見出し画像

【後編】後悔や弱さを力に変えて——素直な音と言葉でなぞる、Juni.の今と未来

*前編は<こちら


「あっ、これが私ずっと抱えてるものだ」

——そのデビューした後の「ここを脱したい」っていうのは、のち叶うんですか?

 うーん、叶ったんじゃないかな……今は本当に、デビューしたときに歌わせてもらってた曲とは真逆のものをやってはいると思うし、今はやっぱり自分の表現というか、自分の本音で歌えてると思うし。ただ、すごく時間はかかった。20代はやっぱりすごくつらかったし、どうしても(アルバムは)もう世に出しちゃってるものだから、そのイメージが強い。「ジャズみたいなの歌ってるよね!」みたいなことを言われて、「あれは私作ってないんですよ〜」って(笑)。

——デビューしてからの活動っていうのは、そういう方向性での活動はどのぐらい続くんですか?

 でも、意外と自分で「そこを脱したい」と思って曲作り始めてみたら、曲がポンポンできて。すぐ自分が作った曲だけでライブはできるようになって。ただそれが浸透していくのにはすごく時間がかかった。やっぱりお仕事としてやってたから、イベントとか出たらバランスよく最初のアルバムの曲やったりとかもしてて……でも「しなきゃいけない」っていうのも、思い込んでただけかもしれないなって、今は思うんだけど。

 これは書いても書かなくてもいいんですけど、脅迫障害っていうもの、あといろいろ他にも精神的な……闇を(笑)抱えてるんですけど。一番幼少期から自分を支配してるものって、脅迫観念……脅迫障害っていうのが、後々分かったけどそれに支配されていて。「これに関してはこうしなきゃいけない」っていうのがすごく強い。だから周りは全然気にしてないのに、自分だけが「こうしないと罪になる」みたいな感覚で生きてきたんです。
 なので、曲とかも「それをやらなきゃいけない」「お金かけて作ってくれたからやらなきゃいけない」とか、逆らってはいけないみたいな感じだったけど、でも自分が作った曲っていうのが増えていくにつれて、徐々にそれでライブをやっていくにつれて、それを認めてくれる人が少しずつできて。まあ何個か段階はあるけど、そういう「脱したな」っていうタイミングは何回もあって。ずっと脅迫障害は治んないんだけどね。

——これも載せるあれじゃないかもしれないですけど、それが分かるきっかけって何かあったんですか?

「これって病気なのかもしれない」って思ったのは、洋服屋さんで洋服を見てて、落ちてたの、1個、かかってたやつが。下に落ちてて、ちょっとこう、歩くところに少し出てた。で、普通に直さずに通り過ぎたんだよね、1回。そのときに、すごく「治さなきゃ!」っていう、「私がかけなきゃ、かけ直さなきゃ」っていう衝動に駆られて、怖くなって。そのときに一瞬で変な……もう、例えば私がその落ちている服をかけ直さなかったら、それが原因で誰かが死ぬんじゃないかって。例えばそれで誰かが滑って、頭打って……とかっていう想像を一瞬でバッてしてしまって。怖いと思ってかけ直したっていう。そのときにすごく変な感じになって……そういうことが結構続いた、一番最初がその洋服だったんだけど。
 これはなんかあるのかもしれないって調べてみたら、脅迫障害っていうのがあると。「『これをこうしないとこうなる』っていう悪い想像をしてしまって、それに支配される」。でもそれを見たときに、「あっ、これが私ずっと抱えてるものだ」ってすごく腑に落ちて。ちっちゃい頃から「いい子でいなきゃいけない」っていう、でも結局できない、それができなかったら罪、罰せられる、犯罪ぐらいの感覚なんですよ。

——一瞬で連想ゲームみたいにばーって、発展してっちゃうんですね。

 そう、それも絶対悪い方向。良い方向には絶対行かなくて、だから私も「今こうしなきゃいけない」ってなる。人それぞれ症状というか、何に対してそういうことを思うかっていうのは全然違う病気なんだけど、例えば洋服を着るのに「頭から入れなきゃいけない」とか「右手から入れなきゃいけない」とか、それも右手から入れたけど、ちょっといつもと違う感覚だと、もう一回脱いで着るっていうのを繰り返しちゃうとか、そういうものなんですよね。

——うん、なんか聞いたことあります。

 私は常々そういう大きな症状ではないけど、ずっとそれがある、当たり前みたいな状態。それがめちゃくちゃ辛かったんだよね。「それがあったからできた曲がいっぱいあるから、まあいいか」って(笑)思うことにしようって、今は思ってるけど。別に書いても大丈夫。わかんないけど多いと思う、そういう脅迫障害とかもだけど、今すごく(抱えているひとは)多いと思う。

——それに限らずですけど、きっとそういう自分の中の違和感に名前がついて、ちょっと安心するみたいなのはあるかもしれないですよね。

 うんうん。その「得体の知れなかったもの」が分かっただけで、ちょっとすっきりはして。ただ、そう、「病気なんだ」って思ったときに、ちょっとやっぱり悲しさというか、「普通じゃないんだな」って思ってしまって、それを受け入れるまでがすごくつらかった。
 ……なんか重い話になって(笑)。

——いえいえいえ。逆にありがとうございます。

子供の頃からずっとそばにあったものがいきなりなくなって

——音楽の方にじゃあ戻すとすると、その後はどんなふうに活動を?

 その後が、また激動の時代が来るんですけど(笑)。20代後半にかけてはまあ、頑張ってたっていうか、一番イベントとかにも呼ばれるし、お仕事としても成り立ってたし。頑張って、たくさん活動をして、いろんな人に聞いてもらって、まあいずれはメジャーに行くか、でもメジャーに行ったら自分の好きな音楽できないのかなあとか、インディーズで自分で事務所立ち上げたらその分儲かるかなとか(笑)色々考えながら活動してて。チャンスを狙ってた感じではあったんだけど。だから20代後半が一番がむしゃらというか、自由に、やれてたかなあ。
 ただ、30歳に近づくにつれて「女であるから」っていうところで、これからのことを考えないといけない。周りからもそういうことを言われるようになって、「そろそろ結婚は?」とか「子供は?」とか「早い方がいいよ」とか。「ここまでやって成功してないんだからもう辞めたら?」「いつまで遊んでんの?」。

——……わかる〜〜(笑)。

(笑)それはね、男性も言われるだろうし。「そろそろ落ち着いたら?」みたいな。それもまあ、正論というか、一般的には当たり前なんだけど、やっぱりこっち側としては「いや……これからなんだけど?」みたいな(笑)「これからなんだけどな〜」って思いながら。そのときは20代後半で、なんとなく自分のやりたい音楽っていうのがやっと見えてきたから。だったのに、そういうことを言われて、そこでまた脅迫が出てくるわけですよ。「こうしなきゃいけないのかな」。なので「親に言われるまではやろう」と思って、周りから言われても。

 で、31歳のときかな。親に、ついに「そろそろ……」って言われて。「考えないか?」って言われたときに、「いや、もうちょっとやらせて」って言えればよかったんだけど、言えなかったんだよね。「もう諦めなきゃいけないのかな」って思ってしまって。でも「分かった」って。「あと1年だけやらせて」。「最後のアルバムを作って、ツアー回って、やめる」って言って、そうした。

 そこから、就職したんだけど。広告代理店に就職して。イベントを作ったりとか、結構(Adobe)Illustrator使ったりして、データ作る作業も多かったから、楽しいっていうか、やりがいのない仕事ではなかったんだけど。でもそれ以上に、やっぱり「歌えてない自分の価値の無さ」みたいな。「無価値……」みたいな(笑)感覚がすごく強くなっちゃって、病んでしまったんです。

——それまで何年も当たり前に続けてきたこと……が、ですもんね。

 うん。子供の頃からずっとそばにあったものがいきなりなくなって。だから本当に音楽聴くのがつらい。ラジオから流れてくるのも聴けない。自分が歌ってた歌も聴きたくない。ひとがライブやってるのも観たくない(笑)という闇に入って。「あ、これは自分、壊れるな」と思って1年で辞めました。

 その後すぐ復帰しようとしたけど、怖くなっちゃって、今度は出るのが。離れちゃったから、一回。受け入れてもらえるのかな、忘れられてないかな……怖くて怖くて、ステージに行けない。そこから4年くらい、病んだ。

 そのときに、何人かの人からメッセージをいただいて。一人はファンの方、もう一人はライブをやるお店のマスター。あと何人かいたんだけど、その2人がすごく印象的で。
 私がラジオをやってたのを聞いてくれてて、リスナーさんからファンになってくれた人がいて、未だにその人はファンでいてくれてるんだけど。その人からTwitterのDMで「ラジオを録音してたときの生歌……」、よく自分の番組内でギター1本で歌ったりしてて、それを「録音してたのを聞いて我慢してますが、そろそろ生歌聞かないと死にそうです」って言われて……思い出すと涙出てくる(笑)「ええっ」って思って。「そんなに私の歌って価値があるのか」って。「聞かないと死にそう」って言ってくれるぐらい価値があるのかなって。そのときは半信半疑だったけどね、「そんなわけないじゃん」って思ったんだけど(笑)でもその言葉がすごくドシンときて。

——それはめちゃくちゃきますね。

 うん。誰に認められなくても、この人がそう思ってくれるんだから、やりたいかもって、また出たいかもって。

 それと同じようなタイミングで、THE LAST WALTZ(郡山)のマスターから電話が来て。「ライブやろうよ」って言ってきてくれて。「でも今ちょっと休んでて、できないんです、ライブ」っていって、断った。「そうなんだ〜、またそのうち誘うわ〜」って一回切って。
 また数日後にかかってきて。「今度〇〇さんが来るから、オープニングアクトになっちゃうけどやらない?」って。「いやあ、すいません、ちょっとまだ休ませていただいてて」「ごめんなさい何度も断って」「ああ、分かった、また誘うわ」。
 また数日後にかかってきて(笑)「ええ!?」と思って。「いつでもいいからさ、一曲でもいいから歌ってよ」。もう折れたよね(笑)。「一曲でいいんですか?」って、「なんだ、この人」って。私の状態を知ってか知らずか……そんなに今までもがっつり絡んでたわけでもないし、たくさんライブやってた会場でもないんだけど、「Juni.の歌聴きたいんだよね」。「久しぶりにじゃあ、一曲でもいいなら頑張ります」って。で、復帰ライブを決めた。

今やらないと一生できない気がする

——それが復帰になったんですね。

 うん。そのときに『モグラ』っていう曲を作って。「久しぶりにライブやるし、新曲ぐらい持っていかなきゃ」と思って作り始めて、自然にできたのが『モグラ』っていう。潜ってたっていうか、外に出れなかった、引きこもってた間の自分のことを歌った曲を、新曲として持って行って。

——お客さんから「もうそろそろ聴きたいです」って言われたのと、そのTHE LAST WALTZの方から誘われたのって、それぞれ全然別の文脈だったわけじゃないですか。その……はかったようなタイミングの一致がすごく。

 ね、なんかねえ……「打ち合わせした?」みたいな(笑)。何回かそのファンの方からも連絡はずっときてて。「やらないんですか?」「ラジオ録音してたのずっと聞いてますよ」っていう感じで。最後のっていうかその(THE LAST WALTZの方と同じタイミングの)ときに「そろそろ聞かないと死にそうです」「泣きながらラジオの録音聞いてます」って。

——めっちゃ嬉しいですね……嬉しい、っていうのとはまたちょっと違うのかもしれないですけど。

 ありがたい……のと、存在を肯定してもらえた。うまく言えないけど。そういうことで復帰しました。

——ちなみに全然関係なくなっちゃうかもしれないですけど、ラジオをやられてたときのスタッフって湊さん*とかだったり?

*ふくしまFMの番組ディレクター。『FUKU-SPACE』でFlagmentのコラボコーナーを設けてくださった。

 そう、そのときはね、湊さんかな……何個かやってて、湊さんにやってもらってたのは5分間の番組。収録の番組で、『Juni.の裸足音』っていう5分間の番組をやらせてもらってたの。で、「ティータイムパラダイス」っていう、それこそ今の『FUKU-SPACE』みたいな感じの、15時から16時の1時間番組、そのときは香西さんかな。湊さんは、なんかね、番組というよりも、ずっと何か呼んでくれる。ラジオやってない時期も、活動してない時期さえ声かけてくれたんですよ。「そろそろやんね?」って(笑)。

——脳内再生できますね(笑)。

 ね(笑)あの感じで。湊さんはでも、あの感じだったから頼れたというか。「じゃあお願いします」って。
 ただ、活動を再開してもすぐには……やっぱりちょっとパニック障害とかもあったり、うつがちょっと激しくなってたりしたから、そんなに頻繁にはできてなかった。でも病院行ったりして、だいぶ良くなってきて。
 で、「よし、やろう、頑張ろう」って思った年にコロナがきた。

——ああ、そういうタイミングだったんですね。

 コロナってもう4年前だっけ?

——そうですね、2020年の2月から3月ぐらいにバーって。

 そっか。だからコロナの前の年からちょっとずつ動き出してて、しっかりやろうって思い始めたらコロナが来て「あれ? ライブできないじゃん」ってなって。「え、またモグラになる? 私」みたいな(笑)。ずっとそんな感じで、なんか生きる意味を失ってしまった……(笑)また。せっかくできるって思ったのに、またできなくて。仕事も、デザインの仕事もやってたけど、やっぱりイベントごととかも少ないし、なかなかうまくいかない。もうどん底になりそうになってたんだけど、コロナが少しずつ落ち着いてきて、「もういつ終息するか分からないけど、今やらないと一生できない気がする」と思って、やり始めたのがおととしかな。

 おととしの夏ぐらいから動き始めて、11月にシャープナイン(郡山CLUB♯9)に久しぶりに……新しくなってから初めて出させてもらって、そこで元FREEWAY JAMの二人(音響担当の小椋さん、照明担当の渡邊さん)にお会いして、「ここは、どこですか……?」ってなって(笑)「あれ? ここジャムですか?(笑)」ってなって。完全にフリーウェイジャムのお二人が、そのままシャープナインにきてるから、すごく悩んでたときのことも知ってくれてる二人だから「うわ〜」と思って。話いっぱい聞いてくれて、「応援するから」って。「シャープナインをあげて応援するから頑張って」って。
 で、今に至ります。

今、もしかしたら人生のすごい岐路かも

——今の時点では、やりたいと思ってることって何かあったりしますか?

 うーん。それは音楽的に?

——限らなくても。

 自分が精神を安定して、集中してできる居場所を作りたい(笑)なんでまあ要するに、空間。
 スタジオがあって、いつでも思いついたら録音できて、思いついたら絵が描けて、とかっていう空間が欲しいなって。まあずっと思ってるんだけど、そろそろ作れないかなって思って、郊外の一軒家とか、なんとなく物件見てみたりとかはして。

——アーティストの夢ですね。

 うん。イノセントエイジってあるじゃん? 二本松の。あそこみたいに、自分以外のミュージシャンのレコーディングできる環境とか、泊まりながら、合宿しながらできたらいいなあと思って。それはすごく、ずっと思っている夢かも。

 近々でやりたいことだと……アルバム作りたい(笑)。なんか、「これ」っていうよりは、すごく……音楽漬けになりたい。もうびっちゃびちゃになりたい。今までいろんなものに遠慮してとか、気遣って、自分が勝手にそう思い込んでやれなかったことをやりたいな。バンドやってみたり、ツインボーカルの何かをやってみたりとか。それはちょっと話が出てて、今、楽しみではある。

 今、フロミュー(From “MUSICIANS” @ Fukushima)をやってるから、ちょっとJuni.ソロとしては歩みが遅くなっているのも確かかな。でもフロミューも、やっぱりやりたいことの一つで。今まで震災の後ずーっと抱えてた気持ちがあって。災害が増えてるけど、そのたびに「何か動きたい」って思いながら何もしない。コンビニのその、お金(募金箱)毎回入れるとかさ。そんなことしかできず、「なんか違うんだよな……」って思いながら。
 震災の後すごくつらかったんだよね。被災地であるということを忘れてたっていうか。やっぱり沿岸部がひどすぎて、こっちはもう被災地っていう感覚じゃなかったっていうか……人それぞれだろうけど、家屋崩壊とかもあったし。人生観が変わったからさ、震災で……当たり前じゃないっていっぱいあるなって思ったし、そのときも歌えなくなった。

 弱いんだよね(笑)基本すごく影響されやすいというか。で、基本的に必要とはされてないって思ってるから、「自分なんかが今歌っても邪魔になるんじゃないか」とか、「何のんきに歌ってんだよってなるんじゃないか」とか……もうその時点でさ、音楽の力信じれてなかった。それが今悔しくて。今っていうかずっと、「私、なんであのとき歌えなかったんだろう」って、「悔しい、悔しい」ってずっと思ってて。
 今年の1月にあって(能登半島地震)、あのときと同じ苦しさを今感じてる人たちがいるって。で、動ける気がした、今回は。色々なことが整ったような気がして、動き出した。それはそれで多分ずっとこう、つかえてたものを今やってる。やりたいことというか、続けたいこと。

——1月のがきっかけではあるけど、あれがあったからとかじゃなくて、心持ちとしてずっと持ってたいもの。

 そう、ずっと「ウゥ……」ってなってたから(笑)熊本もあったし。とにかく自然災害が多すぎて……心を痛めてるのに、何もできない。でもフロミューをやってみて、それを素直に打ち明けたらみんな同じだったというか、自分もそうで、動こうと思っても動かないで我慢してただけで。みんなのモヤモヤしてたものを動かせるっていうか、持ち寄って力にできる機会っていうか。たまたま私が一番最初に声をあげただけで、誰かが声をあげてたかもしれないし、そしたら多分そこに「お願いします」って、「私も」ってなってたと思うんです。

——「タイミングが良かった」っていう言い方は多分違うんでしょうけど。

 今だからできてる。モグラになってる時期はできなかったと思うしね。……生い立ちの部分は大丈夫?

——もう、あの、聞きたいと思ってたことは一通り。

 本当に? 良かったです。

——逆に「これ言ってない」みたいなのがもしあったら。

 言ってない……なんかいっぱいある気がするけど……でも、だいたいかな。家のことと、気持ちの弱さと……。なんか私の今日までの人生の中で、多分ものすごくいろんな人に迷惑をかけてて、ものすごくいろんなたくさんの人に心配をかけて生きてきてて。多分「なんだあいつ」っていう人もいるし、「会いたくねえ」って思ってる人もいるかもしれないし。謝りたいけど謝れない人もいるし。だから、そういう人の代わりじゃないけど、その人たちにそのとき向けられなかった誠意とかを、その人に返せなくても、これから誰かに、その分。何かの役に立つとか、何ができるかわからないけど、なんかできたらいいなっていう感じで。

 今、もしかしたら人生のすごい岐路かもって思っていて。今までも本当に「申し訳ない、申し訳ない」ってしか思えなくって、後悔ばっかりだったのが、何かが吹っ切れた感はあるんだよね。フロミューをやり始めたことによって、その人に直接謝れなくても、役に立てなくても。っていう、だから今、そこに注力してる感じです。

——わかりました。では……以上です。ありがとうございました。

 大丈夫ですかね(笑)ありがとうございました。


Juni.(ユーニー)
1982年6月11日生まれ。福島県出身。
2000年代にシンガーとして活動を開始。休止期間やコロナ禍などを経て、実質的に2022年から本格的に音楽活動を再開。
現在はチャリティープロジェクト「From “MUSICIANS” @ Fukushima」の代表として、能登半島地震ならびに台湾地震の災害支援活動を牽引している。
Juni. 𝕏(@junicon19820611
From "MUSICIANS" @ Fukushima 𝕏(@frommusicians24

メンバーシップ「Flagmentぷらす」では、
このインタビューのアフタートークや、アザーカットがご覧いただけます。
あわせてぜひお楽しみください。
(※Flagmentぷらすの有料購読が必要です。)

いいなと思ったら応援しよう!

Flagment - インタビューマガジン
記事に頂いたサポートは、全額をその記事の語り手の方へお渡しさせて頂きます。