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【前編】こだわり抜き、納得できたワクワクを届けたい——THE EVESCAPEに必要だった8年間

ライフヒストリーを中心に据える通常のFlagmentから派生し、生活史に絞らず現在や未来についてフレキシブルにお話を伺う新シリーズ『ふらぷれ』。

第3回となる今回は、私個人としてもかねがね親交があり、Flagmentとしてもずっと伺いたいと考えていたTHE EVESCAPEをお迎えした。

「個の人生史」を主題とするこのFlagmentで、「二人でひとつ」のTHE EVESCAPEをピックアップする最善の方法は何か。
今夏から開始したこの新シリーズ『ふらぷれ』が、現状の最適解だと感じ、オファーをさせていただいた。

今回の取材を経て、改めて彼らが「ユニット」でも「デュオ」でもなく、まごうことなき「バンド」であるということ、
そしていま、彼らの現在と今後が非常に楽しみな状況にあることが実感できた。この記事を通じ、ともに感じていただけたら嬉しい。

取材・撮影・編集:永井慎之介

「お客さんにどう喜んでもらうか」の部分にシフトし始められた

——改めて、どうもありがとうございます。

二人 ありがとうございます!

——いつもやってるFlagmentが、「人ひとりの人生の歴史」を伺ってたので、「イブスケ行きたいけど……どうするかな」みたいな(ずっと悩んでいました)。

村上桂介(弟/Vo&Gt.) どっちかだけ呼ぶのもなあ、みたいなね。

——そう。なので今日は、「ふらぷれ」っていう別冊シリーズで伺っていきたいなと思います。……とはいえ! 普通のFlagmentのように、ヒストリーも聞きたいと。それは俺が個人的に聞きたいと(笑)。なので、それもいい感じに織り交ぜつつ伺っていきたいと思います。

桂介 了解です、よろしくお願いします。

——で、さっそくなんですけど。バンド活動が始まったのが2016年8月ということで、ちょうど8周年。

桂介 そうですね。
村上悠介(兄/Vo&Gt.) そうだね。

——でもそういうのあんまり気にしてないですか?

悠介 桂介はけっこう気にしてる。
桂介 気にしてないことはない……けど、だから何ができるかっていうと、別にまだ何もできてないって感じですかね。

——まあでも「8年」だと、まだ通過点感みたいなものも?

悠介 うちリリースもがっつりやったことないし、ツアーもやってないし、企画も単体ではやってないから。だから8年だけど……下積みじゃないけど、自分らの実力を高めるためにやってきた感がすごく強かった。周りから見たら「8年もやって何してんだよ?」って感じかもしれないけど、個人的には8年やった感がまだないんだよね。

——へえ~~! そうなんだ!

桂介 わかる。思い返せば8年だけど。
悠介 そう。まだこれからやれること全然あるし。
桂介 まだ何もしてないからね(笑)否めないよな。

——やりたいけどっていう。

桂介 別にそこまでこだわってるわけじゃないけど、「どうせやるならすごいことやりたいよね」みたいなのが強すぎて。特に音源かな……ミニアルバムは2つ出てるから、ちゃんとした形のアルバムを出したくて、その準備をいろいろしてるうちにだらだらした部分もちょっとある。
悠介 実際あるよね。

——好機を見計らってたら、8年経っちゃった。

桂介 みたいな感じですね。
悠介 まだまだこれからっていう、頑張んなきゃなっていう心持ちでやってる感じかな。

——制作面での今はお話でしたけど、実際の動き、ライブとかパフォーマンスとかっていう点では、8年間での手応えみたいなのは感じてたり?

悠介 ああ、それはけっこうあるかな。
桂介 そうだね、そこの成長はすごくした気がする。遠征に行くようになったのもあるし、対バンの影響もあるし。あとはやっぱ「自分らがこういうことすると喜んでもらえるんだな」みたいなのは、8年で積み重なってきた感はあるかな。

悠介 お客さん目線というか……自分らが楽しむのは一番に考えてるんだけど。最近は本当に、「お客さんにどう喜んでもらうか」の部分にシフトし始められたかな。うちを見に来てくれる人がちょっとずつ出てきたっていうのもあるけど。
桂介 今ようやく(笑)ちょっとずつ出てきた。8年目で、うちを目的にしてくれる人が。
悠介 自分らが成長するためだけじゃなくて、お客さんを喜ばせるための部分が少しずつ出てきたかな。

桂介 「お客さんを喜ばせたい」っていうのは、割とこっちは最初からエンターテインメントっていう部分で持ってたんだけど、自分らが考えてやってみて、それがあんまり響いてない感じだったのが、今まで。経験を積んできたことによって「あ、こうやればいいんだ」みたいなのがちょっとずつわかってきた感じはして。

——照準が合ったような感じなのかな。

桂介 みたいな。俺の中ではそれはあるかな。
悠介 がむしゃらにやってきたけど、ちょっと現実感が出てきた。お客さんとの関わり合いっていう部分で。
桂介 やりたいことをわかってもらえて、やってほしいこともわかってきた。

——そこのバランスって難しいんですよね。自分がやりたいことはやりたいことで大事にしなきゃいけないけど、そればっかりになっても……すごくわかる。

桂介 でも多分、8年かかってようやくできたのは、結局自分のやりたいことを曲げてまでやるのが嫌だったから。
悠介 そうだね。だから時間かかったのかも。

——じっくりじっくり。

桂介 そう、ちょうどいいところに動きを合わせられてきたのかなって感じはする。

バンドやってなかったら、多分ここまで変わってない

——ちょっとFlagmentっぽい質問をしようと思うんですが……お二人は生まれも育ちもいわき?

桂介 です。
悠介 完全にいわき市民だよ。何ならほぼずっと実家だし。

——二人は、日頃ライブハウスとかで会うと仲良く見えるんですけど、昔からずっと同じような関係性で?

悠介 そうだね。俺が大学に行って、新潟で一人暮らしをしてたことがあるんだけど、その期間以外はもうずっと実家で。親とも一緒に暮らしてるから……逆にそこで仲が悪くなったら終わりなんだよね(笑)。

——(笑)確かに確かに。

桂介 ずっと仲いいね、そこは。

——お互い「昔はこうだったよな」とか「今変わったかもな」みたいに感じるとこって?

悠介 それはね、俺の方が変わってるかも。自分で思うし、多分桂介も思ってるかも。桂介はね、そんな変わった感じしない。俺は一回外出て戻ってきてるけど、それでも。

——(笑)「進学前までと一緒だ」っていう。

桂介 でもそれはお互いなのかもしれん。こっちもあんま(悠介が)変わってるイメージはない。
悠介 俺あんま変わってない? じゃあお前は自分の中では「自分は変わった」と思う?
桂介 自分の方が変わってる気がしてる。
悠介 なるほどなるほど、そういうことか。

——へえ〜。それ、どう訊いたらいいんだろう(笑)。

悠介 あんまりお互いのこと見てないってことになっちゃう(笑)。でも俺が自分で変わったと思ってんのは、昔よりは柔らかくなったかなって……もっとね、変な尖り方してたんだよ。
桂介 でも今も尖ってるからな(笑)。
悠介 (笑)それは自分でもそう思うんだけど。

桂介 前までは本当にもう「自分だけ」っていう感じだったのが。
悠介 そうそうそうそう。
桂介 他の人に対しての開きも、ちょっと出てきた。
悠介 それはあるかもしれない。大学の時も、迷彩のジャケット着てその辺歩き回ってたりとかもしてて。「自分でかっこいいと思ってたらもうそれでいい」っていうタイプだったんだよね。

桂介 そこにはさ、「他の人と違う俺」みたいなのもあったの?
悠介 うーんとね。あんまり意識はしなかったけど、あるかもしれないね。「違うのがかっこいい」みたいな。
桂介 そういうイメージがある。「人と違うことをしたい」みたいな。
悠介 そうだね。違うことをしたいっていうのが強い。

——それ自体は変わってないけど、柔らかさが。

悠介 そうだね。このバンド始めた時も、一番最初……2回くらいかな、俺がMC取ってたことがあって。その時はちょっとイキりすぎてて(笑)。
桂介 地獄みたいな……(笑)。
悠介 「もうやめよう」ってなって(笑)そのぐらいからかな、変わり始めたの。

——それがきっかけだったかもしれない(笑)。

桂介 そう。「やめよう」ってなって(笑)「俺がやる」って。
悠介 俺は未だにかっこいいとは思ってるけど、(あのままだったら)今のTHE EVESCAPEはなかったと思う。あれではエンターテインメントじゃなくて、ちょっと怖いグランジバンドみたいになってたかもしれないね(笑)。
桂介 「分かるやつだけ分かればいい」みたいなスタンスで喋り始めたから(笑)「おうおう大丈夫か??」みたいになって。そのライブの終わりに「MC、俺が次からはやろうかな……」みたいな。で、今のスタイルになって8年だね。
悠介 逆に今だったらやってもいいと思うけど(笑)。
桂介 (笑)まあね、変わってるからね。

——ちょっと逆に見てみたい(笑)。

悠介 (笑)。でもそういう面では、ライブの部分でも変わってるかもしれないね。
桂介 そうそう、だから変わったかなって思ってる、自分ではね。
悠介 そう考えれば、ちっちゃい頃とは違うかもしれないな、だいぶ。

——桂介くんが自分で感じてる自分の変化ってのは?

桂介 元々、多分もっと喋んなかったと思う。それこそ他の人との関わりの部分が大きい気がするけど、社交的になった気はする、自分でも。
 多分悠とは違う尖り方というか。悠は「他の奴は別に関係ない、俺がかっこいいからいい」みたいなタイプだけど、こっちは「嫌われてんじゃないかな……」みたいな、逆に人の目を気にして一人になってるタイプだった。

——ああ、その点ではじゃあ真逆なんだ。

桂介 そこは真逆。
悠介 今もけっこうそうだね。
桂介 そこがお互い、柔らかくはなってんのかな。自分で変化したと思うのもそこかな。あんまり……今でも気にはするけど、昔ほどじゃないかな。

——二人ともその変化っていうのは、主にライブをしながら受け取っていったってことですか。

悠介 そういうことだと思うなあ。やっぱこの活動を始めたから変わったって部分は多い気はする。
桂介 バンドやってなかったら、多分ここまで変わってないと……。
悠介 そもそもここまでひとと関わんなかった気がするよ。もしバンドやってなかったら、本当に職場の人だけ(の人間関係)みたいな。

——それは俺もめっちゃわかります。

桂介 なんならだって、悠はわかんないけど、こっちはどっちかっていうとバンドはけっこう、生業というか。バンドの世界で生きていくために、行って話して仲良くなって友達になって、みたいなスタンスだけど、「職場は職場だから」っていう割り切り方をしてるというか。職場でも仲良い人はいるけど、だからといってプライベートで遊びはしない。
悠介 バンドマンだったら、誘われたらプライベートでも全然行くけど。
桂介 その距離感の違いは絶対的にある。だからバンドやってなかったら、ずっともう全員に対してそういうスタンスだったかな。
悠介 桂介はそうだろうね、高校生の時からすでに進路をバンド一本にしてて。

——へえ〜!

悠介 俺は元々大学行ったのもそうだけど、研究職とかそういうのをやりたくてずっと勉強してたタイプだったから。
桂介 そうだね。バンドをやるつもりなかったもんね、元々。
悠介 そう、なかった。単純に高校の時にやったことはある、ギターも好き、音楽も好き……だけど基本的には研究職とか、どこかの会社に勤めてそういうことをやりたい、そういう感じだった。
桂介 こっちはね、最初からバンドやりたいから、学校卒業したらもうバンドやりますよっていうていでいた。

——そこはけっこう、どれもこれも真逆の要素(笑)。

悠介 そうだね(笑)。
桂介 違うとこも近いとこもあるっちゃあるかな。

B'zがいなかったら、もしかしたらメンバー探してたかも

——とはいえ、二人ともバンドやる前から音楽は好きで。

悠介 そうだね。小さい頃から。

——それぞれに音楽的な趣味って、共有してたもんです?

悠介 もちろんもちろん。本当に中学ぐらいまでは聴くものも完全に一緒だった気がする。

桂介 そもそも音楽を好きになったのが、親が音楽好きで、家の中でずっと音楽流れてるような環境だったから。で、お互いそれこそまだ実家にずっと二人ともいた時は、「昨日のテレビでこれやってて、かっこいいよね」みたいなのを喋ってたけど、悠が大学に行って一回実家を出たタイミングで、明確に一回違うものを聴くようになった。
悠介 そうだね。暮らしが離れたから、聴く音楽がその時に変わって、また合流した時にはお互い良い影響になった、みたいな。

桂介 それまでは本当に同じものだけ聴いてたぐらいの感じだよね。違うもの聴いてなかったと思う。

——スタートはどういうところ?

悠介 もう本当にね、ちっちゃい頃から音楽聴いてたから……それが親から聴かされてたから好きなのか、それとも自分で好きになったかの境目がすごく曖昧なんだけど。
 俺は『名探偵コナン』のオープニングの、B’zの……『衝動』かな? が、個人的に一番最初に、自発的に好きになったかもしれない。そこからすげえB’zが好きになって。で、テレビで流れているバンドっぽい音楽にも興味持ち始めて、っていう感じかな。
 その前まではいわゆる、親世代が聴いているサザンとか、ユーミンとか、安全地帯とか。

——本当にJ-POPっていうか、歌謡曲的なところだったんだ。

悠介 そうだね。広瀬香美とか槇原敬之とかめっちゃ流れてた。テレビの音楽、いわゆるJ-POP。バンドものはほとんど聴いてなかったよね。
桂介 安全地帯とかをバンドとして認識してなかった。認識したのはもっと後だと思う。
悠介 ゴダイゴとかね。
桂介 家で流れてたけど、好きだけど、別に「そういう音楽」ってだけしか思ってなかった。

悠介 明確に「あ、こういう人が演奏してるんだ。こういう形でギター弾いてやってるんだ」みたいなのは、俺はB’zが最初だったかな。桂介はどうだろう? ORANGE RANGEとか。
桂介 ORANGE RANGEも別に、最初聴いてた時はバンドだと思って聴いてなかった。

悠介 自分で好きになった音楽は?
桂介 それも曖昧。今までは結局、パッて言わなきゃいけないから「B’z」って言ってたけど、実際わかんないよね、ちゃんと考えてみると。B’zも聴いてたけど、それが自分が最初に好きになった音楽かっていうと、そうでもない気もしてる。
悠介 でもあのぐらいじゃない? 2005~6年ぐらい……『マツケンサンバ(Ⅱ)』とかじゃない?

——そこ?(笑)

桂介 (笑)。マツケンサンバを好きになったのはね、割と最近だと思う(笑)リバイバルで好きになったぐらい。
悠介 DJ OZMA?
桂介 DJ OZMAは好きだった。でも、DJ OZMAって中学1年とかかな。それより前に多分音楽好きになってるから。
悠介 ロードオブメジャーは? もうちょい前か。
桂介 いや、もっと意識してちゃんと音楽聴いたのって多分、スキマスイッチとかだと思う。
悠介 あ〜はいはいはい。『ボクノート』とか家でめっちゃ流れてたね。

桂介 ああいうのを、ちゃんと家でCDがあって、それを聴こうと思って聴いたのは、多分そのくらいの音楽かなって感じですね。
悠介 確かに。それは俺も聴いてた。コブクロとかスキマスイッチとか。
桂介 B’zとかをね、自分から聴き始めたの、多分それより後な気がする。もっと俗っぽい音楽聴いてて。

——まだ尖ってる(笑)。

桂介 (笑)いや……そんなそんな。明らかに言い方が悪かった。でもそんな感じだね。音楽の芽生えというか、始まりは。
悠介 歌を聴いてたね。演奏を聴き始めたのは本当に後だね。

——そこから、自分たちでも演奏したり歌ったりしようってなって。

悠介 そこの始まりがまたちょっとアレで。俺がその当時仲良かった友達に、バンドに無理やり誘われたの。
 話すと長くなるからちょっと端折るんだけど、仲良し3人組みたいなのがいて、変なふざけたダンスを踊る会をやってたんだよ(笑)ダンス愛好会っていう名前の。小〜中ってやってたんだけど、中学の頃は文化祭の出し物とかでやってたの。『マツケンサンバ』とか踊ってたの。
 で、高校で「今度はじゃあバンドやんね?」ってそのグループのリーダーが言い始めて、「じゃあお前ドラムね、お前ギターね」って勝手に割り振られて、俺はギターを買わされたのよ。それでやり始めたのが最初。
 だから自分で「楽器やろう」みたいなのはその時は全然なくて。無理やり買わされたの、逆らえなくて。
桂介 そんな感じだったんだ。

——(笑)へえ〜。桂介くんは?

桂介 俺は、でも楽器始めたのは、兄貴がギターを買って家にギターがあったから、それを貸してもらって弾いたのが最初かな。多分小6の頃なんだよ、それが。多分最初買ったのはアコギだったんだよね。
悠介 そう。アコギからやった方がいい、みたいな。高校に入る直前、中3の時に多分買わされたのね。で、その時に3歳違いで桂介は小6で。「最初にギター練習するならアコギの方がスタンダードなんじゃね?」っていうのでアコギを買って、それで練習し始めて。で、バンドで色々やってるうちに、「いや、バンドっぽい曲やるなら、エレキのほうがいいだろ」ってなって、エレキも買って……。
桂介 そのアコギが家にあって、教則本とかも一緒に買ってあったやつを弾いてたのが、最初かな。それこそエレキ買った時も貸してもらって、弾いてた。そのうち自分のを買って練習するようになったみたいな感じかな。
 でもやんなくなったタイミングがあったの、1年くらい。
悠介 ああそうだっけ。ギターを?
桂介 そう。借りて、最初やってみて、確か教則本にレミオロメンの『粉雪』が書いてあって。めっちゃ好きだったから、アコギで弾いてて。でも全然弾けなくて、そこから1年くらい全く触らなかった。
悠介 そうだ、エレキやる前のアコギのみだった時代がね。
桂介 「アコギは触ったけどできないや」っつってやめて、その後エレキを買って、「エレキだったらじゃあ、もう1回やってみようかな」みたいな感じでまた借りて。多分それで『粉雪』弾けるようになって。「お、ちょっといけるかもしれない」みたいな感じで多分、エレキを自分でも買ってもらってやり始めたのが最初かな。

——大きく時期で捉えると、だいたい始めたのは同じくらいだ。

桂介 同じくらいですね、家に楽器が来たから始まった、みたいな感じ。
悠介 俺が買わされなければ、その始まりがなかった。

——さっきB’zっていうキーワードもあって、今の活動のスタイルにも似てるし、影響を受けてたりとか関係あるのかと思ったら……(笑)スタートは全然そんなことなかったんだ。

悠介 (笑)まあそうだね。そんなに意識はしてなかった。
桂介 B’zになりたいっていう感じはなかったよね。めっちゃ好きではあったけど。

——図らずもじゃあ、似ていたというか。

桂介 うん。今のスタイルになったきっかけっていうよりは、「B'zも二人だからいけんじゃね?」みたいな。
悠介 ああ、そうだね。「B'zもやってるし」っていう。
桂介 保険じゃないけど、そうそう。

——始まるにあたってね。

桂介 この二人でやるって決まった時に、「別に二人でやってる人もいるからいいんじゃない?」みたいな感じでね。

悠介 あんまり俺は高校生の時にライブハウス……ちょっと出入りしてたけど、イブスケ始める頃には周りのバンドのことも知らなかったから、「まあ二人でも全然できんじゃね」って思って普通に始めたんだよね。そしたら「え、二人ってどういうこと?」みたいになったんだけど(笑)そこは置いといて、「B'zがやってるし、俺らもできるか?」っていうので始めたから、影響もちょっと受けてる部分はあるかも。

桂介 そこに関しては、(悠介は)友達とやってたバンドでライブハウスにちょろちょろ出てたんですよ、観に行ったりとかしてて。だから知ってるはずなんだよ、ライブハウスにそんな奴いないってことを(笑)。
悠介 (笑)こっちの世代の時は変なのいたからさ。
桂介 こっちはライブハウスをほぼ何も知らない状態だったから「全然いけるでしょ」。なんなら、バンドを始める前から自分で曲を作ったりはしてて、打ち込みとかがあることも知ってたから、「別に打ち込みでやればいいじゃん」っていうスタンスでこっちは言ってたけど、そんな奴がいないってことはもう兄貴は知ってたはずなんで。
悠介 出てたからね、出演はしてたから。

桂介 それでも「二人でいける」って言い始めたのは、まあだいぶ強行だった感じはする。
悠介 でもそれはB'zの影響がでかいかも。「B'zはやってるし、好きだし」っていう感じで。
桂介 B'zがいなかったら、もしかしたらメンバー探してたかもしれない。
悠介 可能性はあるかもね。
桂介 「いないとできないじゃん」っていう。
悠介 そういう考えにならなかったのもね、二人でいけるっていう。

——ある種それはそれで固定観念的というか、今考えれば全然いなくてもいいっちゃいいんですよね。だからそれが今のイブスケのオリジナリティみたいなところにも通じてるし。

桂介 図らずもね。臆病だっただけだけど(笑)仲間集めらんねえからね。人とやるの苦手だからっていう。

当たり前になりすぎて疑問を抱かなかった

——ちなみに音楽以外のとこで、お互いの文化の共有とか交換みたいなのってどんな感じ?

悠介 ほぼ一緒だからなあ、交換するまでもなくずっと融合してる感じ。
桂介 なんでも一緒にやってる感じだよね。
悠介 ゲーム、アニメ、漫画、この辺は一通り全部趣味は同じだけど。

桂介 うちの家の体系としてさ、「みんなで一緒にやる」みたいなスタンスが昔っから根付いてる。
悠介 そうそう。村上家はそうなの。例えば映画観るのとかも、誰か一人だけ観ててストーリー知っちゃってるのはみんな嫌なの。観るなら全員一緒に見たい、最初っから。
桂介 「今日映画観よう」ってなったら家族全員で観ようね、みたいな。それこそご飯も全員で一緒に揃ってから食べましょうね、みたいな。「みんなで平等に」みたいな文化が意識せずともあったから、ゲームやるのも音楽聴くのも、一緒なのが普通。
悠介 当たり前になってた。

——「俺だけの嗜み」とか「俺だけのヒーロー」みたいなのも。

悠介 家出るまでなかったかも。少なくとも俺はない。
桂介 こっちもないかなあ。
悠介 村上家で好きなものとか、兄弟間で好きなもの……しか、なかったかな。

桂介 感性が似てるじゃん、今もそうだけど。だから例えば中学校で周りと自分が好きなものが違う、「俺だけだ!」って思ったやつを家に持って帰って悠に対して「これよくない?」って言うと「ああ、めっちゃいいね!」になっちゃうから(笑)「俺だけの」じゃなくなっちゃう。
悠介 だいたい好きなんだよねどっちも。どっちかが好きじゃないものって、あんまりない気がする。

——そっかそっか、そういうことか。

桂介 共有しちゃうんだよね、一緒にいると。今でもそうだしね。かっこいい曲見つけたら聴かせて。

悠介 あとね、うちの場合は明確な子供部屋がなかった。例えば俺が高校の時は、大学に進学するってのでめっちゃ勉強してた時期があったから、その時は部屋にこもって勉強する時期があったんだけど、それ以前までは明確な子供部屋がなくて、ずっとリビングで一緒、ずっと食卓で一緒、寝室一緒っていう状態だったから、全部が共有されてる状態。

——ああもう、物理的に。

悠介 そう。だから必然的に趣味も一緒にならざるを得なかった。
桂介 自分の部屋ってなかったもんね。
悠介 高校で勉強始めるまでは、机も全部一緒のところにあった。

桂介 なんなら……(笑)ついこの間だもんね、お互いの部屋が明確に分かれたの。

——ええ!?(笑)

桂介 本当に。1年ちょい前とかかな。
悠介 一応部屋は別々だったんだけど、間に扉のないちょっとちっちゃい廊下みたいなのがあって、部屋同士が繋がってるような。だから全然声も通るし。で、1年ぐらい前に、別な部屋で余ってる部屋があるからって引っ越しをして、そこで完全にドアが別々になって。それで完全プライベートみたいになったんだけど。

桂介 ずっと同じ部屋にいたみたいなもんだから、自分の部屋あっても。
悠介 本当にもう、ずっと全てを共有してる状態。

——それでも、別に良かったんだ。

悠介 そうだね。当たり前になりすぎて疑問を抱かなかった。
桂介 あんまり嫌だなってタイミングはない感じがする。

——家族って面白いですよね。全員揃っていただきますしたことないみたいな家庭もあるし。そこは家庭の色だったんですね。

悠介 うん。一番でけえかも、そこに関しては。

——ちなみに、悠介さんはダンス愛好会の延長でライブ経験がある。桂介くんはイブスケ以前の音楽体験みたいなのは?

桂介 一回だけライブハウスでライブやってて、それも文化祭で「バンドやりたいね」って。俺が行ってた高校の軽音楽部が、一応形だけ存在してて……要は「文化祭に出る権利」を得るために入るみたいな、普段の活動はマジで一つもないようなのがあって。そこに同級生で入ってる奴がいて、「文化祭ぐらいはバンドやりたいね」みたいになって。
悠介 青春だからね。
桂介 そうそう。そこで組んだバンドで文化祭でライブやって、一回だけソニック(club SONIC iwaki)でライブもやった……っていうのだけかな、音楽体験としては。

——ライブハウスに出入りするどころか、ちゃんとステージに立つってこと自体が、実質、THE EVESCAPEから。

桂介 ほぼほぼそうだね。マジの初の音楽体験みたいなのを言うとしたら、小6の卒業前、お別れ会みたいなのあるじゃないですか。あれで生徒が一人一人出し物をする、みたいなのがあったんですよ。そこで俺は森山直太朗の『さくら(独唱)』をクラスの全員の前で歌った、っていうのがマジの最初。
悠介 へえ〜、そうなんだ。

——歌うこと自体に抵抗はなかった。

桂介 「恥ずかしい」はめっちゃあったけど。人前出るのなんて……どっちかっていうと陰キャだからさ。「目立たない奴」だった奴が突然、お別れ会で一人で歌うみたいな。やっぱ恥ずかしさはめっちゃあった。

悠介 初めて聞いたかも。
桂介 あ、本当? 言ったことなかったっけ。でもそれが、意識して人前で歌った経験かな。でも実際それで評判は良かった。歌うまいねって。でもお別れ会だから結局そこで別れちゃうんだけど(笑)。

「一緒に曲作ってみよう、遊びで」

——兄弟が一旦(大学進学で)物理的に離れる期間があって、再会してからのイブスケ結成、っていう流れだと思うんですけど、結成のきっかけみたいなのは何かあって?

悠介 一番でかいのは、俺が大学辞めたことだな。最初は俺一人で音楽で食ってこうと思ったの。大学でも軽音部に入った時期がちょっとあって、音楽熱が再燃して。それと同時に、自分の勉強してることに対して……今思えば学部の選択をミスった感じがでかいんだけど。

——そもそもが。

悠介 そもそもやりたいことと(学部選択が)ちょっとずれてて。
 俺はいわゆる生物の進化とか、化石の研究をしたかったの。小学校とか幼稚園の頃から恐竜がずっと好きで、その研究をしてるところに行ったつもりだったんだけど。そういう教授はいるにはいるんだけど、基本的には地震の研究とか、石油とかセメントみたいな、資源系の学部だったのよ。
桂介 地質学に行っちゃったんだよね。生物の方に行けばよかったんだよね。
悠介 そう。今思えば生物系の方に行けばよかったかなって感じはするんだけど。そこでちょっと、やってることと自分の思い描いてたことのギャップがでかすぎて、やっていけなくなっちゃって。音楽熱が再燃して、それで一旦大学休学して、「ちょっと音楽やってみる」みたいな感じで一旦、もう家と決別しようとしたの俺。大学途中で中退するっていうのも、学費を親に出してもらってたから、その追い目もあって。「ちょっと一人でやっていくわ」みたいな感じになったんだよ。

 そしたらもう本当に、当然なんだけど親はショック受けるし。それで俺もバイトしながらお金貯めたりとかしてたんだけど、まあ一年そこそこじゃ何もできなくて。曲作りながらバイトしてる日々がずっと続いて。家族からも「いわきに戻ってきたら?」って言われて。その時に、「じゃあ戻るんだったら、個人的に今まで曲作ったりとかしてたし、ちょっと桂介と曲作ってみたい」っていうのを言ったのよ。で、遠隔でやりとりして、曲を一曲作った。「こっからここまで作って、続きじゃあ考えて」みたいな。それがけっこういい感じにできて。

 その流れで俺もいわきに戻ってきて、一緒になった時に「じゃあちょっとバンドやるか」。桂介も元々バンドやるつもりで高校卒業してるから、「じゃあお互いに相手いないし、一緒に組んでやってみるか」、「曲もあるし」、みたいなのでやったのが最初かな。
 で、一回だけソニックのスタジオ入ってオリジナル曲の打ち合わせをしたんだけど、その時に三ヶ田(圭三)さんが「え、オリジナルやってんの?」「じゃあ出てみない?」みたいになって最初出た。

桂介 あ、そうなんだっけ。自分らで電話したんじゃないんだ。
悠介 違う。最初はね、三ヶ田さんに声かけられたの。
桂介 全然覚えてないわ。
悠介 最初リハで一回入ってんの。
桂介 あ、いやわかるよ、スタジオ入ったのはわかる。

悠介 『05_177』とサンズと『アリア』って3曲だけあったのよ。それをリハして、「実際ライブハウスでやったらどんな感じなんだろう」って……実機のアンプも持ってなかったから。やってみて「あ、意外といけそうだなあ」みたいな話をしてたら、三ヶ田さんが「え、オリジナル曲やってんの?」ってなって。

桂介 しかも全然ソニックで見ない顔だったからね、それで多分興味持って声かけてくれたんだよね。
悠介 言うて俺はその4〜5年前には(高校時代)会ってるはずなんだけどね(笑)ソニックけっこう出てたんだけど。見た目変わってたから。
桂介 その時はわかんなかったけど、でも後から言ったら。
悠介 そう、「あんときの!」みたいなね。

——「曲作らない?」って連絡があったぐらいの時って、桂介くんはどういう状態で?

悠介 俺それわかんないんだよね。
桂介 俺は……。
悠介 めっちゃ練習はしてたよね。死ぬほどギター弾いてたもん。
桂介 うん。その時って俺、学生? 高校生?
悠介 いや、もう卒業してたと思う。
桂介 3歳違いだから、してるよね。
悠介 多分卒業してから1年経ってるから。
桂介 そうだよね。

悠介 タイミングとしては、俺が大学3年の時に一旦休学して、そっから1年くらい新潟にいたんだけど。多分その間、桂介はもう高校卒業して1年。
桂介 高校卒業したら俺はもうバンドやるって決めてたから。ただメンバーいないし、ひたすら自分一人でやろうと思ってて。DTMで曲作って、ギター、ボーカル、ベースは自分で弾いたりとか歌ったりして、できた曲をYouTubeにあげるっていうのをずっとやってた。

悠介 ボカロとかもちょっとかじってたよね?
桂介 ちょろっとやってたね。何やっていいかわかんないから、とりあえず今できること……家にパソコンがあったから、じゃあ音楽を作ってみようみたいなので、けっこうアップしてて。

 で、もう自分的には、「兄貴はよくわからん」ってなってたから(笑)俺はもう一人でずっと曲だけ作って、ライブとかもそのうち、それこそ打ち込みでやろうかな、みたいな。だから本当は最初は一人で全部流して、自分はギターとボーカルだけでやる想定で曲を作ってた。っていうタイミングで……あれどっちが先だったか覚えてないんだけど、悠から封筒で手紙が来たんだよ。
悠介 そう。決別書ね(笑)。
桂介 (笑)そうそうそうそう。「俺は一人でやっていく」「お前はお前で頑張れ」みたいな手紙が来て。そこで「俺はじゃあ一人で頑張ろう」みたいな感じだったんだけど。その後しばらくして、その親とのあれがあって、多分連絡が来るようになったのかな。
悠介 そうだね、その時まで連絡を絶ってたんだよね。ちょっとできるようになってから連絡しようと。生活のめどが立って、音楽的にも何かしらの成果を出してから戻ろうと思って。

桂介 そこからちょろっとして悠から、メールか何かで「いま曲作ってんだけど、これ二人で作んない?」みたいな連絡が来て。「まあ別に、いいよ」みたいな(笑)。

——冷めてんな(笑)。

桂介 (笑)こっちとしては「別にいいよ」くらいの感じで。だからその時は……。
悠介 あれ、どういう流れでそうなったのか、こっちも覚えてないんだよね。なんで一緒に作ろうってなったんだろう。
桂介 わかんないけど、そっちから来た気がする。
悠介 こっちから連絡した記憶はあるんだけど……家に戻るからかな。

桂介 こっちとしては一人でやってくつもりでいたけど、悠と組むんだったら別にいいかな、くらいの感じで「じゃあ作ってみる?」みたいな感じで受けた気がする。
悠介 こっちとしては拾ってもらった感が……。桂介は最初から音楽のつもりだったから。

——準備ができてる。

桂介 そういうスタンスではあったね。
悠介 俺も曲作りはしてたけど、そこまでじゃなかったから。
桂介 そこの負い目もある感じだったんですよ。「俺はギターも曲作りもまだ全然やり始めたばっかで、全然追いつけてない」みたいなニュアンス。多分その決別書にも書いてあったよ。「お前とはまだできないから」。

——気になるな~、その決別書(笑)。

悠介 どっかにあるよね(笑)自分でも読んでみてえわ。あれ多分相当尖ってた時だから。
桂介 あのね、その締めの文は「つまりは俺は俺で頑張るから、お前はお前で頑張れ、ということである」みたいなことが(笑)。
悠介 (笑)書いてあるかもしれない。そんな感じのこと書いてあるかも。
桂介 で、「おーん」って(笑)。

——冷めてんな〜〜(笑)。

悠介 その空気感だったの、俺だけだからさ(笑)家族の中で。
桂介 そうなんだよね。
悠介 元からそういう変な尖り方してたから。
桂介 「また変なことやってるな」ぐらいで。だからこっちもね……どういう感じだったか分からないけど、「曲一緒に作ろうよ」って話した時は、まだ「一緒にやる」っていう感じでもなかったのかな。
悠介 うん、多分そうだと思う。単純に「一緒に曲作ってみよう、遊びで」、そういうレベル。

桂介 だから、よくそれこそインタビューとかで聞く「ちょっとスタジオ一緒に入ってみようよ」みたいな。
悠介 それに近いかな。バンドっていう形じゃないからスタジオではなかったけど、「ちょっとセッションしてみよう」みたいなつもりで一曲作って。

 その直後ぐらいかな、俺がいわきに戻ってきて、一緒に住み始めたんだけど、「やることねえし、どうしようかなあ」って時に、曲あるし……で、お互いが作ってる曲もあったのよ。俺も一人で作ってる曲はあったの。で、桂介も一人で作ってる曲あって、それぞれ曲あるから、全部一緒くたにしてバンドっていう形でやろう、っていうふうに、戻ってきてからなったんだね。順番的には。

どうせやるなら、中途半端なのはやりたくない

——各々の曲は各々で作ってきた期間があったわけじゃないですか。それを持ち合わせて並べたり、あるいは一緒に曲を作った中で、そこでもやっぱ感性の一致があったんですかね。

悠介 けっこう差はあったような気がするんだけど、曲のカラー的に。特に桂介はけっこうその時V系流行りで。今もV系めっちゃ好きだけど。
桂介 イブスケ始まるくらいの時はCrossfaithに心酔してたから。
悠介 ラウドとかV系とか激しめのを聴いてたよね。
 こっちは洋楽のハードロックか、もしくはグランジを聴いてたから、ちょっとズレてて。でもなんか上手い具合にいったんだよね。

桂介 『05_177』っていう、1枚目のミニアルバムに入ってる曲があって、あれが二人でデータでやり取りして作った曲だけど。
悠介 ちょうどいいんだよね(笑)。
桂介 ちょうどいいね、あれは。
悠介 ジャンルが。あれは多分お互いうまい具合に混ざってるから。

桂介 あれだけだもんね、二人で作ったの。
悠介 そうだね。今んとこ二人で共同で作ったの、あの曲だけ。
桂介 だから、ジャンルはあれが一番混ざってんのかなって感じはする。サンズは悠介が単独で作ってた曲。多分、『アリア』は『05〜』を作ってから出してる気がする。
悠介 あー、じゃあ、THE EVESCAPE組むってなった後に。
桂介 に、作ってる気がする。
悠介 サンズはね、仕上げたのはそうかも。原型は多分、日付的には大学いた時に作ってたんだけど。
桂介 全然そこもね、調べればわかんだと思うんだけど、あんま覚えてないんだけど、

悠介 若干、カラー合わせようっていう感じがあった。二人でやるから。
桂介 あ、そこはない。好き勝手作った。

——ないんかーい(笑)。

悠介 そうか(笑)今も好き勝手作って……それはこっちも一緒だわ。
桂介 そう。ただ、やっぱ「二人でやる曲」として作ってる感じはあるけどね。
悠介 あ、ギターのフレーズとか、ハモリとか。
桂介 そうそう。例えばだけど、その前まで作ってた曲は、単純に打ち込みじゃないと弾けないフレーズだったりとか、叩けないフレーズみたいなのが入ってる曲も全然あったけど。
悠介 ライブでやることも想定して作ってるってことか。

桂介 人間がちゃんと演奏できる範囲で作る、どうしてもできないやつは同期で流す、みたいな。結成前は意識してなかったけど。だから、イブスケでやってる曲は今んとこ、結成前に作ってた曲はやってない気がする。『礫底』ぐらい?
悠介 あれ前からあったか。
桂介 あれだけは前からある。でもあれは出してないから(笑)1回しかライブでやってない。

——けっこうじゃあ、初期段階で「この辺かな?」っていう落とし所は、なんとなく見つけてた感じ。

桂介 あれってどうなんだろうね。
悠介 勝手にじゃない?
桂介 うん、意識してない気がする。
悠介 勝手にそうなってたから。
桂介 お互い「なんか好きな感じだからいいんじゃない?」みたいな。
悠介 なんなら個人的には、だいぶばらけてるなって感じ。今もそう思ってる。

——今も。へえー。

桂介 なんなら昨日その話をした(笑)アルバム作るにあたって。
悠介 「ちょっとばらけすぎじゃね?」みたいなのもあるんだけど……。
桂介 まあ、でもそれがうちのカラーかなって。「イブスケだし、いいかな」って。

——アルバム構想があるんですか?

桂介 まあ、一応。
悠介 近いうちに出したいねって話を……もう何年もしてたから(笑)。改めて本格的に、本腰入れてミックスとかの作業してる段階だね。

桂介 一応曲は出揃ってる感じ。
悠介 曲出揃ったのももう3年くらいじゃね?(笑)下手したら。
桂介 うん。で、コロナ入ったくらいのタイミングだったと思うよ、なんなら。
悠介 そんな前だっけ?
桂介 だってコロナが始まったから、1回その話なしにしようねってなったんだもん。
悠介 そっか。
桂介 だからそれより前、4〜5年前にも「やろうか」って話をして。

悠介 出揃いはしてた。
桂介 ただ入れ替わりはあったけどね、ちょろちょろ。それこそ先にライブでやった、入れる予定じゃなかった曲とかもあるから。それをじゃあ入れるならここはこうしよう、みたいな変更は若干あるけど。やろうって決まったのはだいぶ前だね。

——そのペースでいくと、じゃあリリースはもうちょい先ですかね……?(笑)

悠介 そうはしないようには……(笑)。
桂介 今年があと半年ないくらいだから、その間には。
悠介 そうだね、形にして、来年にはちゃんと出してツアーも回ってるくらいの……来年の秋とかになるかもしれないけど、何か開始したいな。
桂介 そうだね。来年はツアーしたいね。

悠介 そう。本当は今年ツアーしたいね、みたいな話をソニックとかからももらってたんだけど。
桂介 「やれよ」って言われて(笑)。
悠介 そう。しっかりアルバム作りたいっていう。周りからは「そんなしっかり最初から作んなくてもいいんじゃない?」みたいに言われんだけど、俺らはどっちも完璧主義者っていうか、バンとやりたいっていうタイプだから。
桂介 そう、面白くしたいから。

悠介 そうなんだよね。うちがミニアルバム出してもさ、「おーいいじゃん」で終わっちゃうんだよね。普通にきっちりアルバム出した方が、「え、今アルバム出すの?」「突然?」みたいな。
桂介 あれね、"Funny"じゃない方の「面白い」ね。なんかこう、「すごいやん」「やるやん」みたいにしたいからっていうので、だいぶ時間がかかって。

——でも言ったらそこもね、イブスケのエンタメ性みたいなところに通じてるかもしれない。

桂介 そうっすね。それはある。期待に応えたい部分はでかいのかな。「すげえもん見せたい感」はある。どうせやるなら、中途半端なのはやりたくないんだよね。
悠介 そうだね、中途半端なの嫌なんだよな。そのせいでいつまで経っても何も進まなかったりするんだけど(笑)。
桂介 そうだね。
悠介 だから今回はちょっと本腰入れて、やろうかなって。

<次回>
バンドの転換点と、楽曲にまつわるエピソードたち。
*後編は9月22日公開予定

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