田のスマホから「ラプソディー・イン・ブルー」が流れ出す。彼のお気に入りの着メロだ。幸田がメガネの向こうのまるっとした目を慧子、アオイの順に向け、意味ありげに笑ってみせる。
「もったいつけずに、早く出な」と、アオイ。
幸田がペロリと舌を出し、携帯を耳に当てる。スピーカーにはしない。アオイと慧子は「世話役会」との調整は幸田任せにしている。アオイと慧子が駆け出しのタレントで、幸田がそのマネージャーみたいなものだ。
「世話役会」がそのように決めているからだが、その取り決めにアオイと慧子が不安や不満を抱いているわけでもない。二人とも、組織の利害がからむような面倒な話には関わりたくない方だ。
「和倉氏を『シェルター』に受け容れないことは決定したのですね……えっ! なんですって?」
スマホをスピーカー設定にしなくても、幸田の声が十分にスピーカーの役割を果たしている。
「和倉は、私たちを裏切って自分から逃げ出したのですよ。博士とアオイの命が危険にさらされました……はぁ?……お言葉を返すようですが、それは、私たちが請けた警護業務の範囲を越えています……えっ、新しい業務として発注する? そんな仕事はお請け出来ません……請けなかったら縁を切る? 金銭的援助を止める? どうぞ、ご自由に。縁を切ったら、ご所望の調査もできませんよ……我々の代わりならいくらでもいるですって? わかりました。そんなことをおっしゃるなら、こちらから縁切りです」
固定電話だったら、受話器をガシャンと叩きつける場面だ。
「慧子、あたしたち、マネージャーの人選を誤ったんじゃないか?」
アオイが茶化すと、慧子が真顔で答える。
「私たちにマネージャーを選ぶ余地は、なかったでしょ。『世話役会』が幸田さんを指定したのだから」
「そのマネージャーが短気を起こしたせいで、あたしたち職なしになったみたいだぞ」
「うるさいっ!」
幸田が怒鳴った。
アオイが平然と訊き返す。
「幸田、お前、なにカッカしてんだ? あたしがカンシャク起こすのはいいけど、マネージャーのあんたがカンシャク起こして、どぉすんだ?」
「阿呆なことを言うな。カンシャクを起こしていい奴なんか、いない」
「その論理だと、幸田さんも短気を起こしてはいけないことになります」
慧子は、人の嫌がることを冷静かつ論理的に語るので、感情的なアオイ以上に相手の怒りを招くことが多い。
「SHUT UP!」
幸田がテーブルを叩いた。
「慧子、思いついたことを実験の経過観察みたいな調子で口にするのは、あんたの悪いクセだ。ここは、あたしに任せろ」
慧子がメガネを外し、ポケットからメガネ拭きを取り出す。ガラスレンズなのでごしごしぬぐっても傷をつけるおそれはない。多少の力を込めて丹念に磨き始める。思考を強制停止するための慧子のルーティンだ。
「幸田、『世話役会』から何を言いつけられたんだ?」
「和倉が『シェルター』に接近したルートが『シェルター』に敵対する何者かに汚染されている可能性が高い。その汚染源を突き止めろと言ってきた」
「それって、和倉の恩師の遠山教授と『シェルター』の須崎って世話役を結ぶ線だな?」
「そうだ」
「そこに探りを入れることの、どこがまずいんだ?」
幸田が目を剥く。
「まずいに決まってる! 和倉が逃げ込んだ先は、暴力的で組織化された集団だ。お前さんと博士の命が危ないところだった」
「そぉいう奴らが『シェルター』に迫っているとしたら、『世話役会』が心配するのも無理はない」
「それは『シェルター』の問題で、我々の問題ではない」
「だけど、『シェルタ―』は、そぉいう危険に備えて、あたし達を用心棒に雇ってんだろ」
「違う!」
幸田が語気を荒くした。
「『シェルター』は、本当は、お前さんと博士を受け容れて保護すべきだったんだ。それなのに、お前さんたちを追っているCIAを恐れて、受け容れようとしなかった。それでいて、専属の用心棒にして都合よく利用している」
「幸田、あんた、まだ、そこに怒ってるのか?」
「怒ってる。『シェルター』の元メンバーとして、恥じてもいる」
アオイが立ち上がって、冷蔵庫に歩み寄る。
「あたしは、ジンジャーエールをお代わりする。幸田、なんか飲むか?」
「要らない」
慧子がメガネのレンズを磨き続けているのがアオイの目に入る。
「慧子、あんまり磨くとレンズがすり減るぞ」
「ガラスレンズの硬度と私の指先が与える最大の摩擦力の関係を……」
「わかった、わかった。独りで科学してろ」
アオイは、ジンジャエールを一口すすってから、イスに腰を下ろす。
「幸田、あんたは下手に『シェルター』のメンバーだったから、腹が立つんだよ」
「どういう意味だ?」
「あたしと慧子は、はぐれ狼だった。CIAに追われてんだ。周りに迷惑をかけるのが心配で仕事をころころ変えなきゃいけない。収入は不安定。家も借りられない。周りから変な目で見られながら、女二人で簡易宿泊所暮らし」
「何が言いたい?」
「『シェルター』にイイ所取りされると分かってても、家があって定職があるのは、ありがたいってことだよ。幸田があたしたちのために『シェルター』に腹を立ててくれるのは嬉しい。あたしたちの安全を気にかけてくれるのも嬉しい」
アオイはそこで言葉を切って、幸田の目をじっと見る。
「だけど、あたしたちから、今のこの仕事を奪わないでくれ。どうしても嫌んなったら、あたしたちから言う。それまでは、この仕事を続けさせてくれ」
幸田の視線が揺れる。
「慧子、あんたも同じ気持ちだろ?」
「私の気持ちを訊いてもいないのに、どうして分かるのかしら?」
慧子がメガネをふきながら答える。
「じゃ、違うのか?」
慧子がメガネをふく手を止めて答える。
「マグレ当たりみたいよ」
「ってことだからさ、幸田さん、『世話役会』に電話して、やっぱ仕事を引き受けますって、言ってくれないかな?」
幸田が、観念したようにスマホを取り出した。
〈「30. 捜査着手」につづく〉