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【なぜお店を始めたのか】My Forever Glass

「辛い時期を越えて見つけた夢──アーティストとしての新たな一歩」
「お笑い芸人のマネージャーになりたい。」中学生の頃から抱いていた夢の通り、芸人たちを支える充実した日々を送っていた松原彩香さん。しかし、仕事の激務やコロナ禍による環境の変化が重なり、心身の不調に悩まされるようになります。休職を機に自分と向き合った彩香さんは、その時初めて、ものづくりが自分にとってかけがえのない存在であることに気づきました。
「My Forever Glass」というブランドを立ち上げた今、彩香さんはガラスの輝きに人生を重ねながら、心から「きゅん」とする瞬間を多くの人に届けようとしています。新たな一歩を踏み出すまでの道のりを伺いました。


小さい頃から「きゅん」を探し続けて


――ものづくりとの出会いはいつ頃からですか?

彩香さん:「小さい頃から、ただ何かを作るのが好きというより、自分で“きゅん”とする瞬間を生み出すのが好きでしたね。シール帳を作ったり、空想の世界を言葉で表現したりして、ずっと“好き”を形にすることを楽しんでいました。でも正直に言うと、人付き合いが苦手だったので外では声を出すことも少なく、友達も少なかったんです。一度だけ勇気を出して『友達になろう』と声をかけた子とずっと一緒に過ごしました。その子は今でも親友です。



「憧れの芸人マネージャー──夢の仕事で迎えた壁」


――実はもともと芸人さんのマネージャーのお仕事をされていたんですよね?

彩香さん:「はい!中学生の頃からお笑いが大好きで、『芸人さんを支えるマネージャーになりたい』という夢を持っていました。大学ではお笑いサークルに入り、カナダ留学や世界一周を経験して、日本のお笑いが世界でも通じると確信しました。それで、芸人さんたちと一緒に養成所で学び、夢だったマネージャーとして働き始めました。ですがコロナ期間中に担当タレントさんの仕事が激減したり希望する仕事の方向性がずれていくことが原因で、私が適応障害を発症し、心身の不調から休職を余儀なくされました。
自分の気持ちより利益を優先すべきなのかなど葛藤があり、仕事上の細かいミスも増え、ありたい自分や本当の自分からどんどん離れていっているようで辛かったです。



「人生を変えた一言」

――休職中にどのように過ごされていましたか?

彩香さん:「忙しさで後回しにしていた“やりたかったこと”を、とにかく試しました。コーチングやレジンアート、ヴィーガンスイーツ作りなどにハマりました。その中で、コーチングスクールの校長から『これからはアーティストと名乗りなさい』と言われたんです。その一言が、私の人生を変えました。」

――その時、どう感じたんですか?

彩香さん:「急にアーティストを名乗れと言われても、最初は嫌で嫌で怖くて1日中泣きましたね。不安が大きかったんです。でもマネージャー時代にも思い当たる節はありました。単独ライブの準備で小道具を一部手作りしていたときに、楽しくて朝まで製作していました。思い返せばその時に本当に好きなことに気付いてしまっていたんだと思います。今まで安定してお給料をもらえる仕事しか考えていなかったのに、急にアーティストになれと言われて生きていく自信が無かったこと、それでもこれが正解だと本当は心の底で分かっていたこと。認めたくなくて、涙が枯れるくらい泣いたあと、覚悟を決めました。

――覚悟を決めるにはとても勇気が必要だったと思います。それでも決断に至った理由は何だったのでしょうか?

彩香さん:「タレントさんも上司も同僚もみんな尊敬していて、本当に楽しく好きな仕事だったんです。でも、休職する数ヶ月前に大好きだった祖母が亡くなったんです。祖母が亡くなったことで、時間の大切さを深く思い知りました。その経験が、残りの人生について本気で考えるきっかけになったんです。限られた人生の時間の中で、今は挑戦するべきだ、そう決意しました。」



ガラスとの運命的な出会い

――アーティストとして、どのようにガラスの世界に出会ったのですか?
彩香さん:「休職後に退職を決めて、劣化しにくい素材を探していた時に、ガラスの永遠性に惹かれました。それでアーティストになると腹をくくって、デンマークの離島で半年間、吹きガラスを学びました。24時間ガラスのことを考えられる、本当に幸せな時間でした。」

作品をドイツで路上販売
誕生日のワンピースペイント
アレルギーの生徒も食べれるヴィーガンマフィンを手作り
吹きガラス作品




――帰国後はどのような活動を?

彩香さん:「留学とヨーロッパ旅を終えて帰国してすぐの2022年9月、宮崎のアーティストレジデンスに滞在が決まり、ガラス製作はできないのでアクリル絵画の製作を始めました。そこから1年も経たず2023年5月にNYでの展示が決まり、1ヶ月程滞在しました。そこで絵画製作は一区切りあったように思います。
そして自分に合うガラス工房さんを探し続ける中で帰国から日が経ってしまいましたが、耐熱ガラス(ボロシリケイトガラス)を使ったアートをバーナーワークで製作している方に偶然出会い、その方を師匠とし、ちょうど1年工房で技術や生き方を学びました。
その後、2024年8月8日にブランド『My Forever Glass』を立ち上げ、自分の工房を持つことができました。」


――お話を聞いていて、幼少期に勇気を出して「友達になろう」と声をかけたことで親友ができたこと。不安がある中でアーティストとして活動する決断をして、お店を持つまでに至ったこと。彩香さんのお話を伺っていると、挑戦してきたことが人生の分岐点になっているように思います。


「My Forever Glass」に込めた想い


My Forever Glassのロゴ


――ブランド名にはどんな想いが込められているのでしょうか?

彩香さん:「「My Forever Glass」はふと浮かんだのですが、ガラスの持つ永遠性の美しさに惚れていたのでぴったりでした。
妹にロゴ製作をお願いしたところリングが重なる♾️(無限)マーク、設立日も8/8、ブランド名にForever(永遠=無限)という単語も入っていて、8という数字や永遠性が自然とテーマになっていきました。」

――最後にメッセージがあればぜひ!

彩香さん:「結婚を決めるときのように、お店を作ってガラス製作と共に生きることを決めた今、その喜びを作品を通じて皆さんに届けたいです。
日常に小さな“きゅん”を感じてもらえるようなアクセサリーを、これからも作り続けたいと思っています。」

My Forever Glass

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