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『守護神 山科アオイ』40. 経 緯

 平日の昼食時間を過ぎたファミリーレストランはすいていた。世津奈とコータローは海が見える席を選んだ。秋の柔かな陽ざしに波頭がちらちらと光っている。
「女性と2人で海を見晴らすレストランなんて、デートみたいでロマンチックすね」
コータローが弾んだ声で言ってから、世津奈の顔を見て恥ずかしそうにうつむく。
 コータローが恋人に振られて嘆いていたのは、1年以上前だったと思う。私をデート相手に見立てるようでは、新しい恋人は見つかっていないのねと世津奈は思ったが、それには触れず、
「好きなもの、何でも食べていいわよ。デザートもありだから」
とコータローに告げる。
 
 コータローがテーブルに立てかけられたタブレットを引き寄せる。画面をクリックしてメニューから好きなものを選べば注文できる。今では当たり前の仕掛けだが、これが導入されたころ、亡くなった父が『味気なさすぎるよ』と肩を落としてつぶやいたのを思い出した。父は人の温もりを求めたがる人間だった。

「ボク、終わりました。宝生さん、どうぞ」
コータローがタブレットを差し出してくる。世津奈が海の幸定食とドリンクバーを頼んでから2人分の注文画面をみると、コータローがステーキ他5点を注文していた。
 世津奈としては、今すぐにでも305号室に動きがあって欲しいが、コータローが食事中に呼び出されたら可哀そうだとも思う。そうなったら、また別のところでおごればいいのだが、目の前ではしゃいでいるコータローを見ると、この食事が平穏に終わって欲しいと思うのだ。

 2人でドリンクバーから飲み物をとり席に戻ると、コータローが
「〝威張り屋”は不愉快な奴だけど、和倉が潜んでそうなマンションを見つけるのには役立ちましたね」
と、仕事の話を始めた。
 世津奈は小さく咳払いし
「最近、ミシシッピ・プライムで面白い映画観た?」
と話題を変えた。
コータローがペロッと舌を出し、映画の話に移る。
「『ブラック・ウィドゥ』、物理的にはありぇねーってアクションばっかでしたけど、面白かったすよ」
「あぁ、私も観た。あの妹が良かったよね。なんか、いじらしかった」
「お姉ちゃんの真似してみせるところが、可愛かったす」
 『ブラック・ウイドゥ』に始まってひとしきり映画の話をするうちに、コータローの前に並んだ5つの皿が空になった。
「そろそろ戻りますか」
と、コータローの方から切り出してくれた。

 駐車場に戻り車に乗り込むと、佐伯が
「今のところ、305号室には動きなしだ。食事中に飛び出さずに済んだから、俺の金は用無しだったな」
と言って、手を差し出してきた。
世津奈はなにか言おうとするコータローの口を手でふさぎ、もう片方の手で財布から千円札を二枚出して佐伯に渡した。佐伯はコータローが異議を唱えかけたことに気づかなかったのか、あるいは、気づいても鮮やかに無視したのか、世津奈が片手でコータローの口を押えていることには触れなかった。

「夜になったら、なにか動きがあると思いますか?」
世津奈が九鬼に尋ねる。
「いつまでもあそこに立てこもってるわけにはいかないだろう。どこかに移動するとしたら、やはり、夜間だろうな。お前さんたちは、今のうちに仮眠しとけ」
と、九鬼が答える。
「いいえ、私たちは食事してリラックスしてきました。ずっと監視を続けていたお二人こそ、休憩してください」
世津奈が九鬼に言う。世津奈に答えたのは、九鬼ではなく佐伯だった。
「おぅ、じゃ、ファミレスで茶でもしてくるか。なんかあったら、呼び出してくれ」
そう言って、助手席のドアを開ける。
九鬼が「ふぅ」と息をついて
「じゃあ、私もそうさせてもらうか」
と言い、運転席側のドアから出て行った。
 世津奈とコータローはいったん車を下り、コータローが運転席、世津奈が助手席についた。

「あの〝威張り屋”、このマンションを見つける役に立ってなかったら、蹴っ飛ばしてやるところだ」
コータローがぶつくさ言う。
「本当にやったら、公務執行妨害で逮捕されるわよ」
世津奈がコータローをたしなめる。

 世津奈たちがマリーナ内のリゾートマンションにたどり着いたのは、佐伯が雇っているセキュリティ・サービス会社から得た情報のおかげだった。九鬼と佐伯がハードボイルド小説の話に花を咲かせて飲み明かした次の日、昼を回ったころに九鬼と佐伯が起きだし、ようやく和倉捜索の話になった。

 ショッピングピングモールで人質交換したとき、相手側に中年の女性がいたと世津奈が話すと、九鬼が「普通のヤクザじゃないな」と言い出した。
「暴対法ができてから、企業は不祥事のモミ消しや強引な力業にヤクザを使えなくて困っていた。ところが、最近、その手の汚れ仕事をセキュリティ・サービスと称して受託する企業が現れた。その手の企業は一見、普通の勤め人や主婦に見えるような人間を男女を問わず雇い入れているらしい」

「一見普通そうな人が、どうしてそういう汚れ仕事に応募するのですか?」
世津奈が訊くと、九鬼は
「普通に生きていたが、その道からやむをえない事情で足を滑らした人たちだ。大学の卒業が就職氷河期にぶつかり、それ以来非正規社員として仕事を転々としてきたが我慢の限界だと感じている人、正社員だったがリストラで職を失い再就職がかなわず家族に逃げられ行き場をなくした人、子どもの教育や家の増改築のために借金をした後に職を失い借金の返済に借金を充てているうちに多重債務に陥った人……そういった人たちをインターネットの闇サイトで募集しているらしい」
「クズのような連中を使ったいかがわしいビジネスだ」
佐伯が吐き捨てるように言った。
 九鬼が手元のコーヒーカップに目を落とし
「クズのような連中……ねぇ。私は、そう言って切って捨てる気にはなれない。警察にトカゲの尻尾切りされたとき、あの金まで取り上げられていたら、私だって、どうなっていたかわからない」
と言い、その言葉に佐伯がぎくっとしたようにスツールから腰を浮かした。

 やはり九鬼は、もと警察官だったのだ。初めて会ったときから、世津奈は九鬼に嗅ぎなれた匂いを感じていた。九鬼を世津奈に紹介してくれた〝先輩”が「九鬼の人間性は私が保証する。だから、彼の過去について、彼が話さない限り宝生君から尋ねてはいけない」と言ったので、九鬼の過去に関心を払わないできたが、思いがけず九鬼自身の口から元警察官だったことが明かされた。
 しかし、それに対する佐伯警視正のこの反応はなんだ? 佐伯と九鬼は初対面ではなく、過去に関りがあったのだろうか?

 世津奈は九鬼が低級なセキュリティ・サービス会社に応募する人たちをクズ呼ばわりしない姿勢に共感を覚えた。普通の人生行路から思いがけず足を滑らし追い詰められると、人間は脆さを示す。だが、運よく普通に歩んでいる人間がその脆さを責めるのは酷薄なことだ。
 ただ、今回の仕事に関わっている連中は、人質を殺すことに何のためらいももたない凶悪な連中かもしれなかった。それは、人質の篠原を人質交換場所とは別の場所に閉じ込めていたことからうかがえる。
 しかし、世津奈は、その事実を佐伯はもちろん、九鬼にさえ話していなかった。それを話すと、アオイと慧子の存在を明かすことになる。九鬼には、いずれ二人だけの時に話すつもりだが、佐伯に知られるわけにはいかない。アオイと慧子は明らかに警察との接触を避けていた。

「ともかく……だ」
佐伯が気を取り直したように切り出した。
「和倉が逃げ込んだ先がその手の低級なセキュリティ・サービス会社の1つなら、私が雇ったセキュリティ・サービス会社が情報を持っているかもしれない」
「警視正が使っているセキュリティ・サービス会社とは、以前おっしゃっていたアメリカでその道で一流の会社の日本法人ですか?」
世津奈が問うと、佐伯が
「そうだ。元CIA工作員や元特殊部隊員を多数抱えた一流どころだ」
と自慢気に答えた。さらに
「日本法人には日本の元警察官や内閣情報調査室の元職員もいる」
と付け加え、胸を張った。世津奈は警察が民間のセキュリティ・サービス会社を使うことが胸を張るようなことだろうかと思ったが、それを口には出さなかった。
 九鬼が
「もしかして、佐伯さんが使っている会社は『グローバル・セキュリティ・コンサルティング』かな?」
と尋ねると、佐伯はあっさり肯定した。
「そのとおり、『グローバル・セキュリティ・コンサルティング』略してGSCだ。一流の人間は一流の企業を使う」

 佐伯がさらに続けた。
「GSCのような一流企業にとって、低級なセキュリティ・サービス会社は害虫だ。安い受託料でヤクザまがいの仕事を引き受けるから、日本企業の間でセキュリティ・サービス会社のイメージが悪くなる」
「そういうところに仕事を出す企業の方も、いかがなものかと思いますけど」
世津奈が言うと、佐伯からぎろりとにらまれた。

「ともかく……だ」
この前置きは気分を立て直すときの佐伯の口ぐせだ。
「GSCは害虫情報を豊富に持っている。しかも、今回の害虫の雇い主はアフリカの独裁者エウケ・レ・レである可能性が高い」
世津奈は、和倉がエウケ・レ・レが雇った産業スパイに抗マラリア新薬の情報を売ったことを九鬼と佐伯に話してあった。
「海外の政治家から仕事を請けられる会社というと限られてくる。さっそく、GSCに調べさせる」
 
 佐伯がGSCに調査依頼した直後に、病院を退院してきたコータローが合流してきた。そして、依頼から24時間後、回答があった。いかがわしいセキュリティ・サービス会社のうち比較的大手の「アルティメット・セキュリティ(略称UC)」が1年ほど前から海外からの受注を増やしていて、つい最近には、アフリカの独裁者からある人物の護送を請け負ったらしいというのだ。
 GSCはUCが首都圏に確保している不動産まで把握していた。そのほとんどはオフィスビルと倉庫だったが、一つだけマンションの1室があり、それがいま世津奈たちが監視しているリゾートマンションの305号室だった。
  エウケ・レ・レがUCを雇って和倉の身柄を確保したという世津奈たちの推理が正しければ、エウケ・レ・レにとって和倉は半ばゲストのようなものだ。世津奈たちは、ゲストを匿う場所としてはリゾート・マンションが最適だろうと考え、こうして305号室を監視しているのだった。

〈つづく〉