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『守護神 山科アオイ』26.佐伯の恫喝

 佐伯は、世津奈が和倉と一緒にいたという確証はないのに、世津奈から和倉のことを訊きだそうとしている。世津奈は思う。佐伯が何の手がかりもなく私に目をつけたとは考えにくいが、それにしても、今、彼がしていることは、埃が出そうな相手を叩いて何か出てくれば儲けものという荒い手口で、警察庁の上級官僚には、あまりふさわしくないやり方だ。
 それだけ、佐伯は和倉の情報をつかみたくて必死なのだ。しかも、自ら乗り出してきたということは、部下に任せるわけにいかない事情がある。

 佐伯が、なぜそこまで和倉に執着するのか? 世津奈の好奇心が大いにくすぐられるが、下手にその藪をつつくと、とんだ毒蛇が出てきそうな気がする。ここは徹頭徹尾「知らぬ・存ぜぬ」をとおして、佐伯にお引き取りいただこう。佐伯に対応する方針をそのように決め、世津奈は佐伯のアップルジュースと自分のジンジャーエールを手に、部屋に戻る。

 丸テーブルにドリンクを置いた世津奈は、佐伯から動揺の跡がすっかり消えていることに気づいた。それどころか、佐伯はふてぶてしい笑みまで浮かべている。私が自販機との間を往復する、たかだか5分の間に、佐伯の態度を一変させる何があったのだ?
 世津奈が警戒しながら席につくと、佐伯が自分のスマホを差し出してきた。
「たった今、部下から届いた映像だ。この男は貴様の同僚だな」
映像を見て世津奈の心臓が跳ねるが、動揺を押し殺して答える。
「いいえ、見たこともない人です」
佐伯がニヤリとする。
「貴様は、そう答えるしかない。だが、我々はこいつが『京橋テクノサービス』の調査員だという証拠をつかんでいる」
 映像の中では、「京橋テクノサービス」の調査員・桑原が、前を走る男性の足に訓練用プラスチック弾を浴びせ転倒させていた。産業スパイの逃亡を阻止したのだろうが、相手が凶器を向けてきていないのに発砲するとは、やり過ぎだ。

「使ったのが非殺傷性のプラスチック弾だろうと、この男と『京橋テクノサービス』を銃刀法違反で検挙することができる。ただし、本当にそうするかどうかは、貴様次第だ」
佐伯がサディスティックな笑みを見せる。
「私次第? どういう意味ですか?」
訊き返すが、およその見当はついている。
「貴様が和倉との関係を洗いざらい話せば、検挙を見合わせてやる」
「和倉何某という人物のことは、全く知らないと申し上げたはずです」
「嘘をつくな」
「嘘ではありません。知らないことをお教えすることは、できません」

 佐伯がソファーの上で身を引いた。世津奈の顔をひとにらみしてから、身を乗り出してくる。
「貴様が、『〈顧みられない熱帯病〉と闘う会』の依頼で産業スパイを追っていることは、わかっているのだ」
世津奈は、自分の表情に驚きの色が現れていないことを祈りながら、答える。
「『〈顧みられない熱帯病〉と闘う会』といえば、熱帯の発展途上国にはびこる感染症の撲滅に取り組んでいるNGOですね。ですが、私は『闘う会』とは、何の関りもありません」
 佐伯が薄ら笑いを浮かべる。
「顔色ひとつ変えずに否定するとは、さすが、信用第一の探偵稼業をしているだけのことはある。だが、こっちは、確かな筋から情報を得ているのだ」
「どんな情報ですか?」
「『闘う会』の名をかたって医薬品開発者に接触し機密情報を得ようとする産業スパイグループが現れた。自分たちの信用が傷つくことを恐れた『闘う会』は、貴様の所属する『京橋テクノサービス』に、産業スパイグループの摘発を依頼した」

「どうやって、そんなあり得ない話をひねり出したのです」
「確かな筋から情報を得たと言ったはずだ」
「『確かな筋』とは、どの筋ですか?」
佐伯がハハハと声に出して笑う。
「ネタ元を明かしてしまうようでは、重要な情報は何も得られない。貴様は警察時代に情報屋を使っていたが、上司である私にすら情報屋の正体を明かそうとしなかった」
当たり前だ。情報屋は、警察組織とつながっているわけではない。警察官個人とつながっているのだ。だから、警察官は、自分の情報屋を同僚はもちろん、上司にも決して明かさない。
「私も、最近、大勢の情報屋と付き合いができた。おかげで、貴様らの業界の動きが手に取るようにわかるのだよ」
佐伯が言う。
「それで、うちの桑原を行動観察して発砲場面を押さえたのですか?」
佐伯がニタリと笑って
「ノーコメントだ」
と、答える。

「では、仮に私が『〈顧みられない熱帯病〉と闘う会』から産業スパイ狩りを受託していたとしましょう。だからといって、私が和倉何某という人物と関りがあるということには、なりません」
「和倉修一は大手製薬メーカー『創生ファーマ』の研究員で、画期的な抗マラリア新薬を開発した。ところが、和倉は3日前から行方がわからない。これは、和倉と産業スパイグループ、和倉と貴様の関係を疑う十分な状況証拠だ」
「何度も申し上げますが、和倉修一なる人物を、私は知りません」
「そうか。では、これ以上、貴様に質問しても無駄だな」
佐伯がポケットからスマホを取り出す。
「警視庁生活安全課に貴様の会社の捜索令状を取らせてある。私が電話すれば、直ちにガサ入れを始める。もう一度だけチャンスを与える。貴様と和倉修一の関りを話すんだ」

 ハッタリでは、ないだろう。佐伯が第一に欲しいのは和倉の情報だが、それが得られないなら、セカンドベストとして「京橋テクノサービス」を銃刀法違反で検挙し、倒産に追い込むことを選ぶに違いない。
 佐伯は警視庁で世津奈の上司だったころから、「京橋テクノサービス」のような民間の産業スパイ・ハンターを目の敵にしていた。その佐伯が、「テクノサービス」社員が銃器を発砲する現場映像を手にしている。このチャンスを逃しはするまい。
「京橋テクノサービス」の社員とその家族の運命がかかった場面なのだ。世津奈は、腹を括った。

「うちの社長をここに呼ばせてください」
「なんだと?」
「警視正は、『京橋テクノサービス』を検挙するとおっしゃいました。一調査員の私が対処できる範囲を超えています。社長と交渉してください」
「貴様、上司に責任をなすりつけて逃げる気か」
そんな誹謗にひるむ世津奈ではない。
「警察では、上司が部下に責任をなすりつけます。ですが、『京橋テクノサ―ビス』では、上司が部下の行動に責任を負います」
 怒った佐伯がテーブルをたたく。アップルジュースのボトルが倒れテーブルから転げ落ちるが、中空で世津奈が受け止め「どうぞ」と佐伯に返す。
「貴様という奴は……」
佐伯が出かかった言葉を飲み込む。何を言いたかったか知らないが、東大法学部卒のキャリア警視正が私大出の元警部補に吐いたら、キャリア警視正の権威が傷つきかねない言葉だと気付いたのだろう。

 世津奈は、警察を辞めて「京橋テクノサービス」に入社したときから、今日のような日が来ることを恐れていた。社長の高山も同じ懸念を持っていて、二人で議論を重ねてきた。高山と世津奈は、佐伯と「手打ち」に持ち込むための案をひねり出していたが、それを今回使うかどうかは、社長である高山美玲が決めることだ。

「貴様、このまま会社と仲間を見捨てる気か?」
佐伯が改めて詰め寄ってくる。
「会社と私の同僚・家族を守るのは、私の仕事ではなく社長の仕事です。越権行為を厳に慎めと私に教えてくださったのは、警視正です」
皮肉が効き過ぎたとみえ、佐伯が手にしたアップルジュースのペットボトルを投げつけてきた。よけきれず、左肩をジュースが濡らした。めったに他人を怒らせない世津奈だが、相手が佐伯だと、こういうことが起こる。
「社長に連絡させてください」
世津奈は声を押し殺して佐伯に迫った。

〈「27. 駆け引き」につづく〉