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悪行と善行

本などを読んでてよく見かける場面、

死後、閻魔様にこう言われる

「お前の人生は悪行だらけだな!地獄生きじゃ!」

そしてその魂は罪人となり地獄へ落とされる。

逆もしかり、善行(徳)を積めば極楽へ行ける。

日本人なら誰でも知ってるお話だ。


ただ気になったのが、悪行を働いたから地獄、善行を行ったから極楽。って構図すげぇ曖昧じゃねぇか?

まぁ、仏教の教えでは地獄にも色々階層があって盗んだやつは〇〇地獄、エロかったやつは〇〇地獄とか細分化はされてるんだけどね。

でも善行と悪行って具体的に何?って話で、その辺り思うことを書いてこうかと思います。


悪行。

悪行は悪行だわ、殺人から放火からもう凶悪犯罪が真っ先に思い浮かぶ。

もちろんそんな悪人は地獄に落ちてほしい。

私が知りたいのはもっと軽微な、グレーなやつだ。

例えばスピード違反で一点減点とか、ムカつく奴とタイマン張ってブチのめしたりブチのめされたり、酔っ払ってその辺で立ちションしたり。

たしかに全てにおいて迷惑極まりない行為だ。でもだからって地獄行きになってってのもあんまりではないか。もう少しマイルドな地獄があるんだと思うけど。

そもそも悪行って上記のような法律に関わるもの以外でもあるだろう。

子供の頃好きな子にちょっかい出して泣かせてしまった男子とか。

部活で揉めてチームメイトぶん殴っちゃったりとか「夢みさせるようなこと言うな!」って

会社で結構ヤバめのミスをしたけど知らんぷりして皆んなに迷惑かけたりだとか。

家族旅行を決めてたのに急遽、接待ゴルフに行かなくてはならなくて旅行を中止したり。

大なり小なり色んな悪行があるでしょう。


こういった直接的に人が困る、悲しませるような悪行もあれば、止むを得ない、せざるを得なかった悪行もあるはずだ。

貧困で窮地に達してしまい止むを得ずコンビニでおむすびを盗んでしまった。

暴漢に襲われて抵抗したら運悪く相手を殺めてしまった。

親友と妻を人質にとられ「どちらかの頭を撃ち抜け、さもなくば両方殺す」と言われ泣きながら親友に引き金を引いた時とか。

そんな悲しい理由が裏にある悪行もあるでしょう。


我々が犯してしまった理由は様々で大なり小なりの悪行。

閻魔様はその辺りを加味して判断してくれるのだろうか。

してくれるさ。一応日本の司法では犯罪の背景も加味して情状酌量の余地ありとかするもん。


色々悪行のことを書きましたが本当に知りたいのは「善行」

そう、善行って何?って話なんです。


先述の通り悪行を考えるのは比較的容易だ。

しかし善行となると話は別だ。

どこからどこまでが善行なのか?

閻魔様、善行と聞いて連想される状況、

ボールを追いかけて車道に飛び出た子供がトラックに轢かれそうに!とっさに走り出した私は子供を抱え上げ間一髪、子供の命を救ったのだ!

それか子供は間一髪助かったけど私はそのままトラックに轢かれてあの世生き。

今までの悪行が全部洗い流されるかのような超絶ファインプレーアンド自己犠牲。

逆転満塁サヨナラ天国行き。

そんなイメージ。

でもそんな善行は生きててほぼ遭遇しない。


一日一善とは言うが、なかなかに一善をすることが難しい。

朝起きて仕事に向かって昼飯食べてまた仕事して、家に帰ってビールを開けてつまみを食べながらNetflixを見て、そして明日の準備をして眠りにつく。

善行する余地がない。

そこで無理やり一善を組み込んでみよう

朝起きてマンションのゴミ捨て場の掃き掃除をする。

近所の住民に満面の笑顔で「おはようございます!」そしてポイ捨てされた空き缶やタバコの吸い殻を回収しながら会社に向かう。

出社したら元気に仕事をして後輩には相談を聞いてやり、上司には的確な改善点を提案する。

昼飯を食べに行く道で荷物が重くて困っているおばあちゃんをおんぶして駅の改札までつれてってやったらもう昼休みは終わり。

「いやー昼飯食べ損いましたよ!トホホ」なんて言いながら午後も仕事する。

残業も進んで引き受けてやっとありつけた夜飯。

「やっぱここの定食が一番ですよおやっさん!」なんて声かけをして家路に着くのだが、路上には捨てられた猫が。

このままじゃ猫は死んでしまう、今もかなり衰弱している。

今やってる動物病院は、、くそ、少し遠い、仕方ない、タクシー!

なんとか猫は回復して今は里親探しのポスターを作っている最中。

最悪里親が見つからなかったら俺んちくるかぁ?まったく、フフッ。


、、、、なんて人生歩んでるやついるか!

取り乱しました。こんなにも1日で何善もこなしてる奴がいるなんて自分で書いてて恐ろしくなりました。


うん。でも書いていて気がつきました。

これみたいな極端に善行が詰め込まれた日なんてない。

でも人生長い目で見ればこの中の何個かがたまにやってきては、たまに善行となる。

だってあるじゃない。

私も実体験でおじいちゃんが転んじゃってて助けたこともあるし。

簡単な話、人に道聞かれて教えたこともある。

落とし物の財布交番に届けたり。

災害が起こったら微力ながら募金したり。

キャンプに行って捨てられたのか忘れられたのかわからん網とか片付けるし。

うちの猫だって拾ってきていまだに私と暮らしている。

後輩や友達の相談話にのったり、落ち込んでる友人を飲みに誘って笑わせたり。

誕生日には祝うし、悲しいことがあったら一緒に泣く。


まっとうな人間なら当たり前のようにしているこんな行為。

一個一個が大きくなくても善行だ。

自分でも気がついていないような善行が日々の生活の中に散りばめられてて、

無意識に人や社会に対して良くなってほしいと願って行動している。

悪行は目にうつって善行は目に見えづらいものなんだなって思いました。


さて、私は天国に行くか地獄に行くか。


もうそんなことはどうでもいいんじゃないかってさ。

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