何故、愛着障害は人と繋がる事が難しいのか?
何故、こんなにも良くしてくれる(してくれた)のに、喜び(感謝)が湧かないのか❓️
どれだけ誰かが何かをやってくれても、いつまでたっても、いつも不満・憎しみ・恐怖が消えないのか❓️
何故、いつも満たされず、渇望してるのか❓️
何故、誰より何よりなりふり構わず、この世の終わりかの様に自分を優先させてしまうのか❓️
何故、他人を労れない、思いやれないのか❓️
何故、他人に辛辣で「自業自得、自分でケツ拭け」と、助けたい気持ち、同情、共感が湧かないのか❓️
幼い頃から、親に次の様な事をされ続けると、社会に出ても人や物事と心を通わせられません。
押さえ付けられる。
受け入れられない。
無視される。逐一チェック・否定・訂正を入れられる。
いつの間にか 1. ~ 6. みたいな人間になっていきます。
他人に、自分にとって
● 良い事や嬉しい事
● 常識的に感謝すると思われている事
をやって貰っても、
● 嬉しさ
● ありがたさ
は湧かない事が多いです。
簡単に言えば━
鬱屈・恨み・恐怖・諦め・挫かれ・怒り・無反応・無感情・やっと切り抜けている感・自分で無い感・無慈悲な世界観・自分には何も出来ない感・自分不振・他人不振・この世の人と物事は信じられない感・怯え・緊張感・世捨て感・逃避感・周囲の人や物事は全て敵だという信念・必ず自分に悪い事が起こる信念・自分の願う事はことごとく邪魔され叶わない信念━
(アカン、書ききられへん。)
自分も気付かない心の底(潜在意識)から自分で解って感じている意識(顕在意識)までの心の全てにおいて、上に書いた思い・信念です。
子育てをしてみて解った事ですが、子供って理不尽な程に自分の欲求をぶつけてきて無理矢理通そうとしますよね。
真っ白な心の子供は、絶対的な心の繋がりの親に、何度も何度も何年もかけ、「ありのままの理不尽」をやり続けて親との心の繋がりを育んで生きます。
親に愛されている自信、安らぎ、安心感、親を信じる心を育てながら、親以外の人を信じる心、自分を容認する心を作っていきます。
それなのに、親とのありのままのやりとりが、ずっと叶えられなくて大人になるので、社会でも心の疎通がない関係が続いていきます。
「愛情に飢え、暗黒の価値観に染まりきり、恐怖で自分を守る事しか心に無い人が、どうやって他人がしてくれた事に喜び・嬉しさ・感謝の気持ちが湧き上がって来るだろうか?」
「そんな状態の人が、起こる物事や今生きている事に対して幸せ・喜び・ありがたさ・嬉しさを感じるだろうか?」
自分で書いてても
「あり得へん」
と思いますし、
「そんな感情は湧かんかったし、湧いた記憶も無い。」
とも、思い出しました。
例えば、ドラマ・映画・漫画の悪役が周囲の人達に良い事をして貰っても、全く意に介さず平然と裏切ったり、惨い事をしたり、悪事を働く姿は、愛着形成が上手くいかずに育ち続けた人間です。
愛着障害の殆どが幼い頃からの親との関係からなので、なかなか改善させるのが難しく、パーソナリティ障害になって、上に書いたフィクションの様な人が出来上がる事があります。
幼い頃からなので、脳のありかたや働き方、身体や心の働き方まで、その人の全部が愛着障害をもとにしたモノになってしまっています。
だから、酷い親子関係な程、人間として、生き物そのものてして、精神的、意識的、身体的な改善が難しいです。
だからこそ、乳幼児からの親子関係が、1人の人を作り上げていく意味で命運を握っていて、とてもとても大切になります。
人は幼い歳から脳や神経などの精神と人格が作られていきます。
愛着障害と、愛着障害と似た原因と症状の境界性パーソナリティ障害を抱えた人の改善。
与えられる愛情の渇望の悪循環にはまらない様に、はまっても抜け出せる様に取り組んでいく事が、症状改善の舵取りの鍵です。
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