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【後編】長利和季、復活! 等身大のエンターテイナー、その新たな薄明にて。

前編は<こちら


本記事は長利和季「エンターテイナーへの道」と連動しています。ぜひ動画とあわせてお楽しみください!



僕の中に持っているものを育てていく、大きなインプットの2年間

——ちなみにその翌年、2022~23年っていうのはどんな感じ? 個人的には、けっこうリハビリを頑張ってた年だったのかなっていうふうに。

 これはですね、もう過ぎ去ったから正直に言うんですけど、まったく症状が改善しなかった年。気持ち的には進みたい……2021年末に『curtain call』というフルアルバムを出して、ワンマンライブもなんとかフルで歌い切れて、「さらにやりたいことに向かって走り出していくぞ」、「長利和季の歩みはまだまだここからだ!」って、終わった2021年末。
 だから、正直に言いますよ。今この2024~2026年にしたかったことは、本当は2022年からしたかったこと。

——うーん。

 だし、できるだろうと信じていたことだったんですよ。だからちょっと後ろ向きなことになってしまうんですけど、すごくもどかしい2年ではあったかなって思います。

——配信(「ほかヲタ」)のときもね、すごく調子悪そうなときもあったもんね。

 そう(笑)懐かしいなあ。そうですね、けっこういろんな治療だったりとかもしてみたり。

——そしたらどっちかっていうと、自分自身の発展というよりは、例えばCalmRoomとかでの動きを頑張ってた感じ?

 そうですね。結果として自分の活動以外の部分で飛躍した年というか、すごく広がった年だったかなっていうのはあって。ピアノが解禁されているっていうので、サポート業で、変わらずライブハウスだったりとかカフェとか、いろんなシーンには顔を出させていただきつつ、レコーディングスタジオとして制作に携わりつつ。節目では許可をもらって少し、本当に30分とか、歌を歌わせていただいたりっていうようなことを2年続けて。僕の中でこうしたいっていう欲求が叶えられた年かっていうと、僕の中に持っているものを育てていく、大きなインプットの2年間だったかな、2022~23年は。

——ちょっと準備期間ではないけど、その色がちょっと濃かった。

 うんうん。と思います。

——あれ、運動会※とかやってたのもこの辺?

※「音楽家たちの運動会」。正しくは2021年秋。

 あははははは(笑)懐かしい。ねえ、そんなご時世に企画するものじゃないですよね(笑)。でもね、結局やっぱご時世的に中止にせざるを得なかったんですけど。っていう形で、いろんな活動にチャレンジしたのが2022〜23年だったかなって思いますね。

——でもそれが最終的に、2023年末に向けて快方には向かっていく。

 そうですね。でも、快方の兆しが見えたのも、2023年の10月くらいか。

——あ、けっこう。

 けっこうかかりましたね。

——逆にそこからが早かったというか。

 そうですね。やっぱり、「いいんですか!」ってなってからのスタートダッシュが早いことに僕は定評がありますので(笑)。2021年の1ヶ月連続ライブも、2020年の12月に許可が出てから2ヶ月後ですからね。

——よくそのスパンでハコを押さえたよね(笑)。

(笑)でも、ご時世的にもタイミングが良かったのかもしれないですね。今だったらたぶん、スケジュールだったりとかで難しかったりもするのかもしれないですけど。本当に、全てタイミングが良かったのかなって思います。

——10月くらいに回復傾向になってからの約2ヶ月くらいの間で、例えば今やりたいとかやってることとかのアイデアも育てていたような感じ?

 実はそのアイデア自体は……これ僕、どこでも言ってないかな。実はですね、2021年に出した『curtain call』のジャケットの中に伏線が入ってます。

——ええっ。

 ははは(笑)なので実は、2021年の時点でやりたいことは育てていたんです。

——そっか。それこそ、それを花開かせたかったのが本当は2022年、っていう話だったもんね。

 そう。ただ、そのインプット期間の2年を経て、2022年にやりたかったことよりも大きいものになってます。これは僕の気持ち的なものもそうだし、今から2年後、2026年にさせていただく仙台PITという場所でのワンマンライブ、そのキャパ的な意味もだし。確実に言えるのは、「2024年に復帰したからこそ今の形になっているな」っていう。だから正直に言えば、2022年にやりたいことは、「2021年よりも大きな会場で最後まで歌い切る」だったし、例えば楽曲をリリースしていきたいっていうのも、今掲げているチャレンジよりは、より一足飛びじゃないというか、着実に階段を上がっていくものだったんですけど。2年インプット期間を経たことによって、バーン! みたいな(笑)。

——またこのバネをギュギュギュって(笑)。

(笑)ってした分、やりたいことと向かう目標が、やっぱり数段も数十段も高くなった気がしてますね。

——ちなみにその『curtain call』に張ってた伏線っていうのは、今聞けるもの?

 はい!『curtain call』、実は今日持ってきてるんです。なので一緒にぜひ見てほしいです。これ……あれ、僕ながいせんせにお渡ししたことって?

——ないけど……!

 ぜひ!

——いいんですか。ありがとうございます。わ~嬉しい!

 今までの長利和季をすべて詰め込みました。

——大事に聴きます。

 ありがとうございます。

僕がやってきたことに、このコンセプトがついてきた

 僕、初公開かも……メディアで。『curtain call』に込めた伏線、お話させていただいてもいいですか?

——ぜひぜひ!

 いくつかあるんですよ。

——一緒に開けちゃおう。

 やった~、嬉しいな~。

 まずですね、実は『curtain call』は、このジャケットデザインとフォト、全部僕が手掛けていて。「カーテンコール」っていう言葉そのものの意味は、一つの劇が終幕して、その後でもう一度幕が上がって、演者さんがステージに帰ってきて挨拶をするみたいな。終幕後、「エピローグのその後」みたいな意味合いがあるんですね。だから僕の第一章、これまでの長利和季はここまでっていう意味も込めて、これからじゃあ『curtain call』で何が起こるのかっていう期待を込めて、僕はこのタイトルにさせていただいていて。
 全部で16曲入ってるんですけど、これが作曲順に入っていて。

——曲を作った順。

 そうです。2016年から18年までの間に作った楽曲が……1曲目の『morning』と16曲目の『curtain call』を除いた14曲が作曲順に入っているんですね。だから『cigarette』という曲が2016年の活動初期に出来上がって、最後、活動休止の本当に最後の最後に『おやすみ」という曲が出来上がったんですけど。

 ここでジャケットを見てほしいです。『night blue』の歌詞にも入っているんですけど、もともとそんなに体が強い方ではなくて、どうしても自分の部屋から外を眺めるっていう体験が多かったんですね。僕の中でのこれまでの音楽って、この部屋の中から何かを羨ましがったりとか、悲しがったりとか、いろんな感情で外を眺めているっていう風景が1個あって。だからこそこの『curtain call』の表紙は、部屋の中から外を見ている風景なんですね。

 で、めくっていただくと、その窓の風景が曲にリンクして、14曲入るようにしていてですね。このコンセプトで作りたいなって思ったのは、実は『night blue』を書いたあたりかな。ずーっとこう1曲1曲めくっていくと、一日が、夜が明けて時間が進んでいくようになっているんですね。その中で、僕としては「この時間にぜひこの曲を聴いてほしい」、そして「一日を通して長利和季を楽しんでほしい」っていう意味合いも込めていて。

 で、かつこれは僕の備忘録でもあるんですよね。僕のこの2年間がここに歴史として詰まってるんですよ。一日っていう時間経過であり、僕の2年の時間経過でもある。『night blue』で真っ青になって、『night blue』から先の3曲は正直ノンフィクションです。僕が感じたことを書いた歌。

『いつか光をなくしても』は、そのがむしゃらに活動していく中で前を向けるきっかけを、その時出会った人たちのおかげで僕は育めたなって思っていて。だから「僕にとっての光って音楽なんだけど、たとえそれがなくなっても、あなたのおかげで幸せだったって言える日々を生きていたいな」って思えるようになっていたんですね。それでノンフィクションで、僕のような体験をした人とか、同じ感情を抱えている人たちに向けて、背中を押したり寄り添った曲を描きたいなっていうので、夜の時間帯の曲として書かせていただいて。

 最後の『おやすみ』は、直接的な表現は避けて、全て空想の中で進んでいるような歌詞ではあるんですけど。最後「もう大丈夫 あなたは元気で/もう行かなくちゃ あなたはあと少しだけ/おやすみ」っていう言葉を残して、部屋を出ていくイメージ。

 そして、これを一枚のアルバムとするために、ずーっとその2年間、2016〜18年の2年間で入場SEとして使っていた曲を、改めてインストで書いたのが『morning』。そしてこれらすべてのインストアレンジ……『morning』から『おやすみ』までのインストアレンジを繋げて1曲にしたのが、16曲目の『curtain call』。

——へえ~!

 なので、15曲目までを聴いた後で『curtain call』を聴くと、この曲順に別アレンジで再生されて。「これは『cigarette』だ」とかっていう楽しみ方をぜひ。僕の中でもこの『curtain call』っていう曲は本当にカーテンコールで流れている曲。第一章、幕が再度上がって、演者の長利和季が出てきて「ありがとうございました」ってしているバックで流してほしい。僕の人生の第一部で、カーテンコールとして流したい曲として、最後に入れさせていただいていて。
 じゃあこの16曲分の時間帯の変化って何時なのっていうのが、実はディスク裏に書かれているんですよ。それぞれこの時間帯っていう、和名だったりとかですね。

——『curtain call』が「未明」にあたる。

 そうです。最初の『morning』が「薄明」っていう時間帯ですね。日が昇ってまだ淡い時間、これから始まるよっていう時間が薄明で、未明はその朝日に向けて、少し暗いんだけどどこか明るくなってきそうかなっていう予感のする時間。なので実は『curtain call』の最後の1秒に、『morning』とつながるフレーズが。

——おいおいおいおい!(笑)

(笑)だからリピート再生でこのアルバムを聴くと、またこの一日の明けて沈んでが、繰り返せるように。

——もう~、ヲタクが大好きなやつ~。

 あはは(笑)僕もヲタクだから。

——しかもその、一日の時系列にも沿うし、それがまんまその活動の時系列でもあるっていうのは、なんかこう……偶然という一言でもないような、不思議な感じだよね。

 それを意識しだしたのって本当に後の方だったんですけど。でもこのコンセプトを考えた時に、すっと「あ、これだ」っていう気持ちになったんですよね。例えばこれがじゃあ『cigarette』とか『morning』を書いた時からもう構想してありました、とかだったら、「2年間よく練られてるね」なんですけど。僕がやってきたことに、このコンセプトがついてきたっていう形。なので、ちょっと不思議な感覚なんですよね。

——できるべくしてこうなったような、不思議な。

 うん。もし神様という脚本家がいるならば、これ僕、人生的に思うんですけど……なんていうんでしょう、ドラマチックだなって思いますね。
 これが、僕がこれまでの長利和季に込めた『curtain call』の伏線で。

 で、本来ジャケットってこういうふうに入っていると思うんですけど。開けた時に、今までのクレジットですね、参加していただいた方や、エンジニアさん、スペシャルサンクスだったり載っている中で……これは逆に外から見た中の景色。

——あ~、うんうんうん。

 だから表側のジャケットと対になってるんですよ。表では、僕は室内から外を見上げていたけど、『おやすみ』で外に出て、外からこの部屋の窓を見ている。
 ってなった時にですね、(クレジットが)横で書かれている中で、縦にこう一文、入っているのが目立つと思うんですが……皆さんCDを購入した時って、オビってどうしますか?

——オビは……こうやって、一緒に。

 そうですよね。だいたいこのジャケットに入っている裏側に、こうやって重ねて入れるものだと思うんですよ。特に取っておく方は。
 じゃあながいせんせ、これをそのまま裏返して入れてください。

——えっ……こういうことですか。ちょっと待って、嫌な予感がする……あ! 繋がった!

 はい。ってなると、縦にすると文字が繋がって、英文が2文書いてあるんです。読みますね。

From curtain call of side "B"efore
Open the door to next color side "A"fter

っていうので、『curtain call』は「side “B”efore」、今までの僕。「……からドアを開けて、次のこれからの僕へ」っていう意味を込めて、「Open the door to next color side “A”fter」。なので、オビの表側にあるアーティスト文章には「1st full Album sideB」って書いてるんですよ。

——本当だー!

「sideA」出してないのになんで「B」なのっていうのは、”B”eforeのBだから。じゃあドアを開けて次の色はside “A”fter で、っていうのが。なので、ここでもう発表しちゃうんですけど、僕が次にsideAとして出したいフルアルバムのタイトルは『color』です。

——わあ……参りました。

(笑)っていうのを実は入れていて。そしてデザイン的なものですけど、「Open the door」……ドアに見えるようにしてるんですよ。窓だったものが、裏返したオビによってドアに。そしてOpenのOが大きくなっているのは、これがドアノブに見えるように。

——本当だー、すごいねえ。ちょっとなかなかここまで練り込んで……(永井も)ジャケットデザインとか自分のバンドでよくするけど、ここまで練り込んで作るのなかなか。作業的にも大変だしね。

 でも考える時間はたくさんあったんですよ。詰め込みたいことはたくさんあった。気づいた方が連絡をくださったりしてもいたので、3年経ったから、この『curtain call』というものはもうネタバラシしてもいいかなというので、こういう気持ちと伏線を実は込めさせていただいていて。

——へぇー、すごーい。

 なので今僕は、フルアルバム sideA『color』の制作と発表に向けて、実は少しずつ動いてきています。

——わあ、それは発表していいんですか? ここで。

 はい。初めて言いました。

——うわーやったー、うれしい。

 だし、この「ふらぷれ」を読んだ方で、僕の『curtain call』というアルバムを持っている方は、ぜひご自身の目でデザインを確かめてみてください。自信を持って、「ああ、そういうことだったのか」って思えるデザインにしてあります。

——すごい。謎解きみたい。

 うん。これはね、けっこう納得のいくデザインというか。

——これ、でも『color』のハードル相当上がるんじゃない?

 あー(笑)上がりますね! そうかも。そうなっちゃったかもね。必然的に。

——「次はどんなアートワークをしてくれるんだろう?」。

 いやー、どうでしょうねえ。そこはリリースしてのお楽しみだけど、でも、ドアを開けて、これからの次の色、side"A"fterへ、なので。この一文を裏切らないアルバムコンセプトになっていますということだけ、お伝えできればなと。まごうことなく、これからの長利和季を現したアルバムになる予定です。

——これはすごい楽しみ。しかも要は、一番最初の『cigarette』の時からもうずっと、続いてるこの活動全部を、ちゃんとこの一枚で肯定できてる。だからこそ、そこからまた『color』に繋がっていくのも、すごくドラマチックだし。なんか全ての時間を置いていかない感じがして、すごくアーティストとして偉い、と。

 あはははは。ありがとうございます。恐縮です。

——思いました。偉そうですが。

 そう言っていただけると、本当に日々大切に歩いてきた甲斐があります。

——これは、ちょっと追いかけ甲斐がありますよ。

 ぜひ、まずはこれまでの長利和季を、余すとこなく楽しんでいただいた上で……それこそね、この6年でドライブインで知り合った方にも、これからの長利和季も楽しんでいただければなと思います。

——これは今でも買えるもの?

 はい。今でも、それこそ活動復帰したので、会場だったり。あとは通販がありますので、そちらでお買い求めいただければ。このご時世に反してね、長利和季はサブスクに曲が上がってないんですよ(笑)わはははは。

——うんうん(笑)。(永井も調べてみたが)「あれー?」。

 そう(笑)そうなんです。なので、このコンセプトで、このアルバム順で聴きたい方は、もうこのアルバムをお求めいただくしかないんですよね。

——でも、フィジカルにぴったりだと思う。

 うんうん。なのでぜひ、ちょっとでも「あ、いいな」って思っていただけたら、お手に取っていただければ嬉しいです。

——すごい。

 いや〜、ちょっとヲタク語りできるの楽しい〜。「いや、実はこういう理由があってさあ」って(笑)ネタバラシするの、すごい楽しい。

——気持ちはとてもよくわかる。そっかあ、これ聴いて帰ろう。

 あ、ぜひぜひ。やったー。

今までの6年間でもやってこなかったチャレンジを、この2年間で

——じゃあ、これが今までの、ある種集大成的なもので。

 はい。第1章の長利和季ですね。

——まさに今、第2章に向かっている道すがらだと思うんだけど。曲作りっていう面で、今また変化は重ねている?

 そうですね。それこそ、さっきからちょくちょく出てはいるんですけど、『night blue』以前の長利和季は、小説を書くみたいにまず歌詞を書いて、フィクションで物語を届けるっていう側面が強い作詞方法だったんですけど。自分のことだったりとか、境遇、あとは自分から出てきたノンフィクションの言葉を紡ぐ曲が、『night blue』『いつか光をなくしても』『おやすみ』と増えて。それで……そうですね。言われてみれば、ノンフィクションの曲を書くことが多くなっているかもしれないです。体験したことだったり、思っていることだったり。その一瞬一瞬を切り取ったものを形にしているかな。

——『night blue』を……どこまでもネガティブなものとして捉えるわけではないけど、いいきっかけとして今、作用している。

 うん。そうですね。作詞作曲のターニングポイントとして一個『night blue』はあるんじゃないかなって思います。

——それがじゃあ……今掲げてるチャレンジの中にある「6ヶ月連続リリース」っていうところにも反映されてくるかもしれない。

 そうですね。僕は今、「仙台PITで2年後にワンマンライブ」っていう大きな目標とともに、数字にまつわる3つのチャレンジっていうのをしていて、そのうちの1つが「6ヶ月連続リリース」なんですけど。6ヶ月連続リリースって僕やったことないんであれなんですけど、どうなんでしょうね。どうなってくんだろう……僕自身も楽しみなんですよ。で、どういう曲がリリースされていくかっていうのも、実はまだ未定なんです。何も予定が立っていなくてですね、本当にこれから決めていく。

——じゃあ、もうちょっと先の話だ。

 そうですね。それに向けて形作っていきたいなっていう段階かな。でも、楽曲ごとにいろんな色が出せればいいなっては思ってますね。

——ノンフィクションを作ることも増えたっていうことだけど……「このリリースに向けて作ってる」っていうわけでもなく、ライフワークとして作曲はずっとやってきてるっていうか。

 そうですね。むしろ、もうたくさんたくさん曲が生まれ、そしてもう「こういうアルバムを作りたい」というコンセプトが決まっていて。

——それが『color』になっていく。

 そう。『color』になっていって、じゃあその中で6ヶ月連続リリースどうしていこう、っていう。オアシスを探して、1曲1曲楽曲を書き上げていくっていうよりかは、もう泉があって、湧き出ている。その中から、「どの泉から……水を汲んで並べてこよう?」っていう(笑)。

——全然枯渇してはないんだ(笑)。

 そうなんですよ(笑)。なので……でもどうしていこうかっていう。「どうしようか」っていうよりは、「どうしていこうか」っていう方が強いかな。

——でも嬉しい悩みだね。

 そうですね。なんかそういう意味でも、2年間のインプットってすごく大事だったなって思います。

——ここにも反映されてくるかもしれない。

 うん。

——その「数字にまつわる(3つのチャレンジ)」っていうのが、「2026年6月20日開催」っていう、その1個1個の数字になぞらえられている。で、6月の「6」が「6ヶ月連続リリース」。

 あわよくばMVも出したいな、どうなるかな、みたいな。

——うんうん。で、「2026」はYouTubeの登録者。

 はい。今までやってこなかったチャレンジをしたいなっていうのが1個あって。今までSNSとかオンラインの活動とかって僕、正直そんなにしてこなかったんですね。だから、YouTubeも(チャンネルこそ)存在はしてたけど、例えばミュージックビデオだったりとか、トレーラーだったりとかを残しておく場であって、発信して広げていく場として積極的に使っていたかと言われると、決してそうではなかったんですね。
 じゃあ、せっかくチャンネルがあって、これから2年間こいつは走り続けるんだから、その走り続ける姿を残しておかない手はない。で、せっかくなら1個目標を掲げて、2026年にまつわる数字ということで、2026人チャンネル登録者を達成できるように頑張ろうっていう。だからある種、僕が今までの6年間でもやってこなかったチャレンジを、この2年間でやってみようかなっていう。

——けっこう大変じゃない?

 らしいですね。お友達のYouTuberの方に「2000人ってどんなもんなんですか? いけないですか?」って訊いたら、「難しいと思うよ」「大変だと思う」って。

——そうね、アーティストのチャンネルでも、3桁の人とかはよくバンドとかでも見るけど。4桁いくと、「わあ、すごい」ってなる印象が。

 その肌感も、正直持ち合わせてなかったから(笑)でも言っちゃったもんは頑張んなきゃねっていう。

——だからこそ掲げれた目標でもあるかもね。

 そうそうそうそう、何も知らないアホだったからこそ(笑)「じゃあ、2026人にしたらいいじゃーん」っていう。あの……ね、ずっと長利和季を通して存在している、IQ3になる瞬間があるっていうスタンスを(笑)今回も貫けたかなっていう。

——復帰宣言をしたワンマンから、その2年後のワンマンまでが約2年半ある中で、ちょうど今ファーストクォーターが終わったぐらい。

 そうですね。あっという間だなあ。駆け抜けたなあ。

——今のところ、目標は、達成できそう?

 ……ええっ?(笑)もっと頑張る必要がありますね(笑)。これはね……たぶん、うかうかしてたら、もう2年後ですよ。

——だって2年前だもん、それが。(持参してくれた『あかつきのおと』を指す)

 ああ〜! そう! さっきお話してびっくりしちゃった。この『あかつきのおと』、奥付で見てびっくり、2022年だったもんね。びっくりしちゃいました。だからこそたぶん伝わりやすいと思うんですけど、あっという間ですね。なので本当に一日も無駄にできないなという気持ちで、今走ってます。

——なかなかね、「一日も無駄にしない」のは難しいけど。

 でも楽しいですね、毎日走り続けられるっていうのは。そして大手を振って歌えるっていうのは本当に心地がいいことだなって思います。

健康を損なわないように減量していきます

——減量の方はどう?

 ううーっ!

——もう一個目標があるみたいで。

 うっ……いてて……。

——YouTube観たけど、数字増えてたよね?

 いててて……!! よく見ていらっしゃる(笑)えっとですね……2026年6月20日、数字にまつわる最後のチャレンジはですね、2年後までに20キロ痩せるっていう。これが一番大変です。

——そうなんだ(笑)。

(笑)っていうのも、体の治療とリハビリを始めた頃の長利くんはですね、『night blue』だったり、今までも言っていた通り、もともと虚弱な体だったんですよ。なので2018年当時は僕、体重42キロとかしかなくて。その状態で治療を行ったりしても、危ないかもと、採血したりとか。……これ僕の当時の写真です。

——うわえー!? 全然違う。

 僕もびっくりしちゃった。もう思い出せない、この時のフォルム。

——じゃあその、体力作りじゃないけど、準備として必要な。

 はい。例えば貧血だったりとか、低血圧だったりとか、体の健康を損なわないレベルで、まずは体積を増やしていく必要があったんですね。で、たくさん食べたりとかしていくうちに、「やっぱり食べるのって、美味しいなあ」っていうので……(笑)本当にちょっとだけですよ、当初の目的よりも太りすぎちゃったかなあ、みたいな。

——(笑)若干ね。

 本当に、あけすけに言うと、3年間で約30キロ太りました。

——おおー。

 75キロまで太りまして。そんなに太る予定はなかったんですけど(笑)でも、じゃあ太ったならば、この頃までとはいかないまでも、シュッとした姿で、最高のステージを迎えたいなと。なので、僕の身長は今162センチぐらいなんですけど、だと今から20キロ痩せて、だいたい50~55キロくらいを目指すのが、身体的にもベストコンディションなのではないかと。

——ああ、数値的に。

 そうです。なら数字に絡めようっていうので、20キロ減量しますって、言っちゃった(笑)言っちゃったからやんなきゃ。

——これはもう自分で言い出したことですから。

 いや、そうですよ。誰にも強制されてない。僕がやるって言ってやってる。

——そして、「目標に向かって生きるのが楽しい」って言ってたから。

 ああっ! ああっ……あー、食べるのも楽しい……(笑)。で、これ、ありがたいことにですよ。「エンターテイナーへの道」で、動画の最後に必ず体重を載せてるんですけど、MVの編集もやってくれてる映像作家でnakanyさんっていらっしゃるんですけど、不正は許されないんです。だから、毎朝体重を測って、nakanyさんに送ってるんですよ。

——あ、写真で。

 写真で。だからごまかせない。で、かつ活動復帰して、いろんなライブだったりとか、イベントにお呼ばれするようになってですね、このチャレンジをみんな応援してくださってるんですよ、ありがたいことに。そして、「じゃあまあ今日くらいはいいよね」、「たくさん食べなよ」「今日はチートデイだよ」。

——出た、チートデイ(笑)。

 食べ物だったり飲み物をいただく機会が増えました。

——(笑)逆にね。

 逆に。そう、なんだったら太ったよね(笑)。

——甘やかしちゃだめですよ(カメラに向かって)。

 あー(笑)まずいまずいまずい。そうなんですよ……なので、この宣言をきっかけに、美味しいものをいただく機会がありがたいことに増えまして、より鋼の意思を持つ必要ができましたね。

——俺あんまり肉が付きにくいというか……わかんない、内臓とかそっちの方に溜まってるのかもしれないけど、あんまりダイレクトに体の表面に出ないタイプだから。

 うん、スラッとされてますよね。

——体重の増えた減ったがあんまり共感できない人間なんだけど、やっぱ20キロって過酷なのかな。

 いやー、どうなんでしょう。でも痩せる方が大変とは、聞きますね。ただ、体質的にもしんどいんだろうなって思うのが、僕も決して痩せやすい・太りやすい体質だったわけではなく。太るの自体も、けっこう大変だったんですよね。この42キロだった頃から、75キロとかになるのに3年かかってるわけですから。だいぶ量を食べたりとか、食べる回数を増やしたりとかして。そもそも太りやすい体質ではなかったってなると、つまり痩せにくい体質であるっていうことだと思うので。だから「2年後に減量してやるぞ」という、強い意志がないと。

——でも、年単位で設定できないと、逆に達成できなさそう。そう考えると、いい機会ではあるね。

 そうですね。だからもう、今のうちに掲げて、鋼の意志を育んでいかないと。「ラスト2ヶ月で20キロ」なんて痩せられないと、危ないと思うんですよね。あくまで安心していただきたいのは、「健康を損なわないように減量していきます」というところですね。ちゃんとトレーナーさんだったりとか、筋トレ趣味の友達にいろいろ聞いてみたりとかして、無理のない範囲で、でも2年以内に20キロ痩せたいところではありますね。

——最善の方法でいかないと。

 そうですね。あっという間に、2年経っちゃいますもんね。だからちょっとね……抜け道としては、今から20キロさらに太って食べて、で、食べる量戻せば、たぶんするするするするって痩せていって、75キロに戻って「20キロ痩せる」っていうことも。

——それって……掲げた日からのマイナス20キロではなくて?(笑)

 そう、だからズルです(笑)だから、20キロってチャレンジには書いてるんですけど、明言します。55キロが目標です。

——うん。そこたぶん言わなきゃいけないと思う(笑)。

(笑)そうなんですよ。「20キロ痩せました。でも、体はファット」っていうのはね、言い訳にはなりませんので。今は55キロを目指して……僕の今の身長で、健康的でいられる体重とBMI、体脂肪率を目指しております。なので、長利和季に餌を与えないでください(笑)打ち上げのご飯美味しいのよ。

——(笑)ねえ。

 ありがたい。「これも食べなさい、食べなさい」ってね、皆さん言ってくださるから。いただいたものは、それは食べないと。

——失礼だからねえ(笑)。

 そうですよ(笑)。だから、それをいただいた上で頑張って痩せようかと思います。

——当日をベストコンディションで迎えることがやっぱり大事だもんね。

 そうです。それだけ、やっぱり当時から比べて30キロの重りって、つらいです。心なしか体、重いですもん。

——やっぱ違うんだあ。

 いや、全然違いますね。やっぱ虚弱だった頃とは違う悩みが発生……「なんか階段つらいな」とか、「息切れしやすくなったな」とか、けっこうあるんですよね。

——じゃあますます、それもそうだし。コンディションっていう意味では、ジストニアも完治したわけではないものね。

 そうですね。

僕は、隣で

——寛解かんかいというか。

 うん。寛解という言葉が一番近いと思います。まだ業界的にも明確な治療法が確立されているものではないので、症状を抑えたりとか、出ないようにするという形で付き合って、寄り添っていかなければいけないという認識で、今は生活しているので。そこもギュッと無理して、どうしても症状が出ないように、治さなきゃいけないんだ……というよりかは、自分の体と向き合いながら、少しずつでもやりたいことには全力で取り組めるような塩梅で日々、一歩一歩進めていければいいのかなと思っています。

——「憂う」とか、「気を遣う」。それもすごく大事なことだけど、そこに引っ張られすぎて、できるはずのこととかやりたいことが全くできなくなるということもあったりするじゃんか。それは違うもんね、それは避けていきたい。

 そうですね。だから……やっぱり安易に言葉は紡げないけど、でも6年かかって復帰した僕から言えるのは、諦めないで続けることはすごく、その結果がどうであれ、自分の糧だったり、その先に待っている種に必ずなると信じているので。視野を狭めてしまったりとか、ギュッと思い詰めてしまうこと、まああると思うし、僕もあったんですけど。ただ、その時間を経て何か少しでも歩みを進められたりとか、自分の境遇に寄り添える選択を取ることを諦めないで欲しいなって思います。

——すごく大事だと思う。ちなみにワンマンの翌日に、ちょうど31歳になるじゃない。

 ああ~! そんなことまで把握してるんですか(笑)すごいなあ、ありがとうございます。そうなんです。

——そのワンマンがもちろん大事なシンボルだし、ここに向けてのことで今大事にしているものもたくさんあると思うけど、今の段階で、そこから先のイメージって何か広がっているものってあるのかな。

 ああ……いや、正直何も。まだ漠然としているかもしれない。こればっかりは何も伏線を張っていない、まだ真っさらなキャンパスかもしれないですね。でもそれこそ、ここから色づいていくのかなとは思っていて。この2年走っていく中で、やりたいことがこの2年で伏線になっていくような気はしていて。20代のほぼ全てをリハビリに費やして、じゃあ30代の幕開けが僕にとっては『エンターテイナー』というワンマンライブになるので、翌日以降の僕が、活動的にもそうだし、「30代の自分って何がしたいの?」っていう部分ともリンクしてるのかなって思うので。人生観的に何がしたいかっていうものがぼんやりとでも定まったときに、自分の31歳からの活動も少しずつ色づいていくのかななんて、漠然と。わかんないですけどね。

——それも楽しみの一つに。

 うん、そうですね。せっかく触れていただいたので、もう一個、この「ふらぷれ」で未来への伏線を張っていいですか? これもまだ発表していないこと……。

——そんなに大盤振る舞いしていいの? (ここ以外にも)いろんな場所あるんじゃない?

(笑)いや、せっかくならここで伏線を張らせてください。僕はもうだってヲタクでしかないんだから、Flagmentの。

——(笑)じゃあお願いします!

 実はですね、とはいえまだ詳細は明かせないんですが、2026年6月20日土曜日のワンマンライブ『エンターテイナー』を経て、翌日6月21日で僕は31歳になりますが、この日、その『エンターテイナー』の後夜祭の配信と、誕生日パーティーみたいなものを、もうライブハウスを押さえて、配信ありで企画しております。で、その先のことはまだ考えていないと言いつつ、そこで発表したいことは一つだけ決まっています。

——おお。

 なので、その2年後の『エンターテイナー』と翌日のアフタートークで何を発表するかっていうのをね、ぜひちょっと楽しみにしていただければなと思います。『エンターテイナー』まで1年切るくらいに、そのアフタートークの詳細も出るかと思いますが、そういうものが存在しているという伏線だけここで先んじて、張らせていただければなと。

——これはますます楽しみになるんじゃないですか。

 一個言っておくと、セカンドフルアルバム『color』にまつわることです。

——おお。なおさらじゃないですか。

 なのでね、それは楽しみにしていただければ。それでいうと、今「僕一人じゃできないことをみんなと叶えてる」って意味でもエンターテイナーかなって感じですね。撮影編集はnakanyさんにお願いしてるし、今僕、自分の楽曲を自分一人でとどめないで、手を離したいと思って。今回僕がこれからリリースする楽曲全部、底なしの青のベースのゐつぺゑくんが編曲として携わるんです。

——全部!?

 全部。

——すごい!

 っていう形で、僕自身は僕自身が思う「エンターテイナー」っていうこの活動に注力して、それ以外のクリエイティブをすべて……『ワンピース』ですよね。「僕と一緒にエンターテイナーしてくれ!」(笑)一人ずつ集めて、クリエイターチームとして動いていて。エンジニアリングだったりとかレコーディングの方はそれこそ同じく底なしの青のギターのアンザイ先生が、エンジニアの業務やっておられるので、お願いしていて。ライブ映像だったりとか、これまで僕のDVDだったりとかトレーラーだったりとか撮影をしていただいた(草刈)晋さんって映像作家の方にも、引き続き映像を担っていただいて。っていう形でどんどん、僕自身は個としてエンターテイナーなんだけど、2年間に向けてプロジェクトとしてチームを作っていって、最終的にみんなで2年後に向けて走っていければなっていう気持ちですね。

——それこそこういう(『curtain call』のような)極めてコンセプチュアルなものであれば、ある程度自分でハンドリングした方が理想形に近づいていくと思うけど、他の人にハンドルを任せる楽しさも、それはそれであるもんね。

 あ、うんうん、そうかもしれないです。そういう意味でもこれまでの長利和季は一人で……周りの助けだったり周りの方の支えがもちろんあった上で、一人で表現したいことを表現しきったなと。これからはそういう意味でも、僕にとってのエンターテイナーって、「あなたと、みんなと一緒に歩んでいきたいもの」かなって思います。だから今、これまでよりもまして、様々な方の支えと助けで、走ってますね。

——より楽しみになりました。じゃあ……こちらから伺いたいこととしては、あとラスト1個になるんですけども。いかにもしめっぽい……あの、「締め」っぽい質問。

 ああー!(笑)湿度の方(湿っぽい)じゃなくてね。

——(笑)おしまいっぽい質問、で申し訳ないんだけど。 現状で構わないんだけど、長利くんにとって「エンターテイナーである」っていうことは、どういうことなのか。

 ……そうだなあ、僕にとってエンターテイナーであるということ…………。

 ……僕自身のすべてを余すところなく、喜劇として、一緒に寄り添って見られること。
 だから、今ある『エンターテイナー』の歌詞のすべてですね。魔法でも奇跡でもなくて、一緒に夢を見ていける。もちろん、ただひたすらに前を走って、引っ張っていくエンターテイナーもいるし、背中を後ろから押してくれるエンターテイナー、様々な形の表現者の方がいらっしゃると思うんですけど、僕は、隣で。僕は僕自身を肯定して、それを笑い話だったり、エンターテイメントとして発信していく中で、「非日常じゃなくて、ありふれた夢として、一緒に歩いていきませんか?」っていう気持ちを持ち続けることが、僕にとってのエンターテイナーかなと思います。

——わかりました。何か、訊きこぼしとか、話しこぼしなどあればと思いますが。

 ……また、ヲタ活で会いましょう!(笑)なのでね、こういう形で活動復帰して歩みを進めてますので、これからもいちアーティストとして、どうぞよろしくお願いします。

——じゃあ、以上です。ありがとうございました!

 ありがとうございました!

長利和季(おさり・かずき)
1995年6月21日生まれ。宮城県出身。
シンガーソングライター、CalmRoom代表。
長らくの闘病から、2023年末に復帰を宣言。2026年6月に活動復帰ワンマンライブ『エンターテイナー』を開催予定であり、そこまでの歩みを記すドキュメントバラエティ『エンターテイナーへの道』がYouTubeで公開中。
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