『守護神 山科アオイ』28. 妥協
「わかった。そこまで手伝いたいなら、チャンスをやろう」
佐伯がもったいぶった口調で言った。
髙山が長身を折って
「ありがとうございます」
と答える。世津奈も深々と頭を下げる。
世津奈と高山が頭を上げると、佐伯が目と唇の端を歪め気味悪い笑みを浮かべていた。
「市民の義務として警察を手伝うのだから、もちろん無料奉仕だな」
佐伯の目論見に気づいて表情が変わってしまうのを世津奈は抑えることができなかった。佐伯は、無料で「京橋テクノサービス」に捜査協力させる前例を作ろうとしている。「京橋テクノサービス」を潰す代わりに警察に無料奉仕させる。現実的には、その方が佐伯にとって得策なはずだ。
だが、そんなことを長く続けさせられたら、「京橋テクノサービス」は大幅な収入減となり、結局は潰れてしまう。
「警察には『捜査特別報奨金』の制度があると聞いています」
髙山が落ち着いて答える。
だが、佐伯は鼻でフンと笑う。
「『捜査特別報奨金』は、『社会的反響の大きい特異又は重要な事件』に適用されるものだ。人探しは対象外だ」
「捜査協力に対する謝礼の対象には、なりませんか?」
髙山も簡単には引き下がらない。
捜査協力に対する謝礼は、現実に、支払われている。世津奈も、警察時代、捜査費の中から情報屋に謝礼を渡していた。一警察官の自由になる捜査費など、たかが知れていたが。
佐伯が世津奈にさげすむような目を向ける。
「都道府県警は些細な情報提供にも謝礼を出しているようだが」
そして、同じ目を高山に向け、言葉を続ける。
「警察庁は重要犯罪にかかわる場合しか謝礼は出さない。そもそも、警察に協力するのは市民の義務だ。それに対して謝礼を期待するのは卑しい根性だ」
捜査協力に対する報酬は、警察官個人の裁量によるところが大きい。ノンキャリアの一線の捜査官は情報屋との関係を維持するため謝礼に融通を利かせることが多いが、キャリアの管理者の中には、そういう現場の恣意性を忌み嫌う者もいる。佐伯は、その典型だった。
「宝生警部補、貴様、社長にずいぶん入れ知恵したようだな。だが、貴様は警察機構ではせいぜい下士官くらいの存在だ。貴様の常識は、我々高級将校の世界では通用しない」
佐伯が軽蔑のこもった口調で言う。
「こいつは、絶対に、これ以上出世しなくていいから」と世津奈は声に出さずに、つぶやく。
高山が世津奈のとなりで姿勢を正した。
「わかりました。喜んで無償でお手伝いさせていただきます。ただし、あくまで今回限りの話です」
キッパリ言った。「今回限り」に力がこもっていた。
「市民の義務を正しく理解していただけたようで、結構」
佐伯も、今の段階では今後のことまでは持ち出さない。
「弊社の調査員を総動員して、和倉修一という人物を探し出します」
髙山が気前よく申し出ると、なぜか佐伯の表情が曇った。
「待て。調査員は、宝生警部補だけで十分だ」
「人手は多い方が良いと思いますが」
「見ず知らずの調査員を私の仕事に使うわけには、いかない。宝生警部補は私の部下だった。警察官としては失格だが、ハンターとしては、それなりに使える人間だと、分かっている」
「私の相棒が回復したら、彼も加えさせてください」
「あの若造がいなくても、貴様なら人探しくらい簡単にできるだろう?」
「私たちはチームです。彼が欠けると、戦力ダウンです」
佐伯が唇を歪め、世津奈に汚いものを見るような目を向ける。
「なんだ、貴様、あの若造と『出来て』いるのか?」
「はぁ?」
世津奈がブチ切れる寸前に、髙山が言葉を挟んできた。
「佐伯警視正、今のはセクハラ発言です。お取下げいただきたく存じます」
丁重ながら有無を言わせぬ口調。
「セクハラだと?」
佐伯が高山に怒りの目を向ける。その目をしっかり見つめ返して高山が言う。
「はい。職場で男女が協調して職務を遂行している姿を見て性的関係を疑う発言をするのは、非常に悪質なセクハラです」
佐伯がフンと、鼻で笑う。
「流行のポリティカル・コレクトネスか? だが、現実には、仕事がうまく行っている男女のペアは、陰で『出来ている』ことが多い。ポリコレで言い繕うのは、偽善でしかない」
世津奈は、佐伯に呆れ果てた。佐伯の高山への態度、世津奈に対する「我々高級将校の世界では通用しない」という発言、これらは、明らかにパワハラだ。それに加えて、世津奈への悪質なセクハラ。こいつは、根っこから腐りきってる。
「まぁ、いい。『出来て』いようといなかろうと、仕事がきちっとできれば、文句はない。若造が回復したら手伝わせればいい」
佐伯が放り出すように言った。
「では、そうさせていただきます」
と世津奈は答える。佐伯は「ありがとうございます」を期待していただろうが、礼などする気はない。
「私からお断わりしておくことがあります」
髙山が言う。
「なんだ?」
「捜査の進展を、宝生から私にも報告させます」
佐伯が眉をひそめる。
「なんだと? 宝生警部補は、私の指揮下に入るのだ。なぜ、あなたに報告する必要がある」
「今回の捜査協力は、警視正と『京橋テクノサービス』という企業の間の取り決めです。警視正と宝生の個人的な関係によるものではありません」
世津奈は心の中で「個人レベルでは、私は、あんたと一切関りのない人生を歩みたかったよ」と、つぶやく。
佐伯は表情をこわばらせて高山をにらみつける。高山がひるまずにらみ返すと、佐伯の表情が緩んだ。
「わかった。宝生警部補があなたに報告することを認めよう。ただし」
佐伯が高山から世津奈に目を移す。
「宝生警部補。本件に関し、貴様の上司は、あくまで私だ。高山社長はオブザーバーに過ぎない。それを忘れるな」
世津奈は隣にいる高山の横顔をうかがう。高山がうなずいてみせた。
「分かりました。佐伯警視正のご指示に従い、報告は、真っ先に警視正に上げます」
世津奈は佐伯に答え、満足げにうなずく佐伯を見ながら「最低、最悪のクソ野郎」と腹の底で毒づくのだった。
〈「29. 新しい任務」につづく〉