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断捨離依存症
自慢ではないが、いや自慢と言ってもいいだろう、
私の住まいはとてつもなく綺麗だ。
完璧に片付いて不要な物も一切なく、
埃やチリも限界まで掃除されている状態である。
部屋に遊びに来た友人に
「え…? 住んでる? モデルルーム?」
と言わしめたほどである。
兎にも角にも私は掃除が好きなのだ。
趣味を通り越してライフワークなのだ。
今年に入ってからその熱が高まりまた断捨離を始めた。
すでに完璧に近い整然さを保てていると思ってたが、
いざ断捨離をしてみると不要な物がわんさか出てくる。
一年以上着ていない服、
大量のTシャツ類、これまた大量の靴下類
、
さらに大量にある謎のケーブル類、
無限に出てくるネジや六角レンチ。
使う時がまた来るだろうと待機させてたが未だ出番がない家電、
使わない食器類
、
その他もろもろ。
箪笥から玄関収納、洗面台収納、キッチン収納、
デスクの引き出し
も洗いざらい精査して本当に必要な物だけを残す。
自身の中にある余分な贅肉を削ぎ落とすかのように
我が住処を彫刻する。
それでも部屋にある物で不要なものはまだないか、
捨てられる物は他にないかと取り憑かれたように部屋を探る。
まるでダイエット依存症みたいではないか。
しかしその妙な焦燥感と高揚感がなんともエキサイトなのである。
「断捨離」を検索した時にヒットした言葉があった
「断捨離依存症」
グーグル先生によると
断捨離依存症とは、物を捨てることに執着して生活に支障が出ている状態です。
断捨離依存症の兆候には、次のようなものがあります。
* モノを捨てることが快感になっている
* モノを捨てることが目的になっている
* 常に捨てるモノがないか探している
* 必要な物まで捨ててしまう
* 自分以外の物、家族の物まで捨ててしまう
* 物を捨てなければという思いに強迫的に取りつかれている
だそうだ。
さすがに必要な物や自分以外の物は捨てないが、
それ以外は的中してしまっている。
ならば掃除依存症という言葉もあるのであろうか、
私は風呂場から床からキッチンから部屋全ての埃、汚れ
くすみ、シミ、
そういったものも徹底的に掃除している。
気になるのだ。汚れが。純粋に。
しかし私は潔癖ではない。
別に他人の部屋が汚れてたり物が散乱しても全く気にならない。
自分の住処がゴミで溢れてたり不潔であることが不憫でならないだけなのだ。
だから私のそれは病的なことが理由ではないのだと思う。
私の根幹にあるのは
「自分の大切な場所に対しての愛情」
なのだと思う。
純然たる「愛」なのだ。
我が城が築城当時の輝きを今でも保っている、
素晴らしいではないか。
長年付き添った伴侶が今でもあの頃の美しさを放っている、
素晴らしいではないか。
自分の大切なモノを慈しみながら磨き続けるということ。
そんな一途で純粋な気持ちでしかないのだ。
これからも新しいモノに出会うでしょう。
必ずいつか別れる時が来るでしょう。
そして別れたモノたちも沢山あったでしょう。
そんなモノたちへ精一杯の愛をおくります。