車レースにまつわる話
先日、妻の実家から持ってきた古い小物入れから昔の硬貨の10銭玉が出てきました。その硬貨を眺めていて、とあるレースを思い出しました。そのレースは車レースと呼ばれる綿の細巾レースです。
生地の端に車輪の様な刺繡が連なっています。巾は約2cmの細いレースなのです。
私がこの車レースを最後に販売したのはおそらく15年位前の事です。最後の受注数量は20万メートルと記憶しています。20万メートルってピンとこないですが200キロです。新幹線の営業距離ですと名古屋―新大阪位。東京発でしたら静岡を超えてあと少しで掛川駅に到着位です。これもピンと来ませんね。すみません。
受注単価は1メートルで17円20銭。平成の時代に銭の単位の商売が実存していたのです。レースの仕事を35年していて最も安い定価のレースです。
私達レースメーカーの販売先は当時レース問屋さんが中心でした。メーカーと問屋の強弱関係は当時圧倒的にメーカーが弱く、値段交渉も問屋が主導権を握っている感がありました。値段の主張を強く言えない理由は、あまり値段でごねると他のメーカーに注文が廻されてしまうという弱みがあったからです。
当時のエンブロイダリーレース業界では、他社のデザインした柄でも平気で同じものを作り安く売るという事は、ごくごく当たり前なのでした。
機械を保有しているメーカーはその機械を止める事は出来ないため、営業職は何としても注文を取る事が必要でした。昭和の終りから平成時代には、どこのメーカーにも「注文がもらえるまで帰ってくるな」的な厳しさが有った様に思います。
注文をよそに廻されず、値段交渉も相手の言いなりにならない為に見出されたのが10銭単位の粘りのテクニックなのでした。
「せめてあと50銭、無理ならあと20銭下さい」と手をすり合わせるのです。ここまでお願いしますと、ほぼ10銭単位の攻防にだけは勝利できました。何ともみじめなものです。
この車レースの製造原価は1メーター当たり16円70銭だったと記憶しています。1メーター当たり50銭の利益です。
20万メートルで344万円の売上をして10万円の粗利です。トホホです。
それ以来、この車レースの注文は受けていません。よその工場に廻されたわけではなく、車レースの需要がなくなったのだと思います。
思えばこの車レースはたくさん販売しましたが、実際に製品として目にしたのは、旅館の枕カバーに付いているもの位でした。古い記録によれば、その昔は莫大な数量が売れた車レースです。しかしやがてそのレースのデザイン性が時代に合わなくなり急激に姿を消していったのだと思います。
それでもレース業界の絶滅種の車レースは、日本のレース業界の中で一時期キラリと輝いた名品なのだと思うのです。
スイスには素晴らしいレースコレクションが集められた織物博物館が有ります。一度は行ってみたいのですが、もし行く事が出来た時にはこの車レースの見本を持参して寄贈しようと思います。This is japanese old wheel lace!!
そしてたぶん「いらない」と断られるのです。