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『守護神 山科アオイ』27. 駆け引き

「あなたの元・上司、佐伯警視正が、桑原君が発砲する映像を握っているのね」
世津奈から説明を受けた高山美玲が、念押しする。
「はい。それをネタに脅されています」
「わかった。そちらに向かう前にやっておきたいことがある。1時間ちょうだい」
 高山の到着まで1時間かかると聞いて佐伯は苦い顔をした。「京橋テクノサービス」からこの病院までクルマで30分とかからないことを知っているのだ。それでも、佐伯は文句は言わず、世津奈にオレンジジュースを買ってくるよう、そして、ジュースを部屋に届けたら、廊下で待つようにと言った。世津奈はほっとした。狭い休憩室で佐伯と顔を突き合わせているのは、もう限界だった。

 ぴったり1時間後、高山が休憩室の前の廊下に現れた。高山は世津奈より10歳年長の45歳。骨太な175センチの長身。やや角ばって縦長の顔、知的な光を放つ目と一文字にきりりと結んだ唇。それが彼女の性格を物語っている。
「あなたと二人で心配していた日が来てしまったようね」
高山が顔色ひとつ変えずに言う。
「ここからは、社長の私に任せて」
そう言って、高山は休憩室のドアをノックする。
「入れ」
中から、佐伯が横柄な声で答えた。

「『京橋テクノサービス』の社長を務めている高山美玲です」
入口で、高山が挨拶する。
 ソファーに座ったまま高山を見上げる佐伯の目に、気後れのようなものが現れたと、世津奈は感じる。ただの希望的観測ではないはずだ。海千山千の産業スパイでも、高山の前に引き出されると、とたんに落ち着かなくなる。それだけの「圧」が、高山にはあるのだ。
 佐伯が小さく咳払いして自分の前のソファーを顎で示す。
「失礼します。宝生さん、あなたもお座りなさい」
高山がソファーに腰を下ろし、長い脚を斜めにそろえる。世津奈は、となりに浅く腰かける。

 佐伯が目の前の高山を頭の先からつま先までなめるように見てから、口の端にゆがんだ笑みを浮かべた。
「産業スパイ狩りの大先輩、高山美玲社長とは一度お目にかかりたいと思っていたが、こんなに早くチャンスがくるとは」
「私こそ、お目にかかれて光栄です」
高山が抑揚のない声で答える。

「状況は、宝生警部補から聞いたと思うが」
佐伯が、また、世津奈を警察当時の階級で呼ぶ。
「うちの調査員の発砲現場を捉えた映像をお持ちだそうで」
「そうだ。警視庁生活安全部におたくの会社の捜索令状を取らせてある。連中は、私の電話一本でガサ入れを始める」
「私たちが和倉修一氏について情報提供すれば捜査を見送るとのお話ですが、私どもは、和倉修一なる人物について何も知りません」
「その話なら、宝生警部補から散々、聞かされた。社長みずからお出ましになるからには、当然違う答えを持ってくると思い、1時間もこの小汚い部屋で待っていたのだ」
「警視正のお相手を宝生がしようが、私がしようが、私どもと和倉修一なる人物が無関係であるという事実は、変わりません」
高山が落ち着き払って答える。
 
 佐伯の顔に血が昇った。両手が上がる。今しも佐伯がテーブルをたたくというタイミングを捉えて、高山が
「ですが、お手伝いなら、させていただきます」
と切り出した。佐伯の手が着地点を失い、宙に遊ぶ。
「いえ、是非、お手伝いさせてください」
高山がさらに言葉を重ね、佐伯がぎこちなく両手をテーブルに置く。
「手伝う?」
「はい。私どもは、和倉修一なる人物には、全く心当たりがありませんが、人探しが、私たちの商売です。警視正が和倉修一を探すお手伝いなら、いかようにもさせていただきます」
 佐伯が目を泳がせる。相手から想定外の反応が返ってきたときの癖だ。この癖も直っていないのかと、世津奈は半ば呆れ、半ば同情する。佐伯は感情を表に出し過ぎる。佐伯得意の恫喝的な態度は、警察組織ではそれなりに有効だ。しかし、内面の動揺を簡単に表に出すのは、キャリア官僚の権力闘争では間違いなくマイナスだろう。

 佐伯が目を細めて高山を見る。
「どういうつもりだ?」
「警察が人探しをしている。人探しを商売にしている一市民として、警察に是非協力したい。そう思っています」
佐伯が世津奈に目を向けた。
「宝生警部補、貴様、この社長に入れ知恵しただろう?」
「はぁ?」
世津奈はまるで意味が分からないという顔をしてみせる。
「お手伝いしようというのは、社長であるこの私が、考え付き、申し出ていることです」
高山が声にトゲを持たせる。
「貴様らは、これを今後に向けた布石にするつもりだろうが、そうはいかないぞ」
佐伯の声に怒気が現れる。

 佐伯が言いたいのは、こういうことだ。「京橋テクノサービス」が和倉の捜索を手伝ったという既成事実を作り警察の協力企業になることへの足掛かりにしようとしている。
 世津奈は、心の中で「その通りですよ、佐伯警視正」とつぶやく。世津奈も高山も、警察が一丸となって本気で「京橋テクノサービス」を潰しにきたとき、対抗手段がほとんどないことを知っている。しかも、佐伯警視正に、「京橋テクノサービス」の銃刀法違反の証拠を握られてしまったのだ。
 警察の協力会社になど、なりたくない。だが、社員とその家族を路頭に迷わせるよりは、警察の下請けに身を落としてでも事業を続ける方がマシだ。「京橋テクノサービス」を創業者の父親から引き継いだ高山にとって、苦渋の選択だった。

 高山が抑揚のない落ち着いた声で佐伯に答える。
「おっしゃっていることの意味が分かりません。私は、和倉修一という人物を探すお手伝いをしようと申し出ているだけで、他意はありません」
高山は、この局面でこういうことをポーカーフェイスで言い切れる人間だ。
 佐伯が何か言い返そうとして、飲み込んだ。酷薄な印象を与える薄い唇をかみ、目をしきりに動かす。迷っているときの佐伯の癖だ。佐伯が警察機構のトップに昇り詰めることはないだろう。

 佐伯がポケットからスマホを取り出した。
「もう一度だけ、チャンスをやる。今すぐ、和倉修一について知っていることを洗いざらいぶちまけろ。さもなければ、部下に『京橋テクノサービス』の家宅捜索を始めさせる」
高山が顔色ひとつ変えずに答える。
「知らないことをぶちまけようがありません。捜索なさりたいなら、ご自由に」

 佐伯が、スマホを口元に持っていきかけた手を止めた。高山をにらみつけ、大声を出す。つばが飛ぶのが見える。
「貴様、銃器をどこかに移動させたな。その段取りがあって、ここに来るのに手間取った。そうだろう」
「ないものを移動させようがありません」
「だが、貴様の部下の桑原が銃を所持し、使用した」
「桑原の私物でしょう」
 桑原が発砲した銃を彼の私物だと言って片付けるのは、「トカゲの尻尾切り」だ。しかし、今は会社が生き残れるかどうかの瀬戸際だ。こういう場面で非情になれるのが、高山美玲だ。
 私だって、高山に切り捨てられる日がくるかもしれない。世津奈は、常々そう思って仕事に臨んでいる。

 佐伯がスマホに指をあてがう。高山の表情はまったく変わらない。佐伯の指が動き始める。世津奈は、自分の顔がひきつりそうになるのを必死でこらえる。佐伯の指が止まった。佐伯が高山に目を向ける。世津奈は息をこらして、佐伯の次の言葉を待った。

〈「28. 妥協」につづく〉